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80年代半ば、グルメブームの到来もほどなくの頃。
オテル ・ ドゥ ・ ミクニの誕生は衝撃的であった。
シェフ自らの名を冠したレストランであることも、
日本人をカタカナで呼称する国際 的イメージも、
四谷の住宅街に佇むレストランの風情も、
それまでの常識を打ち破る新鮮さに満ちて いた。
ミクニの軌跡を1時間の
ドキュメンタリーにしたテレビ番組が
放映されたのもこの頃 である。
それは、裏方の職人だったシェフが
表舞台に登場した瞬間だった。
フランス帰りの、若くて、
独創性とバイタリティーにあふれたシェフ。
以来、彼はスターであり続け、
今では経営者としての姿も垣間見せる。
2000年には「ミクニズカフェ・マルノウチ」で、
2001年は東京駅丸の内南口の
「東京食堂 Central Mikuni’s」の
斬新な回転 SUSHIで話題に。
現在も、フレンチ界のみならず、
レストラン業界の牽引者である。
● プロフィール
三國 清三(みくに きよみ)
1954年。北海道増毛町生まれ。1975年渡欧。ローザンヌの『ジラルデ』ロアンヌの『トロワグロ』
コート・ダジュールの『ロワジス』などで腕を磨き、1983年帰国。
オテル・ドゥ・ミクニのオーナーシェフに。以後若き天才、スターシェフとしてテレビ、雑誌でも活躍。
アズ・カフェ、カフェ・マダムミクニ、ミクニズ・カフェなどの経営店舗多数。
1994年には、ボルドーワイン普及に貢献した者に贈られる
“メドック・グラーヴ地区ボンタン騎士団”の勲章を受賞するなど、
日本国内にとどまらず、世界において高い評価を得ている。まさに日本を代表する一流シェフである。
『皿の上に僕がある』『僕の美味探求』などの著書がある。 |
素材との対話から生まれる独自性と調和
キュイジーヌ・ナチュレルの世界
弱冠20歳で渡欧。
10年間は帰国禁止
三國清三が滞欧生活8年を経て帰国したのは1983年。
20代のすべてをスイス、フランスで過ごし、グルメブームの足音が今にも聞こえそうな日本の料理界に鮮烈に登場したのである。
北海道の半農半漁の家に生まれた三国が料理人の道を志したことに深い理由があるわけではない。
「インドアの仕事がしたかったんですよ(笑)。獲れたアワビを料理屋に持って行くと、調理場は温かな湯気が立ち上り、いい匂いがする素敵な場所に見えた。寒い日でもみんな半袖だし(笑)」
札幌グランドホテル。上京し帝国ホテルで洋食修業。転機は弱冠20歳で訪れた。
「帝国ホテルの村上料理長の推薦で、駐スイス日本大使館の料理長として渡欧。10
年間は帰ってくるなと言われました 」
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