フードリンクレポート
第2次モツ鍋ブームをリードする「もつ福」の開発者。
三宅 茂幸 氏
有限会社アキナイ 代表取締役
「もつ福」 もつ鍋
・「もつ福」でモツ鍋ブームを先行
三宅氏は鹿児島県出身。東京に出て、「ガネーシャ」「J−POPカフェ」などユニークな業態を展開していたBBAインターナショナルに入社する。「マネージメントの勉強をしたかったし、飲食で海外にも行きたいと思っていた」と言う。実際に、BBAが30店舗にまで拡大した時に、渋谷の7店舗を管理する統括マネージャーに抜擢された。
そして、ポジティブフードに移る。BBAの同僚が先に入社しており誘われた。当時、ポジティブフードは「ポジティブ・デリ」1店のみを運営していた。
三宅氏はそこで業態開発に手腕を発揮する。中華台湾小皿料理「上樓(シャンロウ)」と、今ではもつ鍋の老舗に近づいている「博多モツ鍋焼酎酒場 もつ福」を開発した。
「もつ福」の1号店は西新橋。2004年10月オープン。ある外食企業の居抜き物件だった。それを仲介したのが、当時、店舗流通ネットにいた井戸実氏。今、井戸氏は自分でエムグラント・フードサービスを興し、ロードサイドで「ステーキハンバーグ&サラダバー けん」を展開している。伸びる社長同士は、知らず知らずの内に出会っているケースが多い。エイチワイ・システムの安田久社長もBBAの出身だ。
生まれは鹿児島だが、育ったのは岡山県倉敷市。子供時代は当たり前のようにモツ鍋を食べて育った。西新橋の物件と出会った時、モツ鍋を思い出したと言う。
モツ鍋は、1992年に「もつ鍋 元気」で第一次ブームが起きたが1〜2年と短命に終わる。その約10年後、この「もつ福」などが第2次ブームを巻き起こし、現在もブームが続いている。
仕入れルートを開拓し、品川の食肉市場でその日に加工された和牛のモツしか使用しない。冷凍ものは一切使わない。味への拘り、美味しさがモツ鍋の再認識に繋がった。また、今ではポピュラーな「塩だれ」味を日本初で開発したのも「もつ福」だ。
店舗デザインは、新橋という若者が少ない土地柄を考え、ノスタルジックな昔風の店を作った。ベンチマークは、東京下町・森下の桜鍋屋「みの家」。
「もつ福」は大成功し、05年6月に浜松町に2号店、06年5月に赤坂に3号店、11月に丸ビルに4号店と出店を重ねていく。
「もつ福」丸ビル店 入口
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・完璧な業態「もつ福」を抱え、アキナイ設立
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有限会社アキナイ 代表取締役。1974年生まれ。鹿児島県出身。上京し株式会社BBAインターナショナルでマネジメントを学んだ後、有限会社ポジティブフードに入社。「博多モツ鍋焼酎酒場 もつ福」を開発。その後、独立し、2006年4月に有限会社アキナイを設立。現在、直営で「もつ福分家」「ラ・ボデガ」「うしのよだれ」「ウィッフィ」の4店舗、運営受託で「もつ福」4店舗、を展開している。
有限会社アキナイ http://www.aki-nai.com/
【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2007年11月8日取材
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