フードリンクレポート
宮崎地鶏炭火焼「車」。オーナーの熱い血を薄めるな!
菅野 功 氏
株式会社イデア 専務取締役
宮崎地鶏炭火焼「車」 名物「地鶏もも炭火焼き」
・オーナーはプロのお客
オーナーは航空会社に勤める現役のパイロット。奥さんが代表取締役を務め、専務の菅野氏が補佐している。オーナーは株主として経営にタッチしている。
「車」は1978年に奥さんの実家が始めた地鶏料理店。84年まで続けたが、国道の拡張工事で立ち退きとなりあえ無く閉店。オーナーはとても気に入っており閉店を惜しんで、「大阪にお母さん来ないかな? 大阪の人も喜ぶぞ」と大阪・伊丹空港近くの蛍池で86年に復活させた。28席の小さな店だ。これがイデアのスタートとなる。
オーナーは、パワフルでエネルギーの塊。負けず嫌い。食べる飲むことが好きで美味い店があると必ず食べに行くそうだ。しかも、日本や海外を飛んでいるので見聞きの量は並大抵ではない。
彼の目線はあくまでもお客。「俺を喜ばせてなんぼ」と、自分がお客の代表として自店を見ている。プロのお客が飲食店を経営している。
「お前らは地べたから見ている。俺は空から見ている。夜に空から見ると日本列島の東京、名古屋、大阪の明かりが同時に一望できる。更に、20数年の間、北海道から沖縄まで飲食店の変遷も同じように見続けた結果、流行は廃れ本物は続くという現実を肌で感じてきた。」
「30年経っても、なければならない存在の食べ物屋にならなければならない。焼き鳥屋は50年、100年経ってもある業態。我々はその中にいる。その中でイノベーターになろう。」
「深化させるんだ。新しくするでもなく、進んでいくでもない。宮崎の地鶏のことを語らせたら誰にも負けない存在になることだ。」
イデアの社訓の一つに「長いものにはまかれるな。寄るな大樹の陰」というのがある。反骨心の強い独自の企業文化を持つイデア。その熱い血を冷めさせない努力を重ねている。
「車」丸の内店 外観
全文(有料会員専用)の見出し
・5店舗出店にかけた15年間
・熱い血が薄まる! 2度立ち止まった
・成長するとズレる。会社も出来る事を広げてやれ
株式会社イデア 専務取締役。1966年生まれ。福島県出身。NECに勤務後、お好み焼き「千寿」を経て、1996年イデア入社。2000年に専務取締役に就任。淀井勉オーナーの片腕としてイデアを牽引している。
株式会社イデア http://www.idea-co.jp/
【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2007年11月20日取材
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