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池袋にオープンした「お伽噺」は、全4店舗で500席という大箱ですね。
松村
まず、三井不動産から出店のお話をいただいたのですが、場所的には、同じビルの「芋蔵」(ジェイプロジェクト)も非常に繁盛している好立地。しかし、約250坪の広さですから1業態ではもったいないといことで、和の「竹取百物語」、豚料理の「三年ぶた蔵」、フレンチの「オペラハウスの魔法使い」、バー「竜宮」の4業態を「お伽噺」というパッケージにまとめました。
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御社のような細部にこだわったコンセプチュアルな店作りですと、かえって4店同時出店は大変なのではないでしょうか。
松村
スタッフは大変だと思います(笑)。「竹取百物語」では約300種類の焼酎、「三年ぶた蔵」では、10種類以上の豚肉に加えて、70種類の梅酒を管理しなくてはならない等、私たちの場合は1店1店のオペレーションなどの負担が大きい。それが今回は4店ですから。
でも、お客様にとってみれば、まったくコンセプトが違った店が4つもあれば、「次はどの店に行こう」と少なくても4回は、違う楽しみを味わっていただける訳です。お客様にいかに満足していただくかを考えると、私たちはやらないわけにはいかないんです。
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CIは、「お客様歓喜」ですね。
松村
内装、サービス、料理によって非日常性を具現化し、お客様に喜んでいただくことを目指しています。
例えば、通常のお店ですと、豚はせいぜい1種類から2種類ですが、「三年ぶた蔵」では、三元豚、白金豚など4大豚はもちろんのこと、静岡のヨーグルト豚をはじめとして全国各地から、合わせて10種類以上のブランドを用意して、毎日仕入れたものを店内の黒板に掲示しています。
それだけのブランドがあると、調理の場面では、どれがどの豚か分からなくなりますから、やろうとする飲食店がないのですが、それら他社にできないことをやれるのが私たちの強み。
全てはお客様本位を徹底しています。
——
お客様の反応はいかがですか。
松村
おかげさまで、売上も前年を越えていますので、喜んでいただけていると思います。
やはり、「お客様のために、お客様のために」とは言っても、内装、オペレーション、調理からロジスティックのどこかで妥協してしまうオーナーさんが多いのではないでしょうか。
私たちは、それらは全て後で考えます。
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コンセプト・レストランは、投資額も大きいし、すぐに飽きられてしまうと敬遠するオーナーが多いようです。
松村
私たちは、「VAMPIRE CAFE」からスタートしましたが、今も当時も飲食店というのは、膨大な数が至る所にありますから、その中でお客様に選ばれて繁盛店になるためには、普通のことをしてはダメだと思っていました。
そこで何を特徴にしようかと考えましたが、安易にショータイムなどを導入するのではなく、私たちはあくまで飲食店、レストランの範囲内で展開していきたかった。
その結果、きっちりとコンセプトに沿って作りこんだ上で、客単価にあった美味しい料理を提供することにこだわった店作りを目指しました。
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飲食店1店の寿命が3年と言われている中で、「VAMPIRE CAFE」は健闘しています。
松村
5年目になりますが、前年越えの成長を続けています。
その理由としては、「VAMPIRE CAFE」は、物理的にもコンセプトとしても、同じような店がなく、「VAMPIRE
CAFE」はオンリーワンの店ということ。
そして、私たちがさまざまな業態を展開するようになったので、店だけでなく、ダイヤモンドダイニングのファンが増えたこともあります。
「黒提灯」を気に入っていただけたお客様が、「VAMPIRE
CAFE」にも来店されるようなシナジー効果が生まれています。コンセプトを決めて店作りをしていますので、どこの店に行かれてもがっかりさせることがないんです。
——
なるほど、グループ内でさまざまな楽しみが味わえるんですね。
例えば競合する企業は、どこだとお考えですか。
松村
競合ではありませんが、ナムコさんの「チームナンジャ」を目指したいですね。外食はダメだと言われながらも、確実にお客様が集まる店作りをしているのは、見習うべきところがありますよね。
——
飲食業界に入ったきっかけを教えてください。
松村
大学時代4年間、「サイゼリア」でアルバイトしていました。当時はマリアーヌ商会という名前で、まだ社長が厨房でたまに鍋を振っていたような時代でした。そこで飲食の面白さを知ったことがきっかけです。
——
その後に、ディスコで働かれてますね。
松村
サイゼリアでは、徹底したコストカットに感銘を受けました。どうしたら、あの値段でお客様にお出しできるのかを、勉強させていただきました。
その後、自分自身の視野を広げようと思って、ディスコの他、飲食店やライブハウスなども運営している企業に入りました。企画を担当していたのですが、お客様からの反応が面白くて、毎日にように次々とイベントを仕掛けていました。「〜〜ナイト」などのイベントは、今のクラブでは当たり前ですが、まだ少なかった時代ですね。
——
そして、日焼けサロンをオープンされます。
松村
独立しようとディスコを辞めたんですが、飲食への志はあるものの、開業するほどの資金には届きませんでした。これからどうしようかなと思ってたんですね。
そこで、当時は私自身も行っていた「日焼けサロン」なら、他にはないお客様に喜んでももらえるようなお店が作れると思ってオープンしたところ、「顔グロブーム」とマッチして3店、4店と繁盛するようになりました。その頃になると、資金も貯まり、信用もいただいてましたので、2001年6月、銀座に「VAMPIRE
CAFE」をオープンすることができました。
——
サイゼリアでのアルバイト時代から長い道のりですね、焦りはなかったんですか。
松村
飲食店をオープンすることが夢だったので、半端なお店では嫌でした。
まずは、銀座であること。やはり日本一の場所で勝負したかった。山手線の外側ならば物件も手に入りやすく、安かったでしょうが、激戦区に出すことで注目していただけるでしょうし、そこで勝つことで次の展開もしやすくなります。
そして、こじんまりとした小さな店ではなく、大きな店ということですね。年間2億位の商売が目標。そうやって、自分なりにハードルを高く設定しましたので、多少時間が必要でした。それでも、「VAMPIRE
CAFE」のビルのオーナーさんには、「ウチのビルの中じゃ、君が一番若い」って言われたんですよ(笑)。
——
飲食業界には、ディスコ出身の経営者(フードスコープ今井氏、ジェイプロジェクト新田氏、イッツ長谷川氏など)が多いですが、ディスコとは経営者を多く輩出するような特別な場所だったんですか。
松村
今で言うとクラブになりますね。クラブはジーンズなどのリラックスしたファッションで踊りに行きますが、当時のディスコというのは、お洒落していく場所、(ストリートファッションではなく)例えばイタリア製のスーツを着て行くような所だったんですね。
それが、時代が変わり、クラブに移っていく中で、そういう場が無くなってしまった。私は、その辺をイメージしてレストランをやってるようなことろがあるかもしれませんね。だからといって、お客様にスーツを着て来て欲しいということではないんですよ。表面的なことではないんです。
それと、お客様を大切にするというのも当時のディスコで学んだことです。
——
スタッフの教育についてはどのようにお考えですか。
松村
私たちはマニュアルを作りませんから、意欲あるスタッフはどんどん自分で動くようになり、成長も早い。アルバイトで入って、社員になり、店長になっていきます。入社1年で営業部長になった者もいるほどです。
確かにマニュアルがある方が店舗運営は楽かも知れませんが、指示待ちの人間を増やすことになってしまう。私たちには指示待ちのスタッフは必要ありません。お客様のことを考えて、自発的に行動できるスタッフになれるように、各店長にはかなりの裁量を持たしてあります。
——
どの位任せているんですか
松村
料理に関して言えば、調整が店単位で可能です。商品開発部などを設けていませんから、料理の変更にいちいちそういう部署を通すタイムラグがなくなります。そして、メニューの印刷も自社内でできますから、料理の変更から掲載内容の変更までも、本当にスピーディーに対応できるんですね。
そうすることで、削減されるコストもありますから、それをまたお客様に還元できます。
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任せ過ぎは、怖くないですか
松村
全く怖くないです。運営に参加してもらうことで、スタッフもやる気が出ますから。自分の考えたメニューがお客様に喜んでもらえれば、もっと売れるメニューを考えるようになるものです。
それは、私自身が「VAMPIRE
CAFE」で、現場で感じたことです。
飲食業の醍醐味というのは、お客様の反応を見て、感じたことをすぐに店に反映させることではないでしょうか。だから、全店ともメニューは細かい変更が常に行われています。イベントに関しても本部から「こういうイベントをやるから」と命令するわけではなくて、自然とスタッフからこういうことをやりたいと企画が上がってくるようになっています。
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そういった社風だと、積極的な人間ばかりが集まってくるようになりますよね。
松村
そうですね。ただ、任せているといって言っても、数字のことだけに関してはうるさく言いますよ(笑)。経営に関しては、ディスコ時代に見てきたことや、サロンの経営経験などからなかり自信があります。
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2003年に六本木にオープンした「梟」以降、和食店が続きますが
松村
それはもちろん、お客様が和食を求めているからです。
次の赤坂「黒提灯」は、もともとフランス料理店だったところを居抜きで買ったんですが、「さて何をやろう」という時に、その店の斜め前の焼鳥屋が大繁盛しているのを見て、やっぱり赤坂では和食が求められているんだということで、私たちなりの和食業態を開発することにしたんです。
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それから、今年6月オープンの「魚頭 健蔵」まで和食が続きますが、ダサいとカッコイイのギリギリのセンスのネーミングですね。
松村
名前は大切にしていますよ(笑)。やっぱりお店とお客様が最初にコミュニケーションする部分ですから。例えば、「竹取百物語」なんかは、「何で、『百』なの?」って思ってもらえたら、すでに私たちの勝ちなんですよ。覚えてもらえるわけですよね。
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すべて、松村さんのアイデアですか
松村
そうですね、私の妻も考えてくれてたこともあったんですが、基本的に全て私です。意外とファッション誌などからヒントを得ますが、常にアンテナを張って、アイデアを見つけていますね。
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DMも凝ってますよね。
松村
インパクトが大事だと思いますから、いつも凝ってますよ。お客様が最初に見るところが、DMとホームページですから、力を入れています。これも全て、デザインは自社内でやっています。26歳の女性デザイナーと広報が中心になって進めています。
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その部分は、外注する企業が多いようですが。
松村
重要な部分ですので、外注はあり得ません。逆に、最近は他社からデザインとPR業務だけをやって欲しいというオーダーがある程です。また、店舗プロデュースはもちろん、ライセンス契約のお話も頻繁にあります。
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FC展開はお考えですか
松村
4000から5000円の客単価の店で、FC展開は私はあり得ないと思っています。店を作るだけなら可能ですが、私たちがやっているようなテーマを持ったレストランでは、充分なサービスを提供できるだけのオペーレーションが難しいでしょう。
それと、例えば100店舗あったら100ブランドあることが私たちの目標。同じ店を何軒も何軒も作るのは、ダイヤモンドダイニングではありません。
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8月には、新宿に「和食情緒 つぼみ」がオープンしますが、今後の展開をお聞かせ下さい。
松村
「和食情緒 つぼみ」は、花のつぼみの中で食事をしていただくようなテーマ・レストランです。(デザイン画を見ながら)これも凄いですよ、是非期待してください。
その後も、年末まで月1位のペースで出店を予定しています。その他、企画段階でまだお伝えできないんですが、例えばファストカジュアルなど、いままでにない業態にチャレンジすることも考えています。
スタッフにとっては大変な店、お客様にとっては良い店(笑)。
常にお客様の目線で、店作りをしていき、そしていつか「ダイヤモンドダイニング」と社名を冠した店をやることが夢ですね。必ずやりたいですね。
取材・執筆 本誌編集長 横田茂 平成17年7月31日
松村厚久プロフィール
67年高知県出身。
日本大学理工学部在籍中に、サイゼリアで4年間アルバイトを経験した後、日拓エンタープライズに入社。ディスコの企画・運営に携わる。98年に独立し、「エイアンドワイビューティーサプライ」を設立し、日焼けサロンを都内に展開。2001年に銀座「VAMPIRE
CAFE」で飲食業に参入、同年12月に株式会社ダイヤモンドダイニングに社名を変更。現在、年商8億円(今期17億円予定)。都内にコンセプチュアル・レストランを13店展開する。