フードリンクニュース2006.1.13
バルニバービ佐藤氏
1991年大阪に創業し、ダイニングバーやカフェ等を次々と出店するバルニバービ。当時、ミナミのアメリカ村を卒業した人達が行く店は少なかったが、南船場を瞬く間に大人の夜遊びスポットとして台頭させたのは、バルニバービの出店も大いに関係するだろう。2005年4月に、東京タワーの真下にバル レストラン「GARB pintino」(ガーブ ピンティーノ)と串揚げの「九四」の開店に続いて、話題の商業施設TOKIAにも鹿児島料理の「かのや きよし」を出店した。これからのレストラン経営にかける意気込みを、佐藤氏に語って頂いた。
ユニクロとサンローランを共存させる店造り

「ユニクロとサンローランを共存させる店造り」を目指しているという佐藤氏。飲食業を運営する前は、アパレル業を営んでいたという同氏らしいコメントだ。

客単価5万円の店では、全身ハイブランドで固めている人達向けの店となるが、安くて内装にも凝っていない店では、全身ユニクロでまとめた人達の店となる。今、一番お洒落なのは、ハイブランドとデイリーブランドを上手にプライスミックスした着こなしであり、性別や年齢層を超えた店を造りたいと語る。

「料理や内装、スタッフと全てはコーディネートが大切です。どこかをドレスダウンしたスマートカジュアルな店で、女子高生からお年寄りまで、この店は何かいいよね、と集まれる店が欲しかった」

GARB pintino
GARB pintino

「GARB pintino」

2005年4月、東京タワーすぐ隣にオープン。ポストカフェ世代を中心に人気があり、当サイトでも2005年でアクセスが非常に多かった一店。

 

と、佐藤氏。プライスミックスした店の答えのひとつがスペイン料理。小ポーションならば、カジュアルなバルとしての利用であり、コーディネート次第でディナー需要でも利用が可能だ。2005年4月に開店した東京タワーを望めるバルレストラン「GARB pintino」は、そんなスペイン料理のエッセンスを盛り込んだ店だ。

「一日で出店を決めました。昼と夕方と真夜中と時間を変えて三度も物件に足を運びました。東京タワーを見上げた時は心が天をかけめぐる、そんな高揚感がありましたね。」

かつては出店数を増やしすぎ、スタッフが追いつけなかったと語る佐藤氏。その後、数年をかけて店舗数のスクラップ&ビルドをはじめ十数店舗を閉店。

その中には、関東進出した店舗も含まれていた。当時は、バルニバービ関東進出失敗など面と向かって言った人もいたという。急激に増えたスタッフ全てをコントロールできずに、やめていった人もいた。スタッフを守れず、声をかけてあげることもできず、佐藤氏にとって最も厳しい時期であっただろう。

そうした中、もう一度初心に帰ってお客様へ丁寧なサービスができる店を造りなおすための、店の閉店だった。抱えすぎていた店とスタッフが、落ち着きを取り戻した頃、佐藤氏は再び東京へ出店することを決意する。

「やはり東京での出店は、最もインパクトがありますからね。会社を信じてくれた人達の為にも、もう一度この事業を再構築していくことを決意しました」

出店にあたり、佐藤氏は2004年の春から夏にかけて物件を探した。東京タワーを見上げるレストランの為に、テラス席を借りることができるのが大前提であったため、契約は難航したが何とか押さえることに成功。大阪から20代のスタッフを6人派遣し、全員が意欲万全で東京での開店日を迎えた。

スタッフとお客様が幸せになる店造り

同氏が店造りで最も大切にしているのは、居心地の良さ。

かのやきよし
かのやきよし

「かのやきよし」

2005年11月、東京丸の内「東京ビル」飲食フロアーにオープンした鹿児島料理店。鹿児島鹿屋市、アトレイトとのコラボレーション。

 

例えば、グラスが空になってから「お替りいかがですか」とは尋ねない。飲みたくないお酒を無理強いすることで、その場の売り上げを上げることはしないのもひとつの方針だ。

「居心地が良い店であれば、自然と売り上げは上がるんだな」と、佐藤氏。

スタッフが幸せでないと、お客様も幸せになれない。その店に合っていないスタッフがいれば、別の場を提供していくと語った。

外食企業には、多くの独立希望者が働いている。佐藤氏は、独立希望者になぜ独立したいのかを聞いてみる。
自分の好き勝手にやってみたい、自分の料理をお客様に出したい、好きなスタッフと営業したい、好みのインテリアにしたい。様々な回答が返ってくる中、佐藤氏はまずは退職しなくても、異動や新業態の開発等でスタッフの希望を叶える努力をする。

大阪 平野町にある 「かのや 篠原」は、そんな話し合いの中から誕生した店だ。店主の篠原氏は、人情があって常連客を大切にするタイプ。カフェよりも、カウンターの店の主(あるじ)に向いていた。

佐藤氏は、総資金のうち、篠原氏に300万円を出資させ、残りはバルニバービが用立て、彼をオーナーとした。当然スタッフの採用やメニューは全て篠原氏が行う。出資させたことで、店に対して責任を持たせたのだ。物件の家賃交渉や食材仕入れに関しては、同社を通した方が効率も良い。今後もこうした社内独立制度を行うことで、独立開業を目指す人の支援も行っていきたいという。

「全ての事業は確実に浮き沈みがある。弊社は15期になりますが、事業は10年経過してから第二ステージが訪れる。様々なことがありましたが、第二ステージ半ばの今年はいくつかやりたかったことが明確になっていく年だと思います」

と、佐藤氏は意欲を語った。今後、どんな業態の開店を行うのか。2006年は、楽しみなシーズンである。

バルニバービ佐藤氏 佐藤裕久(さとう ひろひさ)
株式会社バルニバービ 代表取締役
1961年京都府生まれ。神戸市外国語大学を中退し、アパレル会社で出店計画事業などに従事する。その後、バルニバービ総合研究所設立し、代表取締役に就任。後にバルニバービに組織変更。
現在、関西・関東を中心に数々のカフェ、レストランを展開。中古の倉庫や廃材を用いた手作り感覚のカフェで大阪・南船場の性格を決定づけた仕掛け人でもある。規制概念にとらわれない経営手腕で飲食業界を率引する。
直営店舗数  18店舗(大阪・東京・神戸・横浜)
年商16億円(2005年7月現在)

取材・執筆 本誌編集部 石田千代  2006年1月13日

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