「ユニクロとサンローランを共存させる店造り」を目指しているという佐藤氏。飲食業を運営する前は、アパレル業を営んでいたという同氏らしいコメントだ。
客単価5万円の店では、全身ハイブランドで固めている人達向けの店となるが、安くて内装にも凝っていない店では、全身ユニクロでまとめた人達の店となる。今、一番お洒落なのは、ハイブランドとデイリーブランドを上手にプライスミックスした着こなしであり、性別や年齢層を超えた店を造りたいと語る。
「料理や内装、スタッフと全てはコーディネートが大切です。どこかをドレスダウンしたスマートカジュアルな店で、女子高生からお年寄りまで、この店は何かいいよね、と集まれる店が欲しかった」
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「GARB
pintino」
2005年4月、東京タワーすぐ隣にオープン。ポストカフェ世代を中心に人気があり、当サイトでも2005年でアクセスが非常に多かった一店。
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と、佐藤氏。プライスミックスした店の答えのひとつがスペイン料理。小ポーションならば、カジュアルなバルとしての利用であり、コーディネート次第でディナー需要でも利用が可能だ。2005年4月に開店した東京タワーを望めるバルレストラン「GARB
pintino」は、そんなスペイン料理のエッセンスを盛り込んだ店だ。
「一日で出店を決めました。昼と夕方と真夜中と時間を変えて三度も物件に足を運びました。東京タワーを見上げた時は心が天をかけめぐる、そんな高揚感がありましたね。」
かつては出店数を増やしすぎ、スタッフが追いつけなかったと語る佐藤氏。その後、数年をかけて店舗数のスクラップ&ビルドをはじめ十数店舗を閉店。
その中には、関東進出した店舗も含まれていた。当時は、バルニバービ関東進出失敗など面と向かって言った人もいたという。急激に増えたスタッフ全てをコントロールできずに、やめていった人もいた。スタッフを守れず、声をかけてあげることもできず、佐藤氏にとって最も厳しい時期であっただろう。
そうした中、もう一度初心に帰ってお客様へ丁寧なサービスができる店を造りなおすための、店の閉店だった。抱えすぎていた店とスタッフが、落ち着きを取り戻した頃、佐藤氏は再び東京へ出店することを決意する。
「やはり東京での出店は、最もインパクトがありますからね。会社を信じてくれた人達の為にも、もう一度この事業を再構築していくことを決意しました」
出店にあたり、佐藤氏は2004年の春から夏にかけて物件を探した。東京タワーを見上げるレストランの為に、テラス席を借りることができるのが大前提であったため、契約は難航したが何とか押さえることに成功。大阪から20代のスタッフを6人派遣し、全員が意欲万全で東京での開店日を迎えた。 |