・どこからどう見ても民家にしか見えないカモフラージュ?
恵比寿駅西口から程近いマンションの2階に「中村玄」としか表札が出ていない、風変わりなレストランがある。看板も出ていないし、外から見れば植木鉢から茎・葉を伸ばした植物がみえるくらいで民家にしか見えない。
実際、外見上どこから見てもマンションの一室でしかない。しかし、扉を開ければ、いきなり正面にカウンターが見えて、忙しく働く店員の姿が眼に飛び込んでくる。見慣れた飲食店の光景ではあるが、初めて訪れた人は、外見と中のギャップに驚くに相違ない。
「中村玄」普通のマンションの一室のようなエントランス
「中村玄」民家にしか見えない店の外観
この店は10年前に「201号室」という名の和食の店としてオープンし、中華「中村昭三」、沖縄料理「中村圭太」、会津地鶏・日本そば・コラーゲン鍋「中村玄」と業態・名前を変えながら、営業を続けている通の間では結構知られたレストランなのだ。
店名が「中村玄」になったのは、昨年5月。経営は一貫して、イイコという会社が行っている。
中村一族が店の運営をしているかというとそうでもなく、イイコの横山貴子社長によれば「店の名前はその時のノリで付けてます」とのこと。
最初の「201号室」は文字通り201号室にあるからだったのだが、「中村昭三」は店のリフォームを手伝ってくれた知人の名前、「中村圭太」と「中村玄」は昭三さんの2人の息子の名前なのだそうだ。
ちなみに系列店の名前も変わっている。1999年にはすぐ近くに、同じタイプのマンションレストラン「続201号室」をオープン、現在はシンギスカンの「クラブ小羊」となっている。
2001年に中目黒の高架下に、見た目は作業場か町工場にしか見えない和食・居酒屋「村上製作所」オープン。その隣に「豚鍋研究室」があったのだが、再開発のため9月いっぱいで惜しくも退店である。ただし、「村上製作所」は営業を続ける。
さらに、渋谷・道玄坂にある「月世界」は有機野菜を使った中華の店で、今年4月にリニューアルする前は「ブーブーホテル」という豚料理の店。その前は「クラブ小羊」の2号店だった。
隠れ家のような場所で営業しつつ、飽きられるなどして下降線になると、業態も店名も柔軟に時流に合ったものに変更していくという独特のスタイルを取るのが、イイコのやり方だ。
「中村玄」カウンター
「中村玄」テーブル席
・もしダメなら店名も業態も変えて、同じ匂いの顧客集める
「中村圭太」から「中村玄」に業態変更したのは、雑誌などの記事で店のユニークさが話題になりすぎて合コン、団体需要が多くなり、本当に隠れ家としての雰囲気を楽しみたい人が寄り付かなくなってしまったからだという。
それで、料理の単価を上げて、厳選した日本酒やオーガニックワインなどお酒を充実させて、年齢層も高めに設定するリセットを行った。現状の客単価は5000円弱で、カップルが多いが、男女比は4対6で女性がやや優勢である。年齢的には30代が中心になっている。席数は45席。
顧客の入りは、隠れ家なので回転するタイプの店でなく、通常1回転、週末で1.5回転といったところだ。
看板のコラーゲン鍋(1600円、2人前〜)は、会津地鶏の骨の周囲の肉を香味野菜で10時間〜12時間煮込んだ、コラーゲンがたっぷり染み出たスープを冷し、ゼラチン状になったものをベースにした鍋。女性からは「翌朝肌がプルプルして化粧の乗りが違う」と好評である。
「中村玄」名物のコラーゲン鍋
「中村玄」コラーゲンせいろ。そばは手打ちの二八
コラーゲンせいろという、そばのメニューもある。そばは手打ちの二八そばだ。
地鶏では、もも肉1枚塩焼(1600円〜)、手羽先の唐揚げ(600円)などが人気である。
横山さんは元々、宝石、アクセサリー、ファッションなどの会社でOLをしていたが、脱サラを目指して貯金をはじめ、10年前に目標額に到達し、周囲に飲食に強い人がいたから飲食で起業したのだという。
「おいしい料理を出す、いいサービスをするのは当たり前のこと。どうすればお客さんが喜ぶか、マンションの2階で営業すればどう思ってくれるのかをいつも考えていますね。世間を知っているお客さんのアイデアに学ぶことが多いですね」と語る。
とはいうものの凡人が、そんな簡単に「中村玄」、「村上製作所」のような業態を思いつくはずもなく、横山さんがまれに見る奇想天外な才能の持ち主であることは疑いない。
最初創業時には、恵比寿ガーデンプレイスなどから帰宅する人を、店のあるマンションの前の道でキャッチして店の顧客を増やしていたという横山さん。店に合う人は、服装などから漂う匂いでわかり、ビラを配って会話しつつ興味を持ってもらったそうだ。
「同じ匂いのする人が集まるというお客さんの層こそが、一番の内装なんです。大切な人、大事な取引先をもてなす時に来てもらいたいです」。
業態が何度か変わっても、ずっと通ってくる常連もいるそうだ。
・事務所用途のスペースを企画書持参で家主と交渉し開業
代官山と恵比寿のちょうど中間あたりのマンションの2階にある「棗(なつめ)」は、2000年1月にオープンした創作系の和食の店。親しい人の家に招かれたようなダイニング空間で、料理好きな人ならつい真似してみたくなるような調理や盛り付けにて提供する、アットホームな雰囲気の店である。
料理はホームパーティーのように、大きな皿に盛って取り分ける形で提供する。テーブルは手づくり、壁も自分たちで塗ったというように、内装にもどこか温かみが感じられる。
「棗」エントランス
「棗」外観
オーナーでウータオ代表の五嶋佳代さんは、この店を開業するまではアパレル、ファッション関係の仕事に就いていて、外食の多い毎日を送っていたが、自分の好きなことである、食べること、飲むこと、食器、家具を1つのスペースに収めた店をつくれないものかと考えたのが出店のきっかけなのだそうだ。
仕事として店舗のプロデュースを手がけた経験もあり、飲食をセルフプロデュースをしてみるとどうなるかということでもあっただろう。
「棗」店内
「普通はこんな料理を出したいといったことから入るのでしょうけど、私はセオリーを無視して、どんな店なら楽しめるか、くつろげるかを考えてきました。飲食業界を知らなかったからできたのだと思います」(五嶋さん)。
なぜ、代官山だったのかというと、五嶋さんが働いてきたオフィスなどがずっとこのあたりだったので友人、知人を呼びやすいと考えたから。当時は「代官山アドレス」が建つ直前で代官山はミニバブル化しており、物件を探すのは容易ではなかった。現在地のマンションの2階は、家主としてはオフィスとして貸す予定だったが、五嶋さんは企画書を見せながら交渉し、出店を認められたものだ。
オープンしてみると、折りしもカジュアルダイニングのブームもあって大人気となったが、3年目くらいから客足が落ちてきた。一時は店を閉じようかと悩んだ時期もあったが、一昨年にランチを止め、ディナーに集中するようになってリピート率が高まりかつての顧客も戻ってきているという。
日曜は定休日だが、週末特に金曜日は予約が必要な状況だ。
40席あるが、回転するタイプの店ではなく、長居する顧客が多い。顧客層は20代〜50代男女と幅広く、女性がやや多いが最近は男性が増えてきたそうだ。
居酒屋ほどくだけてなく、高級レストランに行くのは堅苦しいといったニーズが多く、カップル、友人同士のほか、ちょっとした商談にも活用されている。
コースは3500円、5000円、7000円と3タイプあり、客単価は5000円前後。お酒はビール、ワイン、焼酎、梅酒など一通りそろっている。顧客の好み、体質、体調によるリクエストを聞いて、食材、提供量を柔軟に変える、きめ細かいサービスを心掛けている。
「棗」牛スジと極太エリンギの塩煮込み(1150円)
「棗」肉味噌チャーハン温玉のせ(800円)
また、雑誌や広告の撮影現場に届ける高級デリバリー需要が増えており、主に2000円以上の10食〜30食の注文が月に6本〜7本入る。
01年に渋谷に「莢(さや)」というバーも系列店としてオープンしているが、五嶋さんは今後は他店のメニュー考案、プランニングなどプロデュース業に力を入れていくとのことである。
・道玄坂の路地奥で密かに営業する“板前が作るビストロ”
一昨年12月、道玄坂からちょっと入った非常にわかりにくい路地の奥のビルの2階にオープンした「dogenzaka#202」は、渋谷の繁華街の中心にありながらも、人目につかない隠れ家の雰囲気を醸し出した店だ。
「この物件は何年か空いていたので、安く借りれたのですよ」との長瀬功一店長の言葉にうそはないだろう。実際3階には4店舗入居できるうちで、2店舗で借り手がつかないらしく、不動産会社のテナント募集の張り紙がドアに張ってあった。
「dogenzaka202」路地入口にある看板
「dogenzaka202」エントランス
「dogenzaka#202」はデザイナーズマンションのダイニングルームで友人とホームパーティーを楽しむような居心地の良い店を目指しており、カフェやラウンジのようなイメージと重なるが、創作的な和食のテイストが入った洋食、たとえて言えば“板前が作るビストロ”を提供するレストランだ。
旬にはこだわっており、2カ月に1度、グランドメニューが変わる。
客単価7000円〜8000円のややアッパーなダイニングに行きなれた人が、もう少し普段使いできるようにとゾーニングされた店で、コースは3500円からあり、平均客単価は5000円弱といったところ。席数は50席。
「最初カフェだと思われて、デザートだけ、お茶だけの人も多く、来にくい場所にあることもあって、オープンから3カ月ほどは苦労しました。しかし、5月に黒字になって以来、安定してきました。誕生パーティー、結婚式の2次会のようなパーティー需要が増えています。客単価も500円くらいですが、昨年より上がってきました」(長瀬店長)。
「dogenzaka202」メインダイニング
「dogenzaka202」ソファー席
テラス席
料理は自家製のピクルスやソーセージグリルがある一方、パスタ、肉料理、魚料理、野菜のてんぷら、サラダ、ロール寿司などバラエティ豊かにそろっている。量は多めで何人かでシェアする感覚だ。お酒はワインを常時、フランス、イタリア、オーストラリアが産地のものを50種類ほど置いているほか、カクテル、ウィスキー、焼酎、日本酒、梅酒とそろっている。
顧客は20代後半から30代の女性が多く、男女比では3対7で女性が優勢。女性または男女のグループ、カップルが主流で、ある程度収入のゆとりがある女性が、ゆっくりと食事ができておしゃべりしていける場所が渋谷には少ないので、ブログなどのクチコミで顧客が広がっているそうだ。
経営する、ぷん楽という会社は8年前に渋谷駅前「Qフロント」の中の和食ダイニングから始まった。営業していく中でスタッフは、顧客が成熟してきているのを目の当たりにし、席間が狭くあわただしい「ぷん楽」と違って、よりゆったりした雰囲気でおいしいものを食べてもらって、くつろげる空間を提供できないかとの思いが募った。これが「dogenzaka#202」が出店された背景である。
大箱の賑やかなダイニングを経営しているからこそ明らかになった、その店では解消できない不満をすくい上げるために出店する、マンションダイニングもあるというわけだ。
「dogenzaka202」さわらパスタ
・カップルに人気。魚卵料理が味わえるオートロックの店
マンションダイニングでも、1階でピンポンとブザーを鳴らして、入口を開けてもらうオートロックタイプの店は、人の家の部屋に食べに行くようなプライベート感が高い。
恵比寿駅西口よりほんの2、3分と近くにある「ikra」はそうした演出のきいた店の1つだ。奥まってわかりにくい路地にはあるが、外観も芸術的なビルの2階にある。オープンは5年前で、席数は50席。
店内に通されると、5メートルはあるだろうか。意外なほどの天井の高さに圧倒される。店内に何本か植樹されているのかと思ったら、生け花なのだそうだ。季節によって生ける木が変わり、秋は紅葉、クリスマス前はもみの木、正月は松というように変わっていく。
「ikra」店内、奥に暖炉が見える
「ikra」店内
「ikra」ロフト席
堀口智店長によれば「奥に設置されたファイアーサラウンドのある暖炉が入る天井の高い店を探していたら、ちょうど良い物件が見つかった」とのこと。
最初からオートロックの店を狙っていたのではなく、たまたま見つかったものが面白くて活用している感じだ。以前はアパレルのショールームだったという。
運営会社のフォームは2000年より立ち飲みカウンター「恵比寿駅前食堂」、今年3月からはダイニングバー「UNiCO」をも経営しており、恵比寿西口に3店かたまって出店しているが、マンション形式は「ikra」だけだ。
「ikra」のコンセプトは魚卵を使った料理を、モダンなイタリアンスタイルで提供すること。当初はキャビアハウスを目指していたがキャビアの値段が高すぎるので、タラコ、カラスミ、イクラ、キャビア、ウニなどの魚卵をトータルに食べられる店とした。
なお、“ikra”とはロシア語で“魚卵”を意味する言葉である。
「ikra」魚卵の盛り合わせ(5250円)
「ikra」生ウニとイクラのイカスミ麺フレッシュトマトパスタ(2520円)
空間は、空間プロデューサーの谷口江里也氏と、照明プロデューサーの海藤春樹氏によるもので、たとえばイタリアの古い漆喰の壁に対してソファーはモダンといったように、アンティークとモダンを調和させるような手法が取られている。
顧客層は20代〜60代と幅広いが、カップルが6割と過半数を占める。あとは30代くらいの女性の3、4人のグループ、50代男性2人の接待などのニーズが多いそうだ。
魚卵の盛り合わせ、魚卵を使ったパスタなどの人気が高いが、肉、魚を使った料理もある。お酒はワインの需要が高いが、シャンパン、カクテル、ウィスキー、ビールといった洋酒各種を置いている。
客単価は8000円〜1万円と結構高い。イクラやウニは鮨屋に負けないレベルのものを出しているので、自然と価格も高くなるのだそうだ。
「サプライズのある空間なので、お客さんが誰かを連れてくると優越感に浸れる面があります。外国の方にも和風っぽくて面白いと喜ばれています」(堀口店長)。
1日に2回転するが、週末は予約が必要な状況という。
・マンションから始めて有名店になるのも不可能ではない
さて、4店それぞれのマンションダイニングのありかたを見てきたが、隠れ家であるだけに空間のインパクトが大きく、劣化のスピードを遅らせる効果を持っていることは確かだ。
ダイニング激戦地である渋谷区の恵比寿、渋谷、代官山で成功を収めるのは容易ではないが、マンションダイニングはありきたりの店では満足できない顧客を取り込んで、比較的成功しやすい業態とも言えるだろう。
今回取材しなかった店では「ikura」と同じマンションにある和食の「福笑」、「福皆来」、日赤医療センター手前の東4丁目にある和食「dish」、寿司「すし家」なども、大々的な話題にならなくてもかなり知られた店である。
恵比寿の「ikra」、「福笑」、「福皆来」の入るビル
この白いビルの1、2階に「dish」、3階に「すし家」、地下1階にバー「TEN」が入っている
それは港区でも事情は同じで、六本木では、卵かけ御飯とメンチカツが人気のオートロックの和食店「ちょこっと」、名前はあえて伏せるが台湾鍋の店、ゼットン経営の東京タワーが見えるプライベートバー「imoarai」あたりは、マスコミにも登場せず、噂によれば紹介制でひっそりと営業していると思いきや、今のようなオーバーストアーの状況では、かえってそういう店を意地でも探していきたいというブロガーも少なくないのである。
赤坂の「東京ミッドタウン」の真裏にあたるマンションの一室のバー「Uchiyatei檜」も、タクシーですら行きにくい、見つけにくい住宅街にあって知る人ぞ知るといったような秘密めいた雰囲気を醸し出している。
しかし、23時間営業のイタリアンの店、ウェイトレスのベレー帽で知られる麻布十番「アザブハウス」のように芸能人御用達で有名になってしまうと、マスコミ取材拒否の姿勢もポーズに過ぎず、芸能人・ギョーカイ人ブログ大歓迎で、別種の“取材”を嬉々として受けている気がしてくる。
芸能人・ギョーカイ人御用達「アザブハウス」
それは同じようなにおいがする店として、昨年オープンした東麻布の東京タワーの麓にある小山薫堂氏プロデュースという創作フレンチ「タワシタ」にも言えることだ。こちらは何の変哲もない古いビルの2階にあるが、独特のイラストで描かれたメニューまでがブロガーにアップされまくっている実態がある。
この古いビルの2階に「タワシタ」がある
「タワシタ」のポストがかろうじて店の所在を知らせている
それにしても、携帯から高画質で写メを撮ってブログに簡単にアップできる時代に、本当の意味での隠れ家レストランなど営業できるのだろうか。
料理の内容まですべてブログでさらけ出される現状では、それを前提にマーケティングできる店が勝ち組になるのだろう。
元麻布には「クボウ」という高台に立つ、なかなか素敵なフレンチレストランがある。7年前にマンションの一室でひっそりとオープンしたのだが、2年前にそのマンションは取り壊されて、今では「クボウ」が同所の跡に建っている。
元麻布の高台にある「クボウ」は、以前同じ場所に建っていたマンションの一室にあった
アパレルなどの世界では、マンションメーカーからトップブランドに成長した会社が幾つもある。それと同じように、レストランの世界でもマンションの一室から始めて名を成す店になることも、可能な時代なのである。
六本木のこの路地あたりには、マンションレストランが多い