フードリンクレポート


ダイヤモンドダイニングが目標の折り返し点「50店舗50業態」を達成

2007.11.2
「100店舗100業態」達成とともに「業態開発ナンバーワン企業」を目指すダイヤモンドダイニングが、10月19日にオープンした鍋専門店「あくとり代官 鍋之進」によって、折り返し点である「50店舗50業態」に到達した。そこで、松村厚久社長に50店舗までの歩みを振り返っていただくとともに、今後の展望をうかがい、急成長を続ける同社の強さと課題を浮き彫りにしてみた。


50店目、「あくとり代官鍋之進」の前に立つ松村社長

50店目は初の鍋専門店を飲食施設「渋谷SEDE」にオープン

 ダイヤモンドダイニングが50店目としてオープンした「あくとり代官 鍋之進」のスタートは、「100店舗100業態」を目標とする同社の折り返し点にふさわしく、たいへん華やかなものとなった。

「あくとり代官 鍋之進」は10月19日、渋谷マークシティ横の渋谷中央街側にオープンした「渋谷SEDE(セーデ)」という商業施設内3階にある、同社としては初の鍋専門店。

「渋谷SEDE(セーデ)」には地下1階から5階まで飲食店が1店ずつ入居しており、「あくとり代官 鍋之進」以外も、地下1階にダイニングバー「渋谷BEE8」の2号店「クリスタル・ビー・ハウス」、1階に地中海のリゾートであるサルディーニャ島をテーマにしたイタリアン「タロス」、2階に宮崎地鶏炭火焼「車」、4階にDJも入る酒場食堂「インソムニア」、5階にアイリッシュパブ&レストラン「フォルチェ」となかなかの力作ぞろいで、渋谷でも昭和の雰囲気が色濃く残る南口界隈を活性化する起爆剤になりそうな施設である。


渋谷SEDE

 事業主は楠本商店という地場の質屋であるが、オープンに先立って17日夜に行われたレセプションでは、よくあるプレス・関係者限定ではなく、1000円の入場料を払えば一般の人も入場できて全店食べ放題の形式を取った。事業主としても初めて手がけた商業施設であり、地元の人にも楽しんでもらえるようにとの配慮だったわけだが、案の定顧客が押し寄せ、一時は入場までに1時間待ちの大行列ができたほどだ。


「あくとり代官鍋之進」店内、代官屋敷をイメージした。


「あくとり代官鍋之進」店内、代官屋敷をイメージした。


「あくとり代官鍋之進」店内、2人鍋席

 当然、どの店も人があふれかえって大盛況だったわけだが、「あくとり代官 鍋之進」においても自慢の鍋のうちの6種類を用意し、スタッフ一同てんてこ舞いの忙しさで鍋をつくり続けた。

 さて、この「あくとり代官 鍋之進」は定番鍋を7種類、旬のお勧め鍋を3種類以上食べられるという、これからの宴会シーズンに活躍しそうな店である。

 値段は一人前1480円から2800円までとなっており、顧客単価は4500円を想定している。席数は7つの個室を含んだ86席。

 定番鍋は、水炊き、塩ちゃんこ、豚シャブシャブ、雪見鍋、チゲ鍋、カレー鍋、すき焼きというラインナップ。一方、現状の旬のお勧め鍋は、猪豚味噌鍋、知覧鶏つくねと山菜の田舎鍋、かきしゃぶ、鴨南蛮鍋、鱈のカマ鍋(1日限定2食)といった5種類がメニュー化されている。

 ただ、種類が多いだけでなく、たとえば鍋は美濃焼のオリジナルで焼いておりメニューの種類によって変えている。味の決め手となるダシも、メニューによって1つ1つ変えるといった、手の込んだことを行っている。


あくとり代官鍋之進の鍋の数々


若者に人気のカレー鍋


多彩な鍋メニューを1つ1つじっくりとつくり込んで提供

 メニューの1つ1つにもこだわりがあり、たとえば雪見鍋はアサリの酒蒸しを食べた後のダシ汁で、新鮮なブリのシャブシャブを味わうというもの。豚シャブシャブは温泉水を使った鶏ガラベースの豆乳スープで湯豆腐を食べた後、そのダシ汁で豚シャブをいただく。カレー鍋は、深夜23時以降の夜鳴きメニューで、24種類のスパイスを使う牛すじホルモンの鍋である。

 シメにも、定番である雑炊、うどんに加えて、新しくあっさり系の塩ちゃんこや雪見鍋では焼きおにぎり茶漬を提案したり、豚シャブシャブではチーズを加えた洋風のニョッキを楽しんでもらうといったように一工夫がある。


あっさり味の塩ちゃんこ


女性に人気の豚シャブシャブ


中高年に人気がある、浅利とブリの雪見鍋

 また、注文してから鍋が出てくるまでの間を飽きさせないように、前菜、揚物、サラダ、炭火焼のメニューも一般の居酒屋並みに充実。同社の他店と同様にお酒も、ビール、焼酎、梅酒、ワイン、日本酒、サワー、オリジナルも含めた各種カクテルと、今回も豊富なラインナップをそろえている。

 松村厚久社長に「50店目到達の感慨はないですか」と質問すると、「たまたまこの店が50店目になっただけで、特別この店がというのはないです。ただ、3年前から鍋の店を出したいとずっと構想を温めていまして、ちょうど今期15店目の最後に出店する店で実現できたのは、区切りになったとは思っています」とのことで、まだ半分の50店舗50業態が残っていることもあり、あくまで通過点であるとの慎重な姿勢を崩さなかった。

「あくとり代官 鍋之進」にはちょっとしたストーリーが設定されている。近くの代官山にあったとされる代官屋敷をイメージした内装の店で、それぞれの顧客に鍋奉行になってもらおうとの趣旨である。そのための、鍋の作り方を記した指南書も用意している。

 そして、店のスタッフは鍋奉行に仕える代官にすぎないとのことだ。

 ダイヤモンドダイニングの業態開発の特徴である、ストーリーを作り、豊富なメニューとインパクトのある内装で顧客を飽きさせないようにしようという過剰なまでのサービス精神は、この店においても存分に発揮されている。

「鍋というものは1回行って1種類しか食べられないです。団体で行ってもせいぜい2種類でしょう。しかし、これだけの種類をそろえているから、何度でも楽しめますし、ウチは鍋屋の王道だとアピールできます」。

 目標月商は1500万円とのことだが、年輩層に好評な雪見鍋や塩ちゃんこ、女性に受けがいい豚シャブシャブ、若い人に人気が高いカレー鍋やチゲ鍋と、20代半ばから50代まで幅広く客層を集めるマルチなメニュー開発を行っている。なので、さまざまな顧客層からリピーターが見込め、かつ1つか2つの看板メニューが失敗したら屋台骨が揺らぐような脆弱さが見えないのが強みだ。

業態の性格上、夏場の集客に課題は残すものの目標達成は十分可能であろう。


学生時代のアルバイトと就職したディスコで飲食を学ぶ

 このような顧客を喜ばせるために、盛りだくさんの内容を1つの店舗に詰め込むダイヤモンドダイニングの手法は、創業者である松村社長の経歴に由来するところが大であるように思われる。

 今までの各種メディアのインタビューで明らかにしているように、松村社長の飲食ビジネスとの出合いは、大学時代に4年間アルバイトをしたサイゼリヤにある。

「千葉県の津田沼駅前の地下にある店でしたが、夕方5時にオープンすると即、満員になるほど繁盛していました。階段の上まで連日、行列ができていましたよ。今はもうその店もなくなってしまいましたがね。

 常連のお客さんもいっぱい来ていて、おいしいね、安いね、また来るねと、本当に感謝してくださるんです。飲食っていいなあ、これをやるしかないなあと思いましたね」。

 当時のサイゼリヤはまだマリアーヌ商会という名の小さな会社で、店の数も少なかったが、サイゼリヤが全国に拡大していく姿を目の当たりにして、松村社長のレストラン業への夢が膨らんでいったことは想像に難くない。

 しかし、大学卒業後はサイゼリヤなどチェーン系の飲食企業に就職するのではなく、ディスコを経営していた日拓エンタープライズに入社した。

「サイゼリヤは徹底的にコスト管理をしていく会社だったので、今度はその逆の設備投資に何億とかけるような店で働いてみたかったんです」。

 ディスコではサービス第一の精神を、軍隊形式で仕込まれた。灰皿には3本以上の吸殻を溜めてはいけないなどさまざまなマニュアルがあり、できなければ叱られ叩かれた。奴隷になれとまで言われた。

 しかし、松村社長が入社して2年ほどでバブル景気は弾け、たちまち閑古鳥が鳴くようになってしまった。カラオケボックスの普及がはじまり、低価格のキャバクラも増えて、夜の遊びが多様化したのもディスコ衰退に拍車をかけた。

「はやり廃りのあるものは、こんなにも恐いものかと身をもって知りましたよ。

毎日あれだけ満員で服装はチェックする、男性同士は断ると殿様商売だったものが、一気にお客さんが引いてしまうんですから。最後は六本木で2つの店の店長を任されていましたが、日替わりでイベントを仕掛けて集客をはかりました。それでも採算が合う程度で、全盛期にまでは及びませんでした」。

 アイデアマンの松村社長は、女性がタダのレディースナイト、ボディコンナイト等々のイベントを企画し、それを雑誌やテレビのようなマスコミに売り込み、さらに記事や番組を見た顧客が集まってくるという循環をつくり出した。ついには、“黒服四天王”と呼ばれ、テレビ局から電話がかかってきて、深夜番組の企画に協力するようなことまでやっていた。

 単に店を開けていても顧客が集まらない不況業種を経験し、企画の大切さを学んだ。その経験が今につながっているという。


6年の準備を経た渾身の第1号店「ヴァンパイアカフェ」

 それでも集客に限界があると見ると、日拓エンタープライズは元々の本業であるパチンコに業務を絞ってきた。会社に残ってパチンコの仕事をするか、独立するかという選択に迫られ、1995年に退社し独立を選んだ。その背景には結婚もあった。

 本当は即行で飲食を始めたかったが融資してくれる銀行もなく、資金不足のため、日焼けサロンを開業した。勝算はあった。当時の日焼けサロンは店内が汚く、言葉遣いも悪い店ばかりであることを、自ら通って知っていた。

 店をきれいにして、サービスを良くすれば、狙いどおりはやったのである。

 しかし、日焼けサロンは設備さえあれば開業できる装置産業であるので、だんだんと競合店の店内がきれいになり接客も向上してくると、価格競争になってきた。そろそろ潮時と見た松村社長は、貯まった資金とついてきた銀行の信用でいよいよ飲食への進出を考えるようになった。

「考える時間が6年あったのが良かったのです。あの時ストレートに飲食を始めていたら失敗していたと思います。いろんな店を食べ歩き、大阪や名古屋の店も見て、絶対の自信を持って第1号店を出せました」。

 そうして2001年に出した飲食初進出の「ヴァンパイアカフェ」は、松村社長としては練りに練った店であった。

 店舗の立地は、銀座を決め打ちにした。

「業態にはメッカというものがあります。ディスコなら六本木がメッカ、ホストクラブなら新宿がメッカ、オタク産業なら秋葉原がメッカ。では、飲食ならメッカはどこか。銀座ですよ。

 たとえばメイド喫茶を秋葉原以外で開業しても、誰も話題に取り上げてくれないでしょう。秋葉原でやるから意義があるんです。だからどうしても銀座だったんです。銀座ならマスコミに取り上げてもらえる回数が、各段に増えますから」。


「ヴァンパイアカフェ」こうもりのシャンデリア


「ヴァンパイアカフェ」血の廊下


「ヴァンパイアカフェ」六角形のドラキュラの棺はオーダーメード


「ヴァンパイアカフェ」ユニークな料理も魅力、★棺桶に封印★牛ほほ肉のワイン煮 トリュフの香り


「ヴァンパイアカフェ」火炙り処刑台 キャラメルブリュレ


「ヴァンパイアカフェ」★聖なる十字架★黒いマントに包まれたVANPIRE風生春巻き

「ヴァンパイアカフェ」の絶対的な自信の根拠は、どこにあったのか。

「まず、ドラキュラみたいな名前からしてインパクトがあるじゃないですか。頭に残りますし、そうなるとマスコミの方にも取り上げてもらえますからね。実際、取り上げてもらえましたし。

 よく、フランス語だかイタリア語だかで、誰も読めないような店があるじゃないですか。オーナーには思い入れがあるんでしょうが、そういうのはダメなんです。とにかくストレートで面白いものでないと。飲食というものは、食べておいしければ最終的に繁盛すると思うんですよ。でも、普通の人が読めないような店名の店は、集客するのに時間がかかり過ぎるんです」。

 ダイヤモンドダイニングの店の名前には、ユニークなものが多い。「ヴァンパイアカフェ」、「あくとり代官 鍋之進」のほかにも、「ベルサイユの豚」、「幻想の国のアリス」、「肉屋 山本商店」、「個室乃華 夜桜美人」、「竹取百物語」、「三年ぶた蔵」、「伊達鶏専門店 伊達男」等々。中にはこの店名を真剣に会議して決めているのかと思うと、ふき出しそうなものもあるが、独特な笑いを誘ったり、イメージが膨らんだりするようなネーミングが、強い印象を与えているのも事実である。

 01年頃は、「モンスーンカフェ」、「キリストンカフェ」、「エレファントカフェ」のように、ダイニング系の店にカフェとつけるのがはやっていた。ネーミング には、そのあたりも考慮に入れた。


ドラキュラ伯爵の館をイメージしたレストランが大成功

 内装は松村社長が考えた、ドラキュラ伯爵の館がイメージされている。入口に『魔除けの十字架』を配し、店内はドラキュラが眠る棺桶やコウモリが飛び交うシャンデリアなどの怪しい演出が満載だ。

しかし、イベントの時以外はショータイムなどでドラキュラは一切出さない。そこはヴァンパイアをイメージした、イタリアンやフレンチをアレンジした創作料理を、想像力で食べてもらうというのがミソである。

 接客にあたるのは、館に仕えるメイドと執事という設定だ。

「僕らは俳優じゃないですから、ショータイムをやりだすとお客さんの要求はどんどん高くなってついていけなくなります。チープな学芸会になってしまうんですね。あくまでレストランである趣旨は外さないということです」。

 このあたりは、監獄レストラン「アルカトラズ」などで一世を風靡したエンターテイメントレストランの創始者である、エイチワイシステムの安田久社長を師と仰ぎながらも、継承しなかった点である。そのエイチワイシステムは、今は郷土料理に軸足を移して再び快進撃している。

 ダイヤモンドダイニングの「ヴァンパイアカフェ」、「迷宮の国のアリス」、「プレンセス ハート」などの非日常を演出したコンセプトレストランは、他社の類似した業態が衰退したにもかかわらず、今も安定した売り上げを保っているという。

「秋葉原のメイド喫茶はたまたま飲み食いできるというだけで、誰も食事をメインに行ってないから学芸会でいいんです。メイド喫茶は圧倒的に男性のお客さんが多いですが、ウチは女性のお客さんが圧倒的で男性は逆にほとんどいません。そこはレストランとして認知されているかどうかの違いですね」。

 顧客は好奇心旺盛な普通のOLが主流で、ゴスロリなどを着ているオタク女性はむしろ少ないのだそうだ。もっと正確に言うと、週末にはオタク女性の来店が増え、コスプレイベント後のパーティー需要なども多いとのことだ。

 集客に関してはオープニング前のプレスパーティー前に、スタッフを主要な情報誌・女性誌の編集部に営業に行かせ、誰かしら来るという約束を取りつけるまで戻って来るなと厳命した。その効果があって、プレスパーティーも盛況に終わり、情報誌・女性誌に一斉に取り上げられて、一気にブレイクした。

「オープンしてから1ヶ月後くらいにバンバン雑誌に載り出して、爆発しましたね。電話が鳴りっぱなしでしたよ。1店舗しかなかったわりには、当時から我々が有名だったのはインパクトが強かったからですよ。それがいまだに続いているということでしょう」。

 このあたりのマスコミを使った宣伝の手法は、ディスコで学んだノウハウである。若い女性をターゲットにしたのは、クチコミで情報が伝わるのが早いからだ。しかし現在は、インターネットも普及し、会社の知名度も上がってきたので、常にこういった方法を取るわけではない。

 ただ、その頃ゴスロリを知らなかった松村社長は、この独特の服装をした女性が集まってきた時にはさすがに驚いたが、本を取り寄せるなど勉強して彼女らの趣味もハロウィン、クリスマスなどのイベント企画などに生かしていった。折りしも勃興してきた秋葉原のメイド喫茶ブームとも連動し、「ヴァンパイアカフェ」が現在まで続くメイドブームの先駆けの1つともなったのである。


「ヴァンパイアカフェ」ドラキュラの館に仕えるのはメイド、デザインは鈴木克典氏

「7年前にオープンした当時と、メニューはドリンク以外、全部変わっています。お客さんに喜んでもらえるように、常にブラッシュアップしている結果です」。

 内装も5周年記念にそれまで白かった部分の壁を黒く塗って、新たに『漆黒儀式の間』が誕生している。

 そうした改善の意識が働いているのが、店舗が廃れず、これまで1店も不採算によって閉めた店が出ていない要因となっている。

<ユニフォーム・コレクション>

「プリンセスハート」のメイド


「スコティッシュグラマー」


「迷宮の国のアリス」


「竹取百物語」の巫女


「夜桜美人」


居抜きを再生した「黒提灯」のヒットで業態開発に自信

 01年暮れに社員一同集まった時、松村社長が全員の前で語ったことは「なんとか5年以内に3店舗にしたいね。そうなれば組織になるね」といった希望だった。それが実際には30店舗以上になったのだから、予想だにしない急成長だったようだ。

 2年後の03年には六本木に「a.t.cafe」オープン。カフェのノウハウが当時あったわけではなかったが、六本木ヒルズがオープンしたばかりだった恩恵を受けてそこそこはやり、続いて銀座に「迷宮の国のアリス」をオープンして3店舗を達成できた。

 この時点ではまだ、チェーンか個店かなどは考えず、自分たちの出したい店をつくっていたという。なお、前年の12月に株式会社に改組しダイヤモンドダイニングと商号を名乗っている。

 ターニングポイントとなった店は、翌04年に出店した赤坂の「黒提灯」である。元々はフレンチの店を買い、居抜きで当初はきれいな真っ白い内装を生かして高級オイスタバーに変える予定であったが、目の前の焼鳥屋が繁盛しているのを見て、計画を変更。


居抜き物件成功例「黒提灯赤坂」外観


元はフレンチの店を再生させた、「黒提灯赤坂」の店内

 壁を黒く塗ってベタな焼とん・焼鳥の店にした。

「これがマーケティングの第一歩でしたね。実際に現場に行って街を見渡して、その場所に合った業態を出店するわけです。それまでの僕らの勝手に思い込んでいた赤坂のイメージは、お金持っている社会人がたくさんいらっしゃる街でした。でも、ベタベタな焼鳥屋に行列ができているのを見た時には、ハッと目が覚めましたね。焼鳥もありなんだと。

 この業態が当たった瞬間に、僕らは業態開発ができるんだと確信しました。
居抜きの店は他社さんが失敗した場所ですから、よほどの業態開発力がないと成功させるのは難しいんです。しかも厨房もクーラーの位置も決まっている、ゼロからつくれないわけで、条件が制約されています。そうした中で低予算で繁盛店になりましたから」。

 松村社長は、銀座と新宿はまったく違う街だし、銀座でも1本でも通りが違えばまったく条件が変わってくる。また、3年も経てば環境もまったく変わってくる可能性がある。

 それらのファクターを考慮して、地域に合ったいつでも微調整できる業態をつくらないと時代に乗り遅れると力説する。言葉を変えれば、流行を追うのでのはなくて、持続可能なコンセプトの業態であり、絶えざる改善の意識を持って店を熟成するということなのだろう。


居抜き物件成功例 「波平」の怪しい個室も、元はトレンディな空間だった。その痕跡はどこにもない


居抜き物件成功例 「波平」は元はおしゃれなアジアンダイニングだった


居抜き物件成功例 「プリンセスハート」は居抜き物件を魔女の森に変身させた


ラゾーナ川崎プラザ「パトラッシュ」で商業施設に進出

 もう1つの飛躍のきっかけとなった店は、昨年9月に、ラゾーナ川崎プラザに出店したベルギービール専門店「パトラッシュ」である。今は首都圏の商業施設に当然のように出店しているダイヤモンドダイニングであるが、実はこの店が商業施設出店の1号店であった。

「パトラッシュ」は好調なラゾーナ川崎プラザのレストラン群の中でも、特に繁盛している店の1つであり、同社の業態開発力の高さをディベロッパーに対して証明してみせた。


ラゾーナ川崎プラザ、ベルギービール専門店「パトラッシュ」店内


「パトラッシュ」外観


「パトラッシュ」料理

 これはラゾーナ川崎プラザのディベロッパーである三井不動産から、ベルギービールというお題をもらって業態開発を行った店であり、出したい店を出していた従来の業態開発とは異なった生い立ちを持っている。

「ベルギービールは1つ1つグラスも違えばコースターも違いますし、種類を集めるのはたいへんです。しかし、我々はいちばん多くの種類を集めようと思いました。酒屋は使えるところは全部使うように指示しました」。

 こうした数で圧倒する手法は、50店目の「あくとり代官 鍋之進」でも取られている。希少な酒にしても、鍋の食材にしても、集めれば集めるほどに流通ルートは複雑になり、オペレーションも難しくなる。しかし、いったんその問題は棚上げにして、顧客に喜んでもらえることを最優先に考えるのが、同社の業態開発の特徴である。

「お客さんを楽しませるデザイン性と、働きやすさを考えた機能性とは反比例するところがあるんです。両者のバランスをとった落としどころは難しくて、いつも悩みます。

 でも、僕たちはまずお客さんに楽しんでもらいたい。最近の回転寿司のように、お客さんが手に取りやすい速さでベルトコンベアーを回して、廃棄率を計算して自動的に何回転かしたら捨てるなんてのは、順序が逆だと思うんです。効率も追求はしていますが、そこから入るのはお客さんを見てないことになりますね」。

 たとえば単一業態のチェーン店ならば、効率性は高いだろうが、どのような物件に対しても同じ店しか出せない。だから、同じ街に幾つもの店は出せない。しかし、ダイヤモンドダイニングは立地に合ったマルチコンセプトの店づくりをするので、同じ街に異なった業態の複数の店舗を出店できるのである。

 また、サービスに関しても1人の店員が改善のアイデアを持っていても、チェーン店的な発想なら、マニュアルにないと却下される。同社の場合は日々の改善はストレートに奨励すべき先例となるのである。

 もちろん、効率は無視するのではなく、なるべく山手線内に店舗を出店してエリアマネージャーの管理や配送コストに有利な条件をつくっている。共通する食材はスケールメリットを追求し、肉なら何種類かから選べるようにしておいて、それ以外のものを使いたいなら稟議にかけるといったコストダウンも徐々に進めている。

 しかし、そういった効率化の努力はまずお客さんが喜んでもらえるかどうかの次に考えるという順番を貫いているのである。


横浜市都筑区ノースポートモール、「しゃぶしゃぶ・すきやき 肉屋山本商店」


たまプラーザ・ゲートプラザ1、「フレンチブッフェレストラン ブラッセリー・アンブラッセ」


銀座マロニエゲート、「琉球料理・島野菜 土の実」


銀座ニッタビル、スコティッシュパブの「スコティッシュグラマー」


増収減益の中間決算は目標に対して未達の印象を残した

 さて、このように書き綴ってくると、ダイヤモンドダイニングの現状に不安は何もないように見えるが、全部いいところばかりというのも優等生過ぎる気がする。

 10月12日に発表された2007年8月期中間決算では、売上高27億1500万円(前年同期比80%増)、経常利益7200万円(同52%減)となり、増収減益の決算となった。

 大幅な増収のわりには、大きな減益となったのは前期が6店舗の出店だったのに対して今期は11店舗と5店舗出店数が多く、新規出店のコストが余計にかかったためとのことだが、やはり未達の印象は残している。

 また、株価の33万9000円(10月29日終値)で計算すると、時価総額は19億900万円となって、売上高に比べてもかなり低い評価である。

 これについて、飲食およびベンチャーの市場に詳しい、いちよし経済研究所企業調査部第一企業調査室長・主任研究員の鮫島誠一郎氏は、「このくらいの規模の小さい会社では、出店を多くすると、物件取得や採用でコストが予想以上にかかってしまうことはあるのでしょうね。飲食は4月から9月くらいで出店して12月と3月でパッと稼ぐのが常道ですから、毎4半期増収増益を求める今の日本の市場がちょっと行きすぎなんでしょう。

 ダイヤモンドダイニングだけでなくて、飲食の会社の株価はどこも低すぎますが、年間トータルで稼ぐ業態であることを、うまく投資家に伝えるようにしていかないといけないですね」と語る。

 つまり、飲食業自体がこれから始まる日本の人口減により市場縮小を不安視されていること、真似されやすい業種であること、毎4半期で増収増益にならないと不安定な会社と見る市場の見方などから、成長産業と考えられていないので、この会社の株価も上がらないのである。

 今年3月6日にヘラクレスに上場し、信用の面では従来より物件が借りやすくなるなどのメリットはあっただろうが、株価の低迷は誤算ではないか。同社だけでなく業界全体の問題だが、投資家に会社の収益構造をいかに伝えていくのかは、1つの課題だろう。

 通期では売上高59億9300万円、経常利益3億7300万円を見込んでいるが、決算ではどのような結果が出るか、楽しみである。

 既存店の売り上げ前年同期比97%は業界平均よりも3〜4%ほど高く、これも健闘していると言える。閉めなければならないほどの不採算店は皆無とのこと。

 ただ、松村社長にとって不本意なのは、21世紀のファミレスとして、ららぽーと豊洲に出店した「キャンディ」が思ったほど伸びてないことである。それに反してディベロッパーなどからの評価は、非常に高いのだそうだ。

 また、同じららぽーと豊洲にあるスペアリブ専門店「ガブ・リブ」も、一度施設の外に出ないとたどり着けない場所にあるので、夏はいいのだが、寒い冬に弱い面を持っている。

 とは言え、豊洲地区は今後人口増が見込める地域であるので、ららぽーと豊洲自体がこれからの施設だ。巻き返すチャンスは十分あるだろう。


ららぽーと豊洲、「キャンディ」の外観


ららぽーと豊洲、「ガブ・リブ」


社員に権限を委譲し、企画を考えさせて人材を育てる

 スケールメリットを生かした効率化の問題はどうなのか、鮫島氏に聞いてみた。

「私は飲食の会社は100店舗を超えるまでは効率を追わないほうがいいと考えているので、これからでしょうね。100業態をつくると言っているのですから、メニュー数を絞って、食材を絞って、大量に仕入れるという方向ではないでしょうが、調味料など共通化できるものはあるでしょう。

 それに、ワタミのようなチェーン系居酒屋に比べても、客単価が高い分だけ粗利率も高い有利さもあるわけです」。

 今後、ダイヤモンドダイニングは年間15〜18店舗の出店を3年間続けて、店舗数を100に持っていく計画を立てている。それだけの店舗数を任せられるだけの店長、エリアマネージャーなどのリーダーは育つのだろうか。

「チェーン系のようにしくみが重要なら、どの店もやること、メニューも一緒なのでそこそこのレベルの人なら誰でも店長になれるでしょう。ところがダイヤモンドダイニングの場合は、店によって業態もメニューも客層も違うので、人材にウエイトがかかってきます。クオリティ、サービスを維持するために、どう教育するかは、今後の大きな課題になってくるでしょうね。

 店長クラスはしんどいでしょうが、やりがいがあって人が育つ面はあると思います。際立って不振な店がないのは、今のところ松村社長が社員にうまく夢を持たせているのでしょう」。

 松村社長も人材育成の重要さは自覚している。今年から新卒を採用し、29人が入社したが、辞めたのは3人だけで歩留まり率がかなり良い。来年は50〜60人を採用し、近い将来、会社に対する思い入れが高い新卒が社員の半分以上を占めるようにしたいとのことだ。

 また、経験の浅い社員にはお酒の講習、サービス講習のような講習を頻繁に開いて受講させ、エリアマネージャーには会社の経営がわかる講習を受けさせるといったように、レベルに応じた教育には力を入れている。

 松村社長は「今のところ僕が全部やったほうが精度の高い店ができますが、それをしてしまうと人が育ちません。たとえばロゴは匿名で全員の図案を壁に張って、社内でコンペをして決めています。メニューも現場の裁量で、新しいものがどんどんメニューブックに載ります。

 良いことかどうかはわからないんですが、まだウチから1人も独立した人がいないですね。独立しなくても 会社の資産を使ってニューオープンできることに魅力を感じてくれていればいいのですが…」と語っている。

 なるほど、松村社長は社員にやる気を起こさせるように、権限を委譲して、いちいち細かいことに口出ししないそうだ。とかく、飲食の会社の社長は現場が好きでありすぎて経営者になりきれない人が多い中で、これから成長して中堅企業になっても、社長業をこなしていける資質を持っている。

 ただ、独立する人がいない件に関しては、もう少し元気のあり余るような社員がいてもいいのではないかと感じているようだ。


ラインナップをそろえる店づくりで繁盛した例、日本中の産直銘柄豚をそろえた、「三年ぶた蔵」


ビュッフェの豊富さに梅酒百選も魅力「大地の贈り物」


北京五輪後に起こるであろう景気後退にいかに対処するか

 人材育成ともリンクするが、ダイヤモンドダイニングは業態開発を行う際には、企画、広報、デザイン、販促、店長候補といった組織横断のチームをつくり、通常の業務をこなしながら進めているのが大きな特徴だ。

 これを“チームファンタジー”と呼んでいるが、1つ1つの店ごとに違ったメンバーのチームがある。松村社長によれば「企画の社員だけで業態を開発すると、現場が動きにくい店になってしまいます。逆に現場だけで進めると、何の面白みもない店になるでしょう。そこを話し合って折り合いをつけていってもらう」との趣旨である。

 ディスコの時代にトップダウンの軍隊式組織が、はやりに乗っている時はきわめて有効に機能するのに対して、不況に陥ればあっという間に崩れてしまう恐さを経験したからだろうか。自分の頭で考えられる社員を育成するために、業態開発も立場、発想の異なる社員の異種混交で編成しているのである。

 さて、今の勢いだと3年後の中期目標「100店舗100業態」は達成しそうである。すかいらーくは実験店を含めると過去に100業態くらいをつくったとのことだが、小さな会社がこれだけの業態をつくった先例はなく、名実ともに「業態開発ナンバーワン企業」になるだろう。

 が、そのあとの計画については検討中とのことで明確でない。松村社長は「3年経つと環境が全く変わっているかもしれないから」と慎重である。

 確実なのは「1000店舗1000業態」は目指さないとのことで、新しい目標を設定するそうだ。何かの業態に絞って店舗展開するのもありだし、惣菜の分野に進出するのもありだし、コンビニ向けに食品を製造するのもあり。ただし「食」の分野を超えて、ITとか投資とかに力を入れるということはないとのことだ。あくまで「銀座のフード・ファンタジスタ」でありたいというわけだろう。


いちよし経済研究所・鮫島誠一郎氏

 鮫島氏は「ダイヤモンドダイニング、きちり、ジェイプロジェクト、ゼットンなどという飲食の新しく株式公開した会社は、ここ4、5年大手企業の景気が回復してきたのを背景に、余裕の出てきた大都市の大企業に勤める若手サラリーマン、OLを顧客層に伸びてきました。

 今の若い人は、ファミレスやファーストフードが大きく育ってから幼少期を過ごしているので、チェーンを低く見る傾向があります。彼らにとっては安くてきれいでそこそこおいしい店は当たり前で、もっとおしゃれ感のある店を求めているのです。

 しかし、北京オリンピックが終わった2008年10月くらいからは景気が悪くなるでしょうから、来年の年末商戦が転機となるでしょう」と予想する。それまでに、環境の変化に迅速に対処できるスタッフが育つかどうかが、業績の明暗を分けるだろう。

 さらに、鮫島氏は「ダイヤモンドダイニングが飲食のディズニーランドになれるかどうかは、ヴァンパイアカフェが維持できるかにかかっている」とも指摘する。というのはテーマ型レストランの寿命は6、7年とされており、そろそろ難しい時期にさしかかってくる。しかし、この山を乗り切れば10年、20年と続く公算が強い。2号店以降にできた店も、それに続くだろう。

「100店舗100業態」を目指すと最初に発表したときは、「そんな大それたことをできるわけがない」と多くの人に批判されたという松村社長だが、折り返し点を通過して、この偉業達成は間違いないように思われてきた。

 どんな会社も急成長の後、停滞する踊り場がある。まず、来年末に起こるであろう景気悪化にいかに対処するか、さらには「100店舗100業態」達成後の燃え尽き症候群をいかに防止するかが、ダイヤモンドダイニングが成長企業であり続ける試金石になるのではないだろうか。



松村社長は高知市の出身

【取材・執筆】 長浜 淳之介(ながはま じゅんのすけ) 2007年11月1日