フードリンクレポート


「隠れ家」から安定に、女性から男性客に転換したい。
横山貴子氏
有限会社イイコ 代表取締役

2007.11.7
OL後、独立したいと飲食業に飛び込んだイイコ横山社長。女性客の目線から、隠れ家レストラン「中村玄」「村上製作所」「クラブ小羊」など次々とユニークな業態・店名を生み出してきた。しかし、安定を求めて男性客ターゲットに転換しようとしている。


和食「村上製作所」

1号店は10年続く隠れ家レストラン

 横山社長はOLとしてアクセサリーやジュエリーの会社で延べ10年間働いた後、飲食業で独立した。現在、横山社長の有限会社イイコは、恵比寿で会津地鶏・蕎麦・コラーゲン鍋「中村玄」、ジンギスカン「クラブ小羊」、中目黒で和食「村上製作所」、渋谷で有機野菜の自然派中華「月世界」、沖縄でバー「ピーチビーチ」というユニークな店名の5店舗を運営している。

 33才で飲食業をスタート。30才の時に「このままで良いのかと思い始め、自分で何かをやりたかった。しかし、具体的にコレと決められていなかった」状態で独立することだけを決めた。そして、始めたのが貯金。3年間で500万円を目標とし、実際に貯めた。

 飲食業に決めたのは、周りの友人に飲食関係の方が多く、「向いてるんじゃない」と言われ「じゃあそうしよう」、と軽い感じで飲食業界に入った。

「お酒がメインの飲食店と漠然と決めて物件を探しました。場所は恵比寿に限定。OLとして務めていたのが恵比寿、住まいも恵比寿で土地勘がありました。最初に勤めた会社がアメリカ橋にあり、サッポロビールの恵比寿工場があったのを知っていました。」

 1号店は隠れ家レストラン「201号室」。今の「中村玄」。JR恵比寿駅西口を線路に沿って昇った坂の上にある、人通りの少ない通りにあるビルの2階。坂はきついが駅から5分以内。ガーデンプレイスが出来たての頃で「これからこの坂も元気になるだろう」と思って物件を決めたそうだ。大家さんは1階でラーメン店を営んでおり、2階での飲食店の開店には理解があった。

「自分がお客の立場に立ったら、自分だけが知っているような隠れ家が嬉しいと思った」とお客発想。飲食店好きのOLの意見を生かした。

 飲食関係の友人に助けてもらい内装をほぼ手作り。「赤いカウンターだけを最初に決めました。店に入ったら真っ先に赤いカウンターが目に飛び込んでくる。それが印象的かな」と女性らしい感覚で店づくり。12月に契約したが、内装に手間取りオープンできたのは6月。半年間、カラ家賃を払った。


「中村玄」店名が表札で掛かっている


「中村玄」の赤いカウンター

 友人から調理師を紹介してもらい、当時あまり知られてなかった創作料理の店でスタート。

 最初は外に立って毎日ビラ配り。通る人には必ず話しかけ、とっかかりのあった人には「とりあえず店を見て下さい」と店へ連れ込んだ。「やさしそうなオジサンやカップルは来てくれる。段々、この人は来てくれると分かるようになってきた」、そして徐々にお客が入り始めた。


創作、おでん、中華、沖縄、ジンギスカン、地鶏、コラーゲン

 1号店は最初から儲かった。しかし、調理師とぶつかる。自分が店に立たなければ、調理師も気持ち良く働いてくれるだろうと、2店舗目を作って横山社長はそちらに専念しようとした。しかし、調理師はやはり、しばらくして辞めてしまい、友人が代わりに厨房に入ってくれる。

「自分が出来ないことを人に委ねるのは難しい。店の売り上げは良いが精神的に辛かった」と横山社長は当時を振り返る。

 2年後に出来た2店舗目。1人で運営でき職人を使わない店を目指し、始めたのが「おでん」。恵比寿の駅前の好立地の2階。店名は1号店が「201号室」、2号店も201号室だったので「続201」とした。これも看板を出さない。

 8坪のおでんや。狭い室内にガード下風の屋台を作った。電話も置かず、予約できない店。横山社長1人で切り盛りした。

 3〜4年経ち、1号店の創作料理もフツーになり、中華に転換。その当時お店の改装を手伝ってくれたのが、中村昭三さん。人の名前が店名というのも面白いと思い店名を「中村昭三」とした。

 全員女性で、女性が中華鍋を振るという「女性だけの中華の店」。半年は低迷したが、売上が上がってきた。しかし、女性は集中力はあるが、持久力が弱い。女性スタッフが疲れ果ててしまい。辞めたいと言ってきた。代わりに男性の中華料理人を入れたが、客層も変わり上手くいかなかった。女性スタッフだったからウケた。

 次に沖縄料理に変えた。美容・健康で沖縄ブーム。ゴーヤを東京の人が食べ始めた時期。職人がいなくても簡単に調理できるのが沖縄料理の良いところ。店名は中村昭三さんの長男の名前「中村圭太」。

 2号店「続201」のおでんやも4年間続け、横山社長も疲れた。アルバイトに任せて遊びに行ったりして売上は自然にダウン。人につく店は限界があると学び、人に任せて、もつ鍋にした。もつ鍋もブームの前に取り入れた。そのあとはジンギスカン。名前は「クラブ小羊」に変えた。いつも、流行りより1年以上前に取り入れているのが横山社長の自慢。


ジンギスカン「クラブ小羊」入口


「クラブ小羊」店内

 1号店「中村圭太」も沖縄料理は味を求めるお客には頼りないと、2006年5月から今の会津地鶏・日本そば・コラーゲン「中村玄」とした。中村昭三さんの次男の名前だ。

 店長が会津出身で会津地鶏を仕入れることができた。最近は信頼され刺身で出せる鶏肉も送ってきてくれる。

 3号店「村上製作所」は2001年オープン。実は高架下の飲食をやってはいけない場所。スタッフが通勤に毎日通っていた道で、いつ通っても電気が付いてなかった。ここで店をやると面白いと思いついたそうだ。料理は和食。高架下で9月末に立ち退けと言われているが、今も営業中。隣に豚と鍋を追及する「豚鍋研究室」を作ったが、こちらは9月に撤退。ともに諸事情から、メディアには一切出さない店だ。


和食「村上製作所」店内 ビニールシート、工程表などで製作所の雰囲気

 さらに、4号店を渋谷・道玄坂のラブホテル街の物件を見つける。ジンギスカンとし「クラブ小羊」の2号店としてオープン。しかし、豚料理「ブーブーホテル」に変える。さらに、今年4月には有機野菜を使った中華の店「月世界」にリニューアル。

 流行る前の業態をいち早く取り入れる行動力と、ユニークな店名を考え出す発想力には驚かされる。


有機野菜の自然派中華「月世界」入口


「月世界」店内


男性客を引き付けて、ブームから定番へ脱皮したい

 さすがに最近はブームを追いかけるのに疲れたと横山社長は言う。「隠れ家」も終わり、そろそろ定番で勝負したいと知恵を絞っている。

 実際に「隠れ家」と言いながら、ぐるなびに店舗を掲載している矛盾を分かっている。「隠れ家」の寿命はそろそろ終わり。

「中村玄」を始め各店舗は女性客が大半。しかし、彼女達は次々と新しい店に移ってしまうことを知っている。常連客になってくれる男性客の心をとらえる店に転換していくことを考えている。

「先々、安定するものをやって行きたい。女性客が多すぎる。男性が食べたい鍋を開発したい」と毎日、スタッフと鍋の開発に励んでいる。



横山 貴子(よこやま たかこ)
有限会社イイコ 代表取締役。静岡県出身。10年間のOL生活後、女性客の目線を生かして飲食業で独立。「隠れ家」をコンセプトにユニークな店名で、流行りの料理を次々と投入して5店舗を運営。

有限会社イイコ http://www.e-e-co.com/index.html

【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2007年10月25日