フードリンクレポート


第2次モツ鍋ブームをリードする「もつ福」の開発者。
三宅 茂幸 氏
有限会社アキナイ 代表取締役

2007.11.16
第2次モツ鍋ブームをリードする「もつ福」。それを開発したのがアキナイ、三宅社長だ。老舗に近づく完璧な業態「もつ福」を超える本物業態を開発したいと、スペインバル「ラ・ボデガ」、ホルモン焼「うしのよだれ」、ハイボール「ウィッフィ」と多様な業態を作り続けている。


「もつ福」 もつ鍋

「もつ福」でモツ鍋ブームを先行

 三宅氏は鹿児島県出身。東京に出て、「ガネーシャ」「J−POPカフェ」などユニークな業態を展開していたBBAインターナショナルに入社する。「マネージメントの勉強をしたかったし、飲食で海外にも行きたいと思っていた」と言う。実際に、BBAが30店舗にまで拡大した時に、渋谷の7店舗を管理する統括マネージャーに抜擢された。

 そして、ポジティブフードに移る。BBAの同僚が先に入社しており誘われた。当時、ポジティブフードは「ポジティブ・デリ」1店のみを運営していた。

 三宅氏はそこで業態開発に手腕を発揮する。中華台湾小皿料理「上樓(シャンロウ)」と、今ではもつ鍋の老舗に近づいている「博多モツ鍋焼酎酒場 もつ福」を開発した。

「もつ福」の1号店は西新橋。2004年10月オープン。ある外食企業の居抜き物件だった。それを仲介したのが、当時、店舗流通ネットにいた井戸実氏。今、井戸氏は自分でエムグラント・フードサービスを興し、ロードサイドで「ステーキハンバーグ&サラダバー けん」を展開している。伸びる社長同士は、知らず知らずの内に出会っているケースが多い。エイチワイ・システムの安田久社長もBBAの出身だ。

 生まれは鹿児島だが、育ったのは岡山県倉敷市。子供時代は当たり前のようにモツ鍋を食べて育った。西新橋の物件と出会った時、モツ鍋を思い出したと言う。

 モツ鍋は、1992年に「もつ鍋 元気」で第一次ブームが起きたが1〜2年と短命に終わる。その約10年後、この「もつ福」などが第2次ブームを巻き起こし、現在もブームが続いている。

 仕入れルートを開拓し、品川の食肉市場でその日に加工された和牛のモツしか使用しない。冷凍ものは一切使わない。味への拘り、美味しさがモツ鍋の再認識に繋がった。また、今ではポピュラーな「塩だれ」味を日本初で開発したのも「もつ福」だ。

 店舗デザインは、新橋という若者が少ない土地柄を考え、ノスタルジックな昔風の店を作った。ベンチマークは、東京下町・森下の桜鍋屋「みの家」。

「もつ福」は大成功し、05年6月に浜松町に2号店、06年5月に赤坂に3号店、11月に丸ビルに4号店と出店を重ねていく。


「もつ福」丸ビル店 入口


「もつ福」赤坂店 店内


完璧な業態「もつ福」を抱え、アキナイ設立

 ポジティブフードで現場を取り仕切っていた三宅氏は独立し、06年4月にアキナイという自分の会社を立ち上げる。しかし、ポジティブフードとの縁は続く。事務所も同じスペースに構え、三宅氏が開発した「もつ福」4店舗の運営はアキナイに託されている。

「もつ福」で今夏は厳しさを体験した。猛暑でモツ鍋が売れない。商業施設内の川崎店や丸ビル店はあまり影響を受けなかったが、西新橋店は厳しかったそうだ。「地域密着型のデメリットが出た」と言う。


「もつ福」西新橋店 店内

 モツ鍋の専門店という印象が地域の方々に浸透しているから。オフシーズンの夏には避けられてしまう。そこで、居酒屋色を強めるためにメニューの幅を広げたが、結局来るのは常連客ばかりで、フリー客を取れず、モツ鍋専門店のイメージを壊せなかった。 

 4年目に突入した「もつ福」は、昨今の原油高に伴う食材仕入れ高騰に合わせ原価率の見直しをしているそうだ。「もつ福」は投資効率が高い。西新橋店は半年で投資を回収。ランチなしで原価率25%と非常に低く。営業利益は30%前後と非常に高い。今回の原価率見直しには、もうひとつ目的が、グランドメニュー商品、コースメニューの商品価値のアップを計る。原価率を高めに設定し、クオリティーを上げた上で販売に力を入れ集客、収益率をアップさせようという作戦。

「お客様の満足してくれる価格価値がある。値上げはしない」と三宅氏は言う。もつ福開業当初に一度、「もつの量が少ない、野菜鍋か!」とクレームを受けた事があったそうだ。そのご意見からもつ鍋の原価率を見直しし、今回の原価率見直しが2度目。

「『もつ福』は全てがパーフェクトに出来ています。どこにでもは出店したくない。常連さんが、少しずつお店が増えるのを喜んでくれるように店を育てたい。西新橋店のお客様が丸ビル店に来て喜んでくれました。もつ鍋ブームとは一線を画し老舗にしたい」といつくしむように三宅氏は話す。


「もつ福」浜松町店 外観


「もつ福」川崎店 店内


「もつ福」を超える本物店を探す

 06年12月に、川崎駅前の商業ビル「川崎ルフロン」の10階の50坪に「もつ福分家」、ホルモン焼「うしのよだれ」の2店舗を出店した。「もつ福分家」はアキナイが直営店舗として運営している。

「川崎は施設として集客が心配で、50坪が怖くて2つの業態を入れた。素材はモツで同じにした」と言う。「うしのよだれ」は鉄板で豪快に4種のホルモンと野菜を秘伝のタレがで焼く、「名物よだれ焼」を三宅氏は開発。当初「もつ福」に負けていた売上も徐々に上がってきたそうだ。


「名物よだれ焼」


ホルモン焼「うしのよだれ」

 07年6月に丸の内・帝国劇場地下のクニギワにスペインバル「ラ・ボデガ」を出店。お客が自分の気に入ったワインを自分で手にとって購入するスタイルが面白い。客席はスタンディングとテーブルに分かれるが、スタンディングに稼働率は未だ低いという。丸の内のお客に立ち飲みスタイルが浸透するのに時間がかかるようだ。


スペインバル「ラ・ボデガ」


「ラ・ボデガ」調理風景

 同年8月に同地下に、サントリー角瓶のハイボールを売りにする「ウィッフィ」を開店させた。三宅氏自身が角瓶好きで開発した業態。バーなどお酒が先行する業態への興味も持っている。


「ウィッフィ」開店チラシ


「ウィッフィ」店内


「ウィッフィ」料理

 来年1月に浜松町で三菱地所と東急不動産が開発したビルに出店する予定だ。「大衆肉割烹です。今度は赤身肉を使い、創作料理に特化したい。この新業態と、スペインバル『ラ・ボデガ』を今後多店舗化したい」と言う。

「BBAで一緒に働いていた仲間達が店長を務めてくれています。上場したいとは思わない。独立心が強い人間たちと一生、共に働きたい。彼らをグループ会社として独立させてあげる。そして、社長を10人、20人と作りたい」のが三宅氏の夢だ。

「『もつ福』は自分の旬。ニーズがあって長く運営できるし、自分も楽しい。それに続く本物業態をつくりたい」と語る。完璧な業態「もつ福」を超えられる業態を探して、三宅氏は開発をたゆまず続けている。



三宅 茂幸(みやけ しげゆき)
有限会社アキナイ 代表取締役。1974年生まれ。鹿児島県出身。上京し株式会社BBAインターナショナルでマネジメントを学んだ後、有限会社ポジティブフードに入社。「博多モツ鍋焼酎酒場 もつ福」を開発。その後、独立し、2006年4月に有限会社アキナイを設立。現在、直営で「もつ福分家」「ラ・ボデガ」「うしのよだれ」「ウィッフィ」の4店舗、運営受託で「もつ福」4店舗、を展開している。
有限会社アキナイ http://www.aki-nai.com/

【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2007年11月8日取材