フードリンクレポート


NYで豚足料理専門店をオープン。TONSOKUを通じて世界中の人と友達になりたい。

岡島 ヒミ氏
「HiMi Corp New York」president&CEO 

2007.12.15
NYマンハッタンに豚足料理専門店をオープンさせた岡島氏。「世界中の人と友達になりたい」を人生の目標に掲げ、一つの国にこだわることなく5年で5店舗の海外出店を目指す。“敵を作らずして勝つ、戦わずして勝つ”をモットーとする彼の人柄とその成功の秘密に迫る。


店の名物料理「豚とんそくの塩焼き」($6)

お金が欲しいんじゃない、友達が欲しかったんだ

 2007年10月10日、ニューヨークのウェストビレッジに豚足専門店「HAKATA TONTON」がオープンした。福岡にある黒豚の豚足料理専門店「新・美肌促進食堂 燈・巳家枇(ひ・みやび)」に続く、岡島ヒミ氏による海外初進出店である。

 豚足専門という日本でも珍しいジャンルのレストランであるが、食べた翌日肌の調子がいいと美肌効果を実感する人が多く、特に女性の間で評判になっている店だ。ここニューヨークでも、福岡の店同様、連日の盛況が続いている。


連日満席状態の盛況振り。日本人スタッフによる行き届いたサービスが受けられる。

 岡島氏が福岡に「燈・巳家枇(ひ・みやび)」をオープンしたのは2006年1月。もともとフレンチのシェフとして大阪で働き始め、その後故郷の博多へ。そこでサーバーの仕事と出会い、サービスの面白さにとりつかれた。その後シェフとしての経験を活かし独立。3店舗のレストラン経営の他に、TV料理番組講師、ラジオパーソナリティ、料理教室主宰、コンサルティングなど様々な経験を積んだ。

 全て順調で、月に百万単位の収入を手にすることもあった。でも、何か物足りない日々。そんな時、仕事を通してある老人と出会い、その老人に問われた。

「ヒミさんて誰?」意表を突く質問だったが、答えられなかった。自分が何をしたかったのか、わかっていなかったことに気付く。意味のないことをやっていたのかもしれない。
「福岡のお山の大将になっていた」と気付いた岡島氏は、それをきっかけに自分を見つめ直し、人生の目標について考え直す。「お金が欲しかったんじゃない、味方が欲しかったんだ。」

 福岡に留まることなく世界へ。そして、お金稼ぎではなく、友達を作るために。岡島氏はそれまで築いたビジネスを全て手放し、豚足料理店を始めることになる。


豚足料理との出会いと決意

 豚足料理との出会いは、料理コンテストへの出場がきっかけ。コンテストのテーマが“郷土料理”で、地元福岡の食材豚足を使った。そこで考えた料理を店で出したら大ヒットした。

 そこで、「世界中の人と友達になる」という目標を実現するため豚足を手段にすることを思い付く。
 
 2分の1本で、人間が1日で必要なコラーゲンが取れるという豚足。骨や皮膚、髪を作るコラーゲンは、美容効果だけでなく、骨粗しょう症の抑止にも効果ある。

 美は世界中の人、特に女性にとって永遠のテーマ。友達になるきっかけの話題としては申し分ない。そこで「世界中の人のため、世界中の女性を綺麗にする」というミッションを自分に課し、豚足を手段として世界に出ていく決意をする。

「コラーゲン豊富な食材と言えば、フカヒレやツバメの巣など高価な食材が多いが、豚足は安い。しかも豚足料理専門店なんて聞いたことはなく、ライバルが少ないのも魅力だった。」

 そして、2005年1月、福岡に豚足料理専門店「新・美肌促進食堂 燈・巳家枇(ひ・みやび)」オープン。

 岡島氏自ら考案するという種類豊富なメニューは、デザート以外殆ど豚足を使用。ゼラチン質でそれ自体に強い味がない豚足。和・洋・中どんな料理にも合うというのも、豚足料理のメリットだ。そのメリットを最大限に活かし、生春巻きやパスタ、餃子、赤ワイン煮など様々なジャンルの料理を取り入れている。


アメリカ人にも人気の「博多チョッパル鍋 しゃんしゃん」($12/2人前から)
韓国風に味噌や醤油で味付けし、豚足と野菜がたっぷり。


鍋の締めはビビンバ($3)


黒豚のルーツはなんとアメリカ。日本の味そのままにNYで勝負

 ニューヨークの「HAKATA TONTON」では、料理の内容も味も福岡の店そのままで提供している。アメリカ人の舌に合わせて味を変える日本のレストランが多い中、「アメリカに合わせるのではなく、こちらの味にアメリカ人を合わせようと思った。」そう語る岡島氏の材料へのこだわりは強い。

味の鍵を握る調味料は、空輸で仕入れる。砂糖はきび砂糖を鹿児島から、醤油も日本から、そして味噌は韓国からというこだわり様。

しかし、メインの豚足はアメリカでは市場に出ない部位で、豚肉の輸入は禁止されている。どう仕入れるか迷い、調べていくうちに意外な事実が判明。なんと鹿児島の黒豚のルーツはアメリカのオハイオ州産バークシャー種だったのだ。

そこで早速オハイオの農場に問い合わせると、「足は捨てている部位だから譲るよ。」と言われ、加工費と送料のみの負担で仕入れることができた。

豚足料理と聞いて、日本人でも抵抗を持つ人は少なくない。ニューヨークで受け入れられるという自信はあったのだろうか?

「こちらに来た当初、ニューヨークはユダヤ人が多い街。豚を食べないユダヤ人の街で豚足なんて絶対無理。」と言われたこともあるとか。しかし、健康や美容に敏感なニューヨーカー。そして、日本でもリピート率が高いことから、とにかく食べてもらえればその効果を実感してもらえると、自信と確信があったようだ。


敵を作らずして勝つ、戦わずして勝つ

“歩くポジティブ”を自称する岡島氏のバイタイリティと積極性には圧倒される。日本に「燈・巳家枇(ひ・みやび)」を開店する前から、世界の中心ニューヨークで店を持つと心に決めていた岡島氏。

 ニューヨークに上陸したのは2006年初め。福岡に「燈・巳家枇(ひ・みやび)」をオープンさせてから僅か1年後のことである。

 しかし、つてがあるわけではなく、英語もしゃべれないという全くのゼロからのスタート。しかも、アメリカ人以外がニューヨークでレストランを開くというのは、日本と比べ物にならないくらい困難が多い。資金面、物件探し、ライセンス申請など、アメリカ人の協力者、出資者がいないと不可能で、開店までに3年、5年とかかるケースも珍しくない。

 それを持ち前の明るさと達人技とも呼べるネットワーク作りで、出資者を見つけ、弁護士も見つけ、ニューヨークに来て僅か1年半という短期間でオープンを成し遂げた。

 人生の目標は“友達作り”と語る岡島氏は、どこでも友達を作ってしまう。本人曰く「1回会ったら友達と思ってしまう、ずうずうしいくらいの性格」の持ち主。

 ニューヨークに来てからは、話題のレストランに行ってはそこのシェフと友達になり、食材探しに出かけてはそこの業者と友達になる。短期間で驚くほどの人脈を作り上げてしまった。

“敵を作らずして勝つ、戦わずして勝つ”がモットー。「最短で物事を成し遂げたい時には、人にお願いごとをすることが大切。人は頼りにされて悪い気はしない。頼ることで巻き込んで、力に変えるんです。」

 そう語る岡島氏は非常に腰が低く、いつも笑みを絶やさない。その人懐っこい笑顔で夢中に豚足について語り、自分の夢を語る。そんな彼だからこそ、周りの人間は応援し、つい巻き込まれたくなるのだろう。


アメリカ4大ネットワークを注目させる岡島流プロモーション術

 岡島氏独自のスタイルはプロモーションにも十分に活かされている。地元日系新聞社等にも自ら出向き、取材を依頼。さらに新聞でコラムを執筆することを申し出て連載も始まった。もちろん、ニューヨークで作り上げた人脈も活用し、「TONSOKU」をアピールしていった。

 その甲斐あって、オープン前からニューヨークのレストラン業界で話題となり、数々のメディアで取り上げられたのだ。

 実際、オープン2週間前には地元有力メディアの一つである「New York Magazine」に取り上げられた。オープン日当日にはアメリカテレビ局の4大ネットワークの一つ、CBSの朝の看板番組が取材に訪れ、特集が組まれた程だ。

 その後も4大ネットワークの取材が続き、4局制覇まであと1局という。注目度の高さに驚かされると同時に、岡島氏のネットワークを使った話題作りには脱帽だ。

 興味深いのは、その取り上げ方。豚足(pig's feet)=醜い。コラーゲン=美容。という相反するイメージが共存する驚きの料理として、また、高い美容効果を医療関係者の科学的証言と共に報道したのだ。

 CBS「The Early show」では「Health Watch」という健康関連の情報コーナーで特集され、栄養士や皮膚科の医師のインタビューと共に放送された。科学的根拠は説得力抜群。健康や美容に関心が高いニューヨーカーの興味を惹かないわけがない。


不動産契約から僅か一週間でのオープン

 短い期間でオープンにこぎつけた岡島氏であるが、いくらネットワーク作りの名人とはいえ、決して簡単な道のりではなかった。

 特に物件探しは困難を極め、今回オープンすることになった物件が見つかるまで2回も契約直前で破談になった。

 しかし、決して諦めなかった岡島氏は、人脈を駆使して複数の不動産屋と弁護士からの情報を比較検討すると共に、自分の足を使って不動産情報を集めた。転職するとしたら、タクシー運転手ができると言うくらいマンハッタン内をくまなく歩き回ったそうだ。

 そのお陰で、リカーライセンス(酒類を店で提供するための権利。この申請・許可も非常に難しい。)付きの物件が見つかった。「結果的に、最後に決まった物件が賃料的にも立地的にもベストだった。」と明るく振り返る。さすがポジティブである。

 だが、困難は続く。不動産契約に手間取り、オープンはずれ込んでいった。どうしても10月10日(トントン)にオープンしたいという強い希望があったが、最終的な不動産契約が完了したのは10月2日。なんと一週間しかなかった。

 ここでも岡島氏は諦めなかった。驚くべきことに、物件の引き渡しからたった一週間でオープンさせたのである。2日で保険を見つけ、スタッフをそろえ、入口の屋根のテントは、オープン当日、オープン後の夜10時に取り付けが完了したそうだ。

 日本と違って、段取りの何もかもが予定通りに進まないこのアメリカで、一週間でのオープンは信じられない程の偉業だ。岡島氏の巻き込む力の大きさを物語るエピソードである。


店舗外観


35席程の店内


立地は、カジュアルなレストランやJazzバーが立ち並び、若者が多いウェストビレッジ。地下鉄の駅からは通りを挟んで向かい側という好条件。


1年に1店舗、5年で5店舗、海外で出店したい

 岡島氏の今後の目標は1年に1店舗海外で店を増やしていくこと。「今年はニューヨーク。来年はスペイン。その後、イギリス、フランス、イタリアと、5年で5店舗出店したい。」

「スペインはバルセロナに出店予定。バルセロナは、港町で博多に似ていると思うから。」と語る岡島氏だが、驚くことに実はバルセロナを訪れたことはまだない。

 ニューヨークで短期間で開店にこぎつけたことは大きな自信になったようだ。「言い続けてれば、本当になるんですよ。ニューヨークに1年で店を出すって言った時はさすがにみんな引いてましたけど、本当にそうなったから。」

 さらに、「1店舗に1年もいらないかもしれない(笑)」と言う彼の自信にはまたまた驚かされるが、見届けたいという興味をそそられる。そして、彼ならやり遂げるだろうと信じたくなる何かがある。

 それは、彼の明るさ、バイタリティ、アピール力、実績、様々なことが裏付けているのだが、周囲にやり遂げるだろうと信じさせるその力こそ、彼の最大の強みなのかもしれない。



岡島 ヒミ(おかじま ひみ)
「HiMi Corp New York」president。1970年生まれ、福岡出身。New York在住。美を探究した豚足専門レストラン「新・美肌促進食堂 燈・巳家枇(ひ・みやび)」を2005年1月に福岡にオープン。2007年10月ニューヨーク、ウェストビレッジに「HAKATA TONTON」をオープン。

【新・美肌促進食堂 燈・巳家枇(ひ・みやび)】 http://www.himiyabi.com/
【HAKATA TONTON】
61 Grove St NEW YORK, NY 10014
(between: Bleecker St. & 7th Ave. South)
HP:http://www.tontonnyc.com/

【取材・執筆】 村田 麻未(むらた あさみ) 2007年12月5日
株式会社リクルートにて人材ビジネス領域で商品企画を担当。2006年7月から夫の転勤に伴い、NY在住。趣味は、レストラン巡りと料理。日本人、ユーザーの目線を大切にニューヨークのレストラン事情をレポート中。

【撮影】 桑原 かおり、村田 麻未