・東京で最も旨い寿司を食べるなら銀座に行くのが一番
すでにマスコミ各社の発表したように「ミシュランガイド東京2008」でセレクションに挙がった店は、3つ星8店、2つ星25店、1つ星117店。累計で191個の星は、パリ、ニューヨーク、ロンドンなど今までミシュランがリサーチしてきたどの都市よりも多く、ミシュラン的には世界で最もグルメな都市は現時点では東京ということになった。うち60%以上が日本料理の店が占め、残りの約40%はフランス料理を筆頭にイタリア料理、スペイン料理、中華料理の店などが選ばれている。
このセレクションについてはさまざまな批判があり、後述するようにミシュラン側も初めてガイドを出す都市なので、できる範囲でセレクトしたことを認めている。が、1900年フランスで発売されて以来、108年もの歴史を持ち、世界22カ国をカバーする権威あるグルメ本が、“世界標準の舌”で選んだ店には違いないのであるから、1つの見方として傾聴には値するのではないだろうか。
プレス発表風景
そうした前提に立って、星を獲得した店をまず地区ごとに勘定してみると、興味深いことがわかってきた。
◎地域別星獲得数順位
1位 43 銀座
1位 43 麻布十番・西麻布・東麻布・南麻布・元麻布・六本木
3位 11 神楽坂・納戸町・若宮町
4位 9 赤坂
5位 8 神宮前、愛宕・芝公園・虎ノ門・三田
後述するように「ミシュランガイド東京2008」ではミシュラン調査員も、23区全域のレストランをまわりきることができず、品川、渋谷、新宿、中央、千代田、豊島、港、目黒の8区に限定した掲載である。従って、名店が多数ありそうな台東、墨田、世田谷、大田など15の区は来年以降の掲載となる。
それでも、台東を除く都心部は押さえられているので、ミシュラン的に見た東京の中のグルメ街はどこなのかは、判断できるだろう。
その結果は、銀座と麻布十番・西麻布・東麻布・南麻布・元麻布・六本木が43個の同点で1位となった。銀座の1位は意外でも何でもないが、六本木を中心とする地区のレベルアップが非常に大きいように思う。銀座からは、小十(日本料理)、すきや橋
次郎(日本料理 寿司)、鮨 水谷(日本料理 寿司)、ロオジエ(フランス料理)の4店が3つ星を獲得。さわ田(日本料理
寿司)、鮨 かねさか(日本料理 寿司)の2店が2つ星を獲得した。
星獲得店の業種はあらゆる分野にわたっているが、特に寿司の名店中の名店が多いのが、銀座の特徴である。1つ星にも、久兵衛、すし
おおの、青空といった寿司屋が名を連ねている。
すきや橋次郎
鮨 水谷
・中華料理とイタリアンなら六本木周辺地区がメッカ
また、六本木を中心とする地区では、3つ星は神田(日本料理)の1店。2つ星は、臼杵ふぐ山田屋(日本料理
ふぐ)、拓(日本料理 寿司)、菱沼(日本料理)、ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション(現代風フランス料理)、龍吟(現代風日本料理)、レイ家菜(中華料理)と6店に付いた。
やはり日本料理中心ではあるが星獲得店のジャンルはさまざまで、フランス料理、中華料理、イタリア料理とよりバラエティに富んでいるのがこの地区だろうか。特に中華料理は、東京版ガイド全体で星が付いた5店のうち3店がこのエリアであった。レイ家菜のほか、中国飯店 富麗華とメゾン・ド・ウメモト
上海が1つ星を獲得した。
また、イタリア料理と現代風イタリア料理を合わせて、東京版8店の星獲得店のうち4店がこのエリアの店だ。イタリア料理のクッチーナ・ヒラタとピアット スズキ、現代風イタリア料理のアロマフレスカとラ プリムラがそれで、いずれも1つ星である。
これら2大グルメ街から星の数では大きく引き離されてはいるが、11個で3位に入ったのは、かつての花柳界を背景に持つ神楽坂地区の神楽坂・納戸町・若宮町であった。
3つ星の店はなく、石かわ(日本料理)、一文字(日本料理)、ル・マンジュ・トゥー(現代風フランス料理)の3店が2つ星を獲得している。この地区の店は、味のレベルは高くても全般的に街角の料理屋といった雰囲気が漂っており、グルメスポットとしては穴場と言えるかもしれない。
石かわ
一方で、カジュアルダイニングのメッカである渋谷区は、神宮前の8個を筆頭に全部で17個の星を獲得。北青山・南青山の7個を合わせても24個で、こと味の面では銀座、六本木地区とは全般的にレベル差がある結果となった。
また、日本一のターミナルの新宿は西新宿と合わせても5個の星にとどまり、第2のターミナルである池袋地区からは1店も選出されなかった。
・商業施設最多の6個の星を獲得した六本木ヒルズ
さて、ミシュランから星を獲得した店は、街場の個店、路面店ばかりでなく、ディベロッパーやホテルのリーシングで、テナントとして入居している店も2割強ほど混じっていた。
そこで、最近5年ほどの間に続々と街開きが行われた各再開発地区では、幾つの星を獲得したのか、数えてみた。ディベロッパーは口々に日本中、世界中からグルメを集積したと豪語していたが、その言葉は実態を表していたのだろうか。
◎再開発地区別星獲得数順位(ホテルを含む)
1位 6 六本木ヒルズ
2位 5 恵比寿ガーデンプレイス
3位 4 日本橋
4位 3 丸の内、汐留シオサイト
まず目に付くのは、六本木ヒルズの6個で立派な成績である。内容的にも、レイ家菜(中華料理)が中華の分野では初の2つ星を獲得、柏に本店がある竹やぶ(日本料理
そば会席)を発掘しての1つ星獲得と中身も濃い。レイ家菜を運営するソーホーズ・ホスピタリティ・グループは、民事再生を申請し倒産して以来、久々の明るい話題である。
竹やぶ
レイ家菜
あとは、ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション(現代風フランス料理)が2つ星獲得、グランドハイアット東京ホテル内にあるけやき坂(日本料理 鉄板焼)が1つ星獲得と、多彩な分野で質の高い食を実現していることがうかがえる。
元祖再開発とも言える恵比寿ガーデンプレイスは、5個を獲得して面目を保った。ジョエル・ロブション(現代風フランス料理)は、商業施設ではホテルを含めて唯一の3つ星獲得である。
恵比寿ガーデンプレイス内ラ・ターブル・ドゥ・ジョエル・ロブション
系列のラ・ターブル・ドゥ・ジョエル・ロブション(現代風フランス料理)も1つ星獲得。もう1つの星は、ウェスティンホテル東京内の恵比寿(日本料理 鉄板焼)が取っている。
三井不動産の牙城である日本橋は、4個となかなかの好成績。コレド日本橋アネックスにあるサンパウ(現代風スペイン料理)が2つ星獲得。
また、日本橋三井タワーは櫻川(日本料理)と、マンダリン・オリエンタルホテル内のシグネチャー(現代風フランス料理)の2店が1つ星を獲得した。
4位タイは、丸の内と汐留シオサイトで3個の星を取った。
丸の内は、丸ビルにある招福楼(日本料理)とモナリザ(フランス料理)、新丸ビルのオーグードゥジュール
ヌーヴェルエール(フランス料理)の3店が1つ星を獲得。
招福楼
丸の内オーグードゥジュール ヌーヴェルエール
汐留シオサイトは、すべてホテル内の3店が1つ星を獲得している。ガストロノミー
フランセーズ タテルヨシノ(現代風フランス料理)と花山椒(日本料理)は、パークホテル東京内にある店。チャイナブルー(中華料理)はコンラッド東京内にある店である。カレッタ汐留にある店は、残念ながら落選した。
再開発の規模では丸の内、六本木、汐留と並ぶ、品川からは1店も選出されなかった。
・ディベロッパー別では森ビルの9個の星獲得が最多
さらに、ディベロッパー別に星の獲得数を見ていくことにしよう。
◎ディベロッパー別星獲得数順位(ホテルを含む)
1位 9 森ビル
2位 8 三井不動産
3位 5 サッポロホールディングス
4位 3 三菱地所、ホテルニューオータニ、芝パークホテル、ハイアット ホテルズ
アンド リゾーツ
六本木ヒルズを擁する森ビルが、さらに3個を積み増してトップである。その内訳は愛宕グリーンヒルズの醍醐(日本料理)が2つ星を、赤坂溜池タワーのシュマン(現代風フランス料理)が1つ星を獲得している。
これだけ複数の施設でさまざまな分野のレストランが星を取っているところをみると、森ビルのこと味覚に対する選択眼は信頼して良さそうである。
森ビル広報に、レストランを誘致する姿勢について聞いてみると、「我々が開発する街づくりにおいて、この街を利用されるレベルの高いお客様に心から満足して頂ける飲食店を探すという視点で、多くの情報ネットワークの中からいい飲食店を発掘できるよう、常にリサーチを行っています。料理の味がいいのはもちろんの事、その作り手のこだわりや顔が見える飲食店であること、清潔感、スタッフのサービスレベルなど隅々までお客様の視点に立った飲食店の誘致を心がけています」との回答が返ってきた。
また、六本木ヒルズのレストランを決める際には、「街づくりの一環として静かな環境で食にこだわりのあるグルメの人たちや海外のゲストの方をお招きするのにふさわしい店とは、というテーマのもと、様々な業界の方々の意見を聞く会を開いて、ご意見を伺ってきました。名人、職人といわれる人たちは、こうした方々にご推薦いただいた方が多いです。その方々に時間をかけて街のコンセプトをご理解いただき、六本木ヒルズから世界に向けて食の発信をしたいという街づくりに対する熱意を伝え、共感して頂いた結果、これだけの名店の方々を誘致する結果となりました」とのことだ。
施設のクオリティ維持に関しては「テナントは共感でつながったパートナーだと考えております。店舗のスタッフの方々にも街づくりの歴史、コンセプトなどをご理解いただき、共に街を運営しております。また、定期的なチェックなど、きめの細かいクオリティ管理を実施しています」。
つまり、顧客の視点に立ち、顧客の意見をよく聞いて名店をセレクトし、共感でつながったパートナーとして迎え、一緒に街を運営するとともに定期的チェックも怠らない。こうした実践を続けた結果として、ミシュランからも評価される店を6店も輩出することができたということなのだろう。
・三井不動産は日本橋と銀座の商業施設で星を量産
三井不動産の8個も、さすがに凄いのではないか。日本橋の4個に加えて、銀座で3個、東京ミッドタウンで1個を獲得している。銀座と東京ミッドタウンの店はいずれも1つ星である。
銀座の3個もなかなか中身があり、交詢ビルが銀座ラ・トゥール(フランス料理)、よねむら(現代風日本料理)と2店当選。銀座ラ・トゥールは千駄ヶ谷から店を移転、よねむらは京都で人気の店の東京店だ。何より、活気がなかったこの商業施設のレストランフロアーに人影が見られるようになったのは、ミシュラン効果なのではないだろうか。
やっとレストラン街に活気が出てきた交詢ビル
あとの1店はZOE銀座のアルジェントASO(現代風イタリア料理)である。
アルジェントASO
皮肉なことに世界の美食を集積したはずの東京ミッドタウンのレストラン街は全滅で、ライバルの六本木ヒルズとは大きな差が付いた。社運をかけた東京ミッドタウンより、周囲の老舗に負けないような名店をリーシングしたらしい日本橋や銀座のほうが、レベルの高い店を引っ張って来れたということか。
東京ミッドタウンは全体で星は1個だけ、ザ・リッツ・カールトン東京内のひのきざか(日本料理)が獲得したのみにとどまった。
3位のサッポロホールディングスは、恵比寿ガーデンプレイスでの獲得で、ビールメーカーとして味覚の確かさをアピールできたと言えそうだ。
4位は三菱地所と、ホテルニューオータニ、芝パークホテル、ハイアット ホテルズ アンド リゾーツという3つのホテルが3個で並んだ。
三菱地所は先述のように丸ビル2個と新丸ビル1個の獲得だが、丸ビルは滋賀県東近江市八日市の懐石料理の招福楼と、元ひらまつの河野透・総料理長の恵比寿に本店を持つモナリザをリーシングしてのものである。また、新丸ビルのオーグードゥジュール
ヌーヴェルエールは中村保晴シェフの市ヶ谷に本店があるオーグードゥジュール・グループの店で、シェフは若手の宮崎慎太郎氏である。いずれも同社の選択眼の確かさを示す、リーシングではないだろうか。
ホテルニューオータニは、なだ万の2店である、なだ万 山茶花荘(日本料理)となだ万
ホテルニューオータニ店(日本料理)と、トゥールダルジャン(フランス料理)がいずれも1つ星を獲得。
なだ万ホテルニューオータニ店
なだ万山茶花荘玄関
健闘したのは芝パークホテルで、系列のパークホテル東京がガストロノミー
フランセーズ タテルヨシノ(現代風フランス料理)と花山椒(日本料理)で、また本体の芝パークホテルでもタテル
ヨシノ(現代風フランス料理)が、それぞれ1つ星を獲得した。
なお、吉野建シェフはパリのステラマリス(フランス料理)でも星1つ獲得しており、芝パークホテル系列の2店の1つ星を合わせ、3つの星を取ったことになる。
ハイアット ホテルズ アンド リゾーツは、新宿のハイアット リージェンシー東京で、キュイジーヌ[s]ミッシェル
トロワグロ(現代風フランス料理)が2つ星獲得。六本木ヒルズのグランドハイアット東京で、けやき坂(日本料理
鉄板焼)が1つ星を獲得した。
このほかホテルでは、ヒルトン東京のトゥエンティ ワン(フランス料理)が2つ星、帝国ホテルのレ
セゾン(フランス料理)、ホテルオークラのさざんか(日本料理 鉄板焼)、セルリアンタワー東急ホテルのクーカーニョ(現代風フランス料理)がそれぞれ1つ星を獲得した。ホテルの星獲得店はフランス料理が多いのと、鉄板焼がけやき坂、恵比寿、さざんかと3店もあるのが特徴である。
・飲食企業別ではフォーシーズとひらまつがトップ
続いてレストラン運営会社別に、星の獲得数を見ていこう。
◎飲食企業別星獲得数順位
1位 7 フォーシーズ
2位 6 ひらまつ
3位 5 グラナダ
4位 3 資生堂、すきやばし次郎、鮨 水谷、かんだ、小十、濱田家
7個の星を獲得してトップに立ったのは、フォーシーズである。ピザ宅配の会社だと思っていたら、いつの間にか3つ星レストランを運営する会社になった。星獲得店は、ジョエル・ロブション(現代風フランス料理)の3つ星獲得をはじめ、ラトリエ
ドゥ ジョエル・ロブション(現代風フランス料理)が2つ星獲得、ラ・ターブル・ドゥ・ジョエル・ロブション(現代風フランス料理)が1つ星獲得と、ジョエル・ロブション系列だけで合計6個の星が付いた。残りの1個の星は、銀座の有季銚(日本料理)である。
ジョエル・ロブション外観
ジョエル・ロブション店内
ジョエル・ロブションの料理
ラトリエドゥ ジョエル・ロブション
有季銚和室
フォーシーズ広報に、どうしてこれだけ評価の高いレストランを運営できるのかを聞いてみると、「飲食業に共通する基本的な価値である、おいしさの基準やサービスのクオリティを追求することは、値段の高さや、ブランドに関係なく、弊社が全業態で共通して重視している事です。私共は、それらを支える人の教育こそが重要であると考えています。また、全ての判断基準はお客さんの視点に立って行っています。マーケットインの思想も、全業態で貫かれています」とのことだ。
値段相応のクオリティ追求を、顧客の視点で実際に行っているというのがポイントだろうか。
2位のひらまつは6個の星を獲得しているが、店舗数では5店とトップである。また、すでにパリのひらまつは星1つを獲得しており、海外店も含めればフォーシーズと並んで企業別星獲得数は7個で並ぶ。ひらまつのレストランは粒ぞろいであり、一度は足を運んで損がない店ばかりのようである。
ひらまつ
東京版では、リストランテASO(現代風イタリア料理)が2つ星を獲得。ひらまつ(フランス料理)、キャーヴ ひらまつ(フランス料理)、アルジェントASO(現代風イタリア料理)、メゾン ポール ボキューズ(フランス料理)が各1つの星を獲得した。
リストランテASO
キャーヴ ひらまつ
メゾン ポール ボキューズ
なぜ、これだけの質の高い店を数多く運営できるのだろうか。
平松博利社長によれば「後進のシェフたち、海外のシェフたちとの仕事で最も大切なことは“信頼関係”です。同じ哲学を持ち、自分にとっても相手にとってもそしてお客様にとってもハッピーであることが非常に重要です。レストランとは“人”がつくりあげるものです。単なる“お金”だけでの結びつきであったり、店としての箱、料理のルセット、サービスの技術があるだけでは決して魅力的なレストランをつくることはできません。そこで働くスタッフたちの志、情熱、そしてお互いの信頼関係という深い絆があってはじめてレストランはそれらのスタッフと共に一緒に成長していくものだというのが私の信念です」とのこと。
シェフ同士が信頼関係を築いて哲学を共有し、全ての人がハッピーになれるように常に研鑽する姿勢が、同社のレストランの高品質を支えているのである。
・グラナダは飲食ベンチャーで唯一3つ星を獲得
3位の5つの星を獲得したグラナダは、いわゆる近年台頭した飲食ベンチャーでは、最も多く星を取った。その内訳は、カンテサンス(現代風フランス料理)が3つ星、サンパウ(現代風スペイン料理)が2つ星であり、中身も濃い。
どのようなマネージメントを行った結果、星を獲得できるような店になったのか、同社広報に聞いてみた。
「各店舗、シェフ、料理の個性や将来性を、世論の評価ではなく自分達自身の目や舌で見極め、惚れ込んだ上で、店舗を作った点では同じですが、店舗毎に異なった対応をしております。カンテサンスは特に本部のほうでマネージメントは行っておらず、シェフ岸田に全て任せており、オーナーシェフと同じように運営をしております。サンパウは季節ごとのメニュー変更毎にスペイン店のシェフが来日して、一皿一皿の哲学を失わないように留意しながら、日本の食材を取り入れ試作を繰り返し、日本のシェフと共同で、サンパウとしての料理を完成させております」。
つまり、店の性格を見極めたうえで、料理一皿の完成度、こだわりが最も良い形で表現できる土壌づくりに注力しているとのこと。そこには本部と現場との間の信頼関係があり、現場の自主性を重んじる哲学が貫かれているようだ。
サンパウ
サンパウの料理
カンテサンス店内
カンテサンスの料理
出店の経緯は、カンテサンスは岸田周三シェフがフランス修業時代に一時帰国していた時に、たまたま下山雄司社長が彼の料理を食する機会があって「特別にすばらしい感性と哲学を持った料理人」と感じた。気が合ったので一緒にやることになったという。その頃の岸田氏は2つ星(当時)アストランスのスーシェフではあったが、一般に知られた存在ではなかった。
また、サンパウの場合も提携当時2つ星を取っていたとは言え(今は3つ星)、スペイン・バルセロナの郊外にある知る人ぞ知るレストランであり、日本人には全く知られていない存在だった。しかし、カルメ・ルスカイェーダシェフの料理に対する哲学が下山社長と一致し、1カ月以上ともに過ごした後に東京に出店することになったそうだ。提携というより「東京にサンパウを創る共同体」であったという。
ベンチャーらしく、世間で有名ではなくても将来性を見込んで投資をして育てる姿勢を貫いている。
星3つ獲得の資生堂、すきやばし次郎、鮨 水谷、かんだ、小十、濱田家はいずれも3つ星レストラン1店の経営である。資生堂はロオジエを経営。濱田家(日本料理)は日本橋人形町にある大正元年創業の老舗料亭だ。このほか、うかいがとうふ屋うかい(日本料理)、うかい亭(日本料理
鉄板焼)の2店で1つ星を獲得。フランス料理の銀座ラ・トゥールも系列のラ・トゥーエルとともに1つ星を2個取ったのが目立つ。
うかい亭
・ミシュラン効果で売り上げが伸び国際化が進む
星を獲得した店のミシュラン効果であるが、元々混んでいる店については、電話がつながりにくくなってますます予約が取りにくくなっているくらいで、来店人数が増えているわけでもないようだ。
しかし、レストランフロアーに人気がなかった交詢ビルに入居していた銀座ラ・トゥールでは、「これまでは夜にお客さんが1組しか来ないような日もあって、スタッフを早く上がらせていた日もあったのに、今は予約の電話をかけてくるお客さんが、まだ席が空いていますかとお尋ねになるくらいですからね。満席になる日もありますし、ミシュランが発売されて以来、一夜で状況が変わりました」と、オーナーの清水忠明総料理長はうれしい悲鳴をあげている。
銀座ラ・トゥール
清水氏経営の弟子である田辺猛シェフに任せている、神楽坂のラ・トゥーエル(フランス料理)も1つ星を獲得し、こちらも電話予約が殺到するなど反響が凄いそうだ。
「今までは取材に来てくれと頼んでも誰も来てくれませんでしたが、来るようになりました。よく知らない人からも電話がかかってきて、星を取ったことをおめでとうと祝ってくれます。我々はミシュランガイドの星を頼りに、フランスに修業に行ったものですが、その星がもらえたのだから名誉なことです。次は2つ星が取れるように励みにしていきたいです」と清水氏は力強く語った。
同じビルのよねむらも、昼、夜ともに集客好調で客足が戻ったようである。
故ジョン・レノン氏が来日した時に必ず足を運んだという、精進料理の醍醐では、「元々外国人のお客さんは多かったですが、10人を越える大人数の外国人の予約が入ったのは新しい傾向です。禅宗の中でも厳しい曹洞宗の考え方が料理にも空間にも表現されていますから、これを機会に精進の世界をより多くの人に伝えていければと考えています」と、野村祐介支配人は張り切っていた。
醍醐
醍醐の客室
他にも、「売り上げがレストラン、ブティックともに10〜15%増えた」(フォーシーズ)、「恵比寿に関するテレビの取材が増えた」(ウェスティンホテル東京)、「各種媒体からの取材が増えている」(森ビル)、「サンパウは日本在住の外国人のお客さんが増えた」(グラナダ)という声もあり、顧客の予約増だけでなく、系列のパンやケーキを売るショップの売上増、マスコミの取材の増加、外国人比率の増加が一つの傾向として出ているようだ。
パリで1つ星を取ったひらまつの平松社長は、「フランスにおいて、ミシュランの星をとって初めてフランス料理界の一員として正式に認められたという実感はありました。そこでのシェフたちとの出会いが現在のビジネスに発展していきますので、その意味ではミシュランの星の効果は非常に大きかったと思います」と語る。
長い目で見れば、ミシュラン効果は店の繁盛以上に、店の国際化や良質なシェフ同士の出会いをもたらすものらしい。今回星を獲得したシェフたちの、これからの活躍が楽しみである。
・読者の視点で公正中立にセレクトしたミシュラン
最後にミシュラン効果をガイド本の発行元はどう見ているのか。日本ミシュランタイヤを訪ねてみた。
「ミシュランは、シェフが誰で何年の経験があるとか、店の名前、どことの資本関係があるというのを一切抜きにして、読者と同じ立場で、公正、中立、客観的に、料理がおいしいかどうかだけで1つ星、2つ星、3つ星をセレクトしています」と広報部・石井陽子さん。
日本ミシュランタイヤ本社
内装が豪華かどうかは、スプーンとフォークマークで別に表しているが、このマークが少ないのは単に内装が簡素なことを示すだけで、優劣を決めているのではないのだという。また、ちなみにスプーンとフォークマークは赤と黒があり赤のほうがより快適であることを表す。
すきや橋 次郎と鮨 水谷は3つ星ではあるが、黒のスプーンとフォークマークが1個の店であり、内装に関係なく皿の上だけで評価されていることがわかる。実際、地下の狭い店だろうが共同トイレだろうが、関係がなかった。
星をシェフや会社の名で選んでいないことは、「料理の鉄人」に出演した鉄人シェフの店では、森本正治シェフの「森本XEX」(日本料理
鉄板焼)に1つ星が付いただけで、あとは全員落選したことでもわかる。三国清三、熊谷喜八、山田宏巳、周富徳、脇屋友詞、小山裕久ら、スターシェフ各氏の店も落選している。また、京味など日本料理の幾つかは、掲載を断ったと伝えられている。
森本XEX
調査員は西洋人3人、日本人2人の5人体制だったが、最近1人の日本人を採用して6人になった模様だ。調査員に採用されるとヨーロッパの星付レストランを3カ月間研修でまわって、基準を統一化するのだそうだ。
その基準とは、素材の鮮度と品質、調理技術の高さと味付けの完成度、オリジナリティ、コストパフォーマンス、常にクオリティを保つ料理全体の一貫性である。料理の知識に加えて細部に気がつく人でないと務まらない仕事である。
「東京は初めてガイドブックを出す都市でしたから、既存のガイドやグルメに詳しい人の意見も参考にしてまず1500店を選び、1年半以上をかけて、1店につき最低2回以上、別の調査員が匿名で食事をして、星をつけるかどうかを検討していきました。まだ、23区のうち8区しかまわれていませんし、発掘できていない店もたくさんあると思っています。これから新しい才能をどんどん見つけていきたいですね」。
石井さんによれば「ミシュランガイドの星は、その時点で撮った写真のようなもので、毎年評価は変わっていく」のだそうだ。今回は1店も掲載されていない、焼肉、インド料理、タイ料理などの評価もこれからなのかもしれない。
パリで刊行された、ミシュランガイド1900年の初版
・素材に対するこだわりが際立つ東京のレストラン
読者の視点、公正中立、新しい才能の発掘を強調する石井さんだが、これほどまでの反響は予想しなかったようで、困惑気味である。とりあえず日本語版15万部を増刷し書店店頭に並べた。
「3つ星の店の数ではパリのほうが10店と多いのですが、星の数全体では191個の東京が一番です。人口規模も違いますが、そこが話題になっているのではないでしょうか。ミシュランガイド総責任者ジャン=リュック・ナレによれば、日本のシェフは素材へのこだわりが高いと感心しています。ヨーロッパでは3つ星クラスしかやらない、シェフ、料理人が自ら市場に行って野菜や魚を選ぶような行為を当たり前のように行っています。水にもこだわりが強いです。星を付けるべき店には付けたと、ナレは満足していますし、東京のレストランのレベルは高いと考えていいでしょう」。
ジャン=リュック・ナレ氏
日本では近年の食品偽装問題もあり、素材には特に厳しい風潮がある。それが思わぬ食のレベルアップをもたらしていた模様である。それと、森ビル、三井不動産、三菱地所といったディベロッパー御三家が、再開発ビルに日本各地そして世界の名店の支店を集結させた効果も大きかった。
意外と言っては失礼だが、日本の有力ディベロッパー、幾つかの飲食企業、ホテルのレストランの選択眼は、実はなかなか鋭かったのである。
それにしても、食にうるさい関西の大阪や京都、神戸ならまだしも、東京が世界一のグルメの街とは意外である。星付レストランがあまりに多いので、ミシュランは東京版で初めて、星付レストランのみを掲載する編集を行った。
ただし、ミシュランは公的機関ではないので、ここで星が付かなかったからといって行くに値しないレストランということではない。幾つかあるグルメガイドの1つとして、レストラン選びの参考にすればいい。
しかしながら、「世界に『東京』が美食の街だと、知らしめてくれたことも非常に大きなこと」という平松社長の言葉の通り、日本の食がこれを機会に世界に開かれていくのなら、外食産業の発展のためにはいい刺激を与えてくれたということなのだろう。