・武田鉄矢で名を馳せた「酔灯屋」を東京にも
竹内氏が外食業界に入ったのは、父親に紹介された、福岡の外食コンサルティング会社。そして、居酒屋「酔灯屋」に出会う。1987年、武田
鉄矢氏(元フォークグループ『海援隊』リーダー)の兄が経営していた「酔灯屋」を買い取った。
実は「父から遠ざかりたくて福岡でできる仕事なら何でもよかった」という。父親は東京でアパレル工場やパソコンの代理店を経営している実業家。様々な場面で「人生に口出しされ、それが嫌だった」と言いながら、資金は父親から提供してもらい「酔灯屋」を買う。
「酔灯屋」とは、「すいとうや?」。博多弁で「私の事が好きですか」という意味の言葉を当て字にした店名。武田鉄矢の兄の店ということで有名。天神2丁目という当時あまり開けていない立地にあり、87坪ながら年商1億3千万円と物足りない実績だった。
店長を交代させ、遅刻しない、掃除するなど当たり前のことを守らせた。また、満席時の来店客を帰さないように待っている間に無料でビールを振舞った。そして、4〜5年かけて、年商2億3千万円、買収時より1億円多く売り上げるまでに成長させた。
そして、1988年にFCとして「949」、90年に刺身・串焼き・大皿料理の店「はかた市 大名店」、91年「はかた鯛」(後の「酔灯屋 西通り店」)、92年「はかた市 筑紫口店」、95年「酔灯屋1号店」を拡張移転、99年「はかた市 祇園店」、01年「酔灯屋 祇園店」、04年「酔灯屋 天神別館」と次々に開店させた。
「酔灯屋 西通り店」座敷
「酔灯屋 西通り店」個室
上手く行かなかったのは「949」と「はかた鯛」。「はかた鯛」は博多弁の「博多たい」をもじった。鯛料理の専門店と期待の新業態だったが、竹内氏いわく「おおズッコケ」。
現在は、「酔灯屋」4店、「はかた市」2店舗の合わせて6店舗を福岡県で運営し、売上高7億6千万円。福岡県内では、外食企業(ビアホール・居酒屋)で7〜8位に当たる。
そして、「10店舗、20億円」を目指して、福岡だけではなく、東京への進出を狙っている。同社のホームページでは「きらく市」として東京の2店舗が掲載されているが、これは竹内氏の妹が経営する別法人だ。ヴィサージュとしての東京出店を計画している。
「はかた市 祇園店」カウンター
「はかた市 祇園店」個室
・リコー出身の理論派
竹内氏は明治大学卒業後、リコーに入社。学生時代にコンピューターを販売するアルバイトを体験し、別の大学にもぐりこんでまで勉強するほどコンピューター技術に目覚めた。そして技術者としてリコーに就職。「ソフトウェアーのバグを見つけるテストドライバー」のような仕事をしていた。そして福岡に営業として転勤。同期で売上1位を獲得するほどの営業力を発揮する。そして、東京転勤の辞令で考える。「父親のいる東京には戻りたくない」と、福岡で見つけた仕事が外食だ。
94〜95年に苦難を味わう。竹内氏は料理にはアンタッチャブルだったので食材の仕入が上昇。家賃も上昇。さらに人海戦術で運営していたので、どんどん人を増やし慢性的な人件費高。「売上高はいいが、経営的には苦しかった」という。
ビール会社から紹介されたコンサルタントの下、FL比率を60%から50%に下げた。そして、「酔灯屋1号店」を家賃の安い物件に移。隣接する店舗を共同キッチンで賄う。そして体質改善され、利益が出る企業に変わった。
そして経営の勉強に熱中しはじめる。
1995年にオージーエムコンサルティングに入会。外食の社長同士の知り合いができた。今も、ユニークな食材を教え合うなど情報交換を続けているそうだ。そして、1989年、社団法人福岡青年会議所にも参加。
しかし、2002年に食中毒を出してしまう。サッカー・ワールドカップの日本対ロシア戦。何とテレビ中継中に、テロップで食中毒ニュースが流れた。そして、ドンと売上が落ちる。しかし、翌月から16ヶ月連続で前年売上越えた。「食中毒事件で身が引き締まった」と言う。
そして、2005年から毎週の経営者勉強会をスタート。居酒屋2名、仕出し屋4名がメンバー。11〜13時に店の座敷で開催。小規模企業の勝ち方を教えるランチェスター経営を学び続けている。
例えば、チラシ巻き。週に1度、1時間かけて近隣企業60社を訪問させている。1社当たりの滞在時間は30秒。余計な事をしゃべらずに「酔灯屋です、チラシをお持ちしました」だけで良い。営業しなくて良い。その代り、月に1度必ず行けと指導しているそうだ。1社毎に話し込むより、240社(60社X4週)に毎月顔出しする方が集客に繋がる。
活ヤリイカ
馬刺し
モツ鍋
鷹當鍋
エビとレンコンのプリプリ揚げ
・東京モンが博多で成功する
東京の下町・深川生まれの親子三代続いた江戸っ子の竹内氏は言う。「深川と博多は同じ。共に人付き合いを大切にする」。
「イベントに参加すると、幹部連中はどこに行っても同じ顔。福岡は140万人都市だが田舎。人の結びつきが強い。付き合い方を間違うとはじかれる」と言う。JCで福岡の副理事長になり、そこでの人脈が博多での竹内氏を支えてくれている。
竹内氏が目指すのは、地元大手企業や上場企業とその子会社をターゲットにしたサラリーマン向けの店。商圏は会社の路地裏。「949」での失敗を、お客の7割は女性だったことと振り返る。「絶対にオヤジ相手にしか商売しない」と誓っている。
博多は単身赴任者が多い。天神店のお客の4割は単身赴任。彼らが「俺の店」とホッと安堵できる店だ。お客の望みに合わせて接客している。3千円で仕切ってと言われれば、メニューに無くても3千円でやる。そんなお客のわがままを聞いてあげる気遣いがウケている。
「『あそこに行ったら勉強になるよ』と言われる店になりたい」と言う。車、バイク、カートなどスピード好きの竹内氏。初対面の時に「バイクで峠を攻めていて滑った」と松葉杖だった。オヤジパワー全開で東京を攻めにやってくる。