フードリンクレポート


昔も今も顧客満足。老舗はお客の笑顔を大切にする。
保立 繁一氏
有限会社 鳥繁 三代目頭

2008.3.14
東京・銀座で75年以上続く、焼鳥の老舗「鳥繁」。保立社長は、三代目頭と名乗り、先代達が築いた暖簾に感謝し、受け継いでいこうとしている。老舗として長く商売を続ける秘訣は、実は今も言われる顧客満足だった。


毎日レジに立つ、保立三代目頭。

昭和6年、銀座で屋台から創業

 保立氏の祖父母が銀座で屋台を引くことから始まった。当時の銀座は平屋の建物と屋台ばかりだったそうだ。歌舞伎座裏から屋台を引き出し、交詢社ビルの脇の資材置き場で営業していたという。屋台にしては高価で、お客は交詢社ビルに集う紳士。

 最も古い焼鳥は、京橋にある「伊勢廣」。大正10年創業で「鳥繁」の初代とは料理仲間だったという。保立氏の祖父は茨城県から出てきて料理屋で修行し、屋台で独立する。そして、現在の銀座6丁目に店を構えるに至る。

 祖父の亡くなったあと、祖母を中心に4人の息子と1人の娘で切り盛りする。息子の嫁たちは、嫁いできた日から日本酒の入ったやかんを持ってお客に注いでまわっていたという。「鳥繁」に嫁いできたようなもの。

 ずっと従業員の大半が家族や親戚で構成され、子供達もこの環境で育てられた。今も、半分以上が一族で占められており、家族の団結があって初めて成り立っている。

 皆、「お客を大事にしろ」と言われて育った。


交詢社ビル脇で赤い暖簾が目立つ。


三代目は毎日、レジに立つ

「同じ方向を向いていれば良い。流れが出来ており、玄関を開ければお客は入ってくる。あとは、お客の勘どころを押さえて喜ばせて帰せるかに集中すればよい。」

 保立氏は毎日店に出てレジに立っている。「接客にミスがあってもレジでどうひっくり返して帰すかが重要です。雇われ人ではできない。彼らの評価は売上を上げることだが、私達にとって大切なのは、気の入った身内の接客ができるかです。」

「レジは看板です。このお客は、どういう気分で食べ終わったのかなと想像しながら、レジでの少ない接客の中でフォローできることはないかと気を払っています。送り帰すところまで、気を抜けません。美味しかったと言ってくれない人が心配です。仏頂面の人は何かあったかなと後で接客担当者に探りを入れます。」

 今の飲食店を見て、「人任せにしちゃいけないところを任せている店が多い。トップは人以上に頭を下げるべき。経営者になって前に出なくなると店はダメになる。トップは居るだけで良い抑止力になります。居るだけでスタッフの背筋がビンとなる」とトップがお客やスタッフと接することの大切さを訴える。


昭和初期のレジが店内に飾られている。


食材のこだわりは表に出さない

 タレはずっと、注ぎ足し注ぎ足しで使う。「焼き台の隣にあるタレ壺が大事。そこに新しいタレを注げば、元の味に染まる。暇な店のタレはおいしくない。忙しい店は焼鳥の肉汁を吸って美味しくなる。また、煮詰めればコクも出てくる。うちで働いていた人でタレを抜いていった人もいました。」


注ぎ足し注ぎ足しで使われるタレ。

 贔屓にしていた静岡県の塩屋が廃業したそうだ。個人で作っていたが、塩の製造免許は代々継承できず、店を閉めてしまった。銀座界隈でその塩を使っていた店も多かった。独特の製法で、塩の粒がまちまちで、ごみもまざっているが、甘味のある塩だったそうだ。今は、インターネットで調べ、取り寄せ近い味のものを選んで使っている。しかし、表示もしていないのに、お客から「塩が変った」と指摘されたと言う。


現在使っている塩。

 食鶏処理資格を持っているので、鶏肉をそのまま仕入れ、店で解体している。カットされた鶏肉は、風にあたると直ぐに色が変わり味が劣化してしまう。信頼できる鶏肉卸を使い続け、一定の品質を一定の量で仕入れる仕組みを作っている。

 いづれも、舌の肥えた銀座のお客を満足させる努力だ。


お客は焼き手を指名する

 店内には1階と2階で、計3の焼き台がある。そして、台毎にお客がついている。火床の高さ、炭の面積が異なり、鶏肉の水分の飛ばし方で、「しっとり」も「からっと」にも変わる。

「仕上げは焼き手 考えて焼いてるか、ただ単に焼いてるか、で大きく違う。お客は自分の好きな焼き手の前に座っているが、どこに座ろうが山中さんの焼き物じゃないと食べないというわがままなお客もいる。それを叶えてあげると喜んでくれる」、という山中氏は30年も焼き続けている店の看板だ。


昼間全員で仕込んだ串がショーケースに並ぶ。


5人の焼き手がいる。

 もう一人の名人は、燗酒を管理する佐々木氏。かつては、アルマイトのやかんで注ぎまわった嫁達を引き継いでいる。しかし、今は純銀のやかんを使っている。銀はお酒を円やかにしてくれる。

 佐々木氏はコンロの前に立ち、純銀のやかんの底を手で確かめながら適温を保っている。お客から燗酒の指名があると、お客の前にグラスを置き、やかんを高く掲げてグラスに注ぐ。シェリー酒を樽から注ぐようなしぐさが人気だ。この道、30年以上のベテラン。彼が引退すると同じ事ができる者はいなくなってしまう。


燗酒を管理する佐々木氏の妙技。

 長く働く職人への待遇も良い。「お客からどれだけ声がかかるかが重要。あなたのお酒しか飲まないというお客がいる。その職人がいるだけでお客が来てくれ、なおかつ飲んで食べてくれる」ので待遇には気を使っている。


昔から、お客を喜ばせることが一番

「老舗になるコツは、毎日毎日同じ事の繰り返しができること。飽きずにできるかです。ある一定の年を迎えると考え方が変わります。お客の美味しかったという気持に素直に感動できて、ありがとうございましたと深々と頭を下げられる気持になれるかなれないかです。私がその気持になれたのは1〜2年前に過ぎません」と保立氏は素直に告白する。

「店さえ開ければ、お客が来るというレベルに先代達の努力で引き上げてくれました。昔は、タダでお客に1品多く出して1杯でも多く飲んでもらおう、また、常連のお客に喜んでもらうために採算を度外視して料理を出したりしているのを見て理解できませんでした。しかし、それは種まきで喜んだお客が広めてくれて、底辺が広くなっていったんです」と、今のお客を感動させたり、満足度を高めたりという考え方に繋がっている。

「客単価も高くバブル時代には、暴力焼鳥屋とも言われました。原価率で見ると、普通の焼鳥店より高いんです。いい食材をまわしてもらっていますから。しかし、あまり良いものを使い過ぎるとお客は手を出せません。マツタケを使ったメニューがありますが、マツタケは韓国も国産といろいろ混ぜて使っています。全部国産だと食べてくれまません。お客は手が出ないでしょう。売れなければ意味がありません」と高級食材を使えば良いというものではない。

 保立氏の毎日は、朝8時半に入店。9時に築地市場に向い、卸への支払と賄い用の食材を購入。10時に店に戻り、全員で仕込み作業。午後1時から休憩を取り、5時の開店に備える。早いお客は4時半には来るという。店は10時で閉店。片付けて電車で帰宅。これを毎日続けている。

「長く商売するならこじんまり。店を増やすと味が落ちるとお客から必ず言われます。こっちが美味い、あっちが不味いと味の比較が始まってしまいます。始まりは家族です。困ったら最少単位に戻します。気の合った仲間で商売した方が、笑顔が出ますから。」

 名物や名人がいるという繁盛のツボを押さえているだけでない。老舗だからとあぐらをかくのではなく、身を清めて、顧客満足に徹している3代目の姿に長く続ける秘訣を見た。


手前「阿波尾鶏焼」315円、奥「手羽先焼」315円


「つくね焼」315円


■保立 繁一(ほだて しげかず)
有限会社 鳥繁 三代目頭。1965年生まれ。東京都出身。アパレル会社で勤務後、ハワイに5年間滞在し、大学でフードビジネスを学ぶ。1996年に家業「鳥繁」に戻る。現在は3代目として一族をまとめている。

「鳥繁」
東京都中央区銀座6-9-15 電話03-3571-8372
http://www.ginza-torishige.co.jp/

【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2008年3月6日取材