・神楽坂ブランドを渋谷、軽井沢、東京ドームへ
文商事を神楽坂で有名にしたのは、和食「神楽坂SHUN」。神楽坂の路地「芸者新路」に10年前に誕生した和食店。和食ブームの走り、「和食ダイニング」という言葉が出来るか出来ないかの時代に開店。
現在も売上は安定しており、37坪で月商9百万円という。繁盛店と比べると良い数字ではないかも知れないが、「1つのテーブルに1組のお客が座ればそれでいい」という営業スタイルを考慮すると、業績は非常に良いと思われる。
そして、5年前に同じく神楽坂で始めた、和カフェ「神楽坂茶寮」。こちらも好調で、神楽坂ブランドを掲げて渋谷マークシティーに出店。今年は4周年を迎える。
「神楽坂茶寮」は、昨年にはブランドの街、軽井沢、銀座にも出店。お客から「軽井沢にもあったよ」と言われ、ブランドイメージの向上につながった。銀座店は銀座プランタンのデパ地下に出店。物販にも挑戦。更に、本年3月には、東京ドームに誕生するミーツポートにも出店する。
3/19に開店した、「神楽坂茶寮」東京ドームミーツポート店
しかし、「『神楽坂茶寮』自体は、はかない業態。客単価も低く、利益率が低い。その割に手間がかかる。かなりの店舗数になるとスケールメリットが出てくるだろうが、現状では難しい。流行り的な雰囲気の和カフェと見られており、上手に出店しないと、直ぐにだめになりそう。はかなくならないように、慎重に出店していきたい」と渡辺氏は神楽坂ブランドを守ることを意識している。
渋谷に出店したおかげで、また神楽坂という街の認知度が増したのと相乗効果で、「神楽坂茶寮」はデベロッパーから人気となった。次々とオファーが舞い込んだが、しかし、ほとんど断ったという。
しかし、少しずつは店を増やしたいという要望があり、軽井沢、東京ドーム同様にテラス付きの物件に限定して求めている。
「蕎麦練り屋 文楽」 店内
・洋食コックからパトロンを求めてホールへ
渡辺氏は、高校卒業後、洋食コックを目指して新宿のホテルに入社。料理長クラスが戦後生まれで、布団だけをかついで夜汽車で東京にやってきたような方々。厳しい職人の世界で3年間修業した。
ホテルの厨房は分業体制。メインダイニングで最初から最後まで作らせてもらうには相当な年数がかかる。しかも、せっかく慣れても途中で人事異動もある。また、ホテルで上に立つ人は、皆、他所からヘッドハンティングで来ることに気付き、ホテルを辞める。
そして、パティシエ、和食の板前も経験するなど厨房を転々とし、途中から調理を辞めて、ホールでの接客に転向した。
「80年代はオープンキッチンがなかった。調理場でいくらがんばってもお客に認められないし、給料も少なく、自分の店を出せない。お金を持っている人を探そうと思って調理を辞めて、接客に転向しました」と渡辺氏は振り返る。
当時はバブルでスタイリッシュな店で働いたり、見にも行った。「流行りの店は全部行った」と、渡辺氏は、流行りモノが好き。
そして、27才で、当時、麹町でカフェバーを経営していた文商事と出会う。そこの責任者を探しており、社長と会って意気投合。
店長となり、カフェバーをリニューアル。飲み屋だったが、食べ物屋に変えた。当時人気の「くいものや楽」が好きで、大皿惣菜居酒屋を作った。「楽」と同じではつまらないので、洋に振り、当時、恵比寿でブレイクしていた「にんにく屋」から知恵を借り唐辛子料理を大皿に盛った。「MORIMORI屋」と名付ける。
好調で、1年半で2号店を神楽坂に開ける。これが、渡辺氏が神楽坂との初の出会い。フレンチの先輩がオーナーシェフとして神楽坂で店を持っており、勧められた。社長は本業のタレント事務所が忙しく、副業の外食には時間を割いてくれない。そこで、物件まで自分で見つけて社長に提案した。このスタイルが今も続いている。
さらに1年後、3号店をJR中野駅北口にオープン。賃料の安さに惹かれるが、4年で撤退。バブル崩壊後、お客が減り、風紀が悪くなって客引きが店の前に30人程並び、お客が店の前を避けて通るようになった。売上も下がり、街自体にも魅力を感じなくなり、撤退した。
「MORIMORI屋」として残ったのが、神楽坂と麹町だが、共に今はない。既に神楽坂で人気がでていた和食「神楽坂SHUN」業態を増やすことに専念する。その後、和食、洋食、喫茶とジャンルを広げ、神楽坂を中心に出店していく。
「神楽坂=和食のイメージが強く、和食を求めてくるお客が多い。でも、和食ばかりでは面白くないので洋食も出店しはじめました。しかし、和食は採算に乗るまで2〜3ヶ月で大丈夫だが、洋食は4〜5ヵ月もかかります」と言う。神楽坂は狭い街、確かに和食ばかりではお客は飽きてしまう。長いビジネスを考えれば、立ち上がりの遅さには目をつぶらざるを得ない。
「LAROCHE KAMIKURA」 「RESTAURANT かみくら」のセカンドラインとして本年2月にオープン。
「LAROCHE KAMIKURA」 店内
・売上目標なし、出店予定なし
新規出店は、渡辺氏が企画し行けると思うもののみを社長に提案するスタイル。「ダメな時はダメ出しされる」と言う。
「社長は別の本業で忙しく、会社員の私が外食事業を全部見て運営しています。社長から、あれはどうだこうだ、がない。社員がいろんなことを考えて運営していける。他の外食企業ではないやりかたです。普通の外食企業では社長が陣頭指揮をとりますよね。うちの社長は店ができるまで来ない。できてもこなかったりする。逆に社員が責任感を感じています。それで上手くいっている部分がいっぱいあります。」
「今年何店出店しようという計画はありません。出店の予定は?とよく聞かれますが、無いんです。上場しようとも思いませんし、私自身が独立しようという気もさらさらありません。増収増益を最低限維持できるように心掛けています」と。本業が儲かっているので、副業の外食には口出しされず、自由に展開できるようだ。
また、本部には渡辺氏と店舗管理の2名のマネージャー、そして、経理担当のみという小さな所帯。上場を目指す訳でもないので、スリムな組織で十分。
今、神楽坂で最多の9店を運営する文商事。神楽坂をドメインとする外食企業と対抗意識を燃やし出店を続け、今では店舗数でトップ。年々高まっている「神楽坂」ブランドを武器に、神楽坂以外への展開もじわじわ始め出した。