・「若くてやる気のある人、いっしょに強くなろう!」
フードワークスは、目黒川沿いの東京・南品川に自社ビルを購入し、本年1月に五反田から本社を移した。それと共に設けたのが、24のインキューべーションルーム。広さは2.5〜7坪。家賃は、水道電気代込みで坪2万5千円を予定。
宮本社長自らが面接し、向上心やエネルギーの溢れる若者に貸そうとしている。金を貸したり、資本を入れることもいとわず、若くてやる気のある経営者を育てようとしている。対象業種は、外食関連ビジネス。既に内装会社、厨房会社等の4社が入居している。もちろん、外食企業も歓迎される。
資金や資本だけでなく、フードワークスから彼らに仕事を積極的に発注し、営業面でのサポートも行う。
年商50億円を超えた宮本氏は上場を考えていない。「上場したら良い人材が来るなんてことはない。今も良い人材が沢山きている。また、意思決定に時間がかかってしまうし、様々なしがらみに縛られてしまう」と語る。
そして、60歳を越え、次のステップに踏み出そうとして始めたのがインキューべーション事業。元々、既存店の営業権を譲渡する形で、独立した社員が10人いる。各人は自分の店として経営し、フードワークスに店舗使用料を支払う形式。
「第2の人生をいかに楽しく過ごすのか」が宮本氏のこれからのテーマ。若手起業家を育てることがフードワークスの競争力につながり、「もっとお客を楽しませる」ことが出来ると考える。
外食関連で起業を目指す、もしくは資本家を求める企業家を宮本氏は待っている。
ベンチャー向けの用意されたインキューべ—ションルーム
・味の素を退社し、居酒屋経営
宮本氏は味の素で新規事業開発を担当し多角化戦略を支えた。通販や食器販売、そして外食店のプロデュースと運営を行うトレッドアソシエイツなどの子会社を設立。そして起業の楽しさを知り、早期退社制度を利用して、1995年に退社し、直ちにフードワークスを設立する。
当初は、人脈を頼って商業施設のコンサルタントを目指したが、味の素の看板が外れると上手くいかなかったと打ち明ける。そして、まずは自分の実力を見せられるものとして、参入障壁が低く、現金商売である外食店の経営を始める。実家は東京の新橋演舞場の近くで喫茶店を経営している。
芝浦の倉庫跡のビルを見つけ2000万円を投資し、75坪で110席の居酒屋「洒らく(しゃらく)」を開店させる。「居酒屋フードコート」というコンセプトで、店内に寿司、焼鳥、天ぷらの3つのカウンターを作り、中央にテーブル席を設けた。芝浦の閑散としたエリアにも関わらず1日100〜120万円売り上げる。「こんなに儲かってよいのか」と疑ったほど。
「洒らく」の人気により、同じビルに、大手のチェーン店が出店してくる。全てが居酒屋ビルとなった。
「自店は2千万円しか賭けられないのに、大手は2フロアを借りて2億円を投資。仕入れの競争力も違い、サラリーマンが帰りに立ち寄るような安く飲めればいいというエリアでは大手に勝てないと実感しました。例えM社に勝っても、次にW社がやって来る。水商売の危険さ、隣に強い店が来ると売上がとたんに落ちる怖さを知りました。いつでも、辞められるようにしよう」、そして、「洒らく」をM社に売却した。
その間、「少ない投資でも、回収するのに5〜6ヶ月かかる。こんなに儲かっているのに次に出て行けない。6ヶ月回収でないと資本の無い経営者は拡大できない。その方程式が解けるか?」と、45歳の遅めの独立ということもあり、自己資本をスタートに借入のリスクは取らず展開していく手法を模索した。
そして「居抜き」にたどり着く。
新橋演舞場近くの料亭を改装した和食「花蝶」(東京・銀座)
「花蝶」は演出家の宮本亜門氏がプロデュース。宮本亜門氏は宮本圭一氏の弟。
「花蝶」 料理
和食「美先」(京都・岡崎) 外観
「美先」 街燈
「美先」 コース料理
・「脱サラ成功仕掛人」
「5〜6ヶ月で資金を回収するためには、粗利を上げて投資を少なくする。そこで、居抜きに目を付けました。先に現金が入り、仕入れは後なので、資金繰りも楽で次々に出店できる方程式を見つけました。」
そんな時に、日本テレビ「スーパー情報最前線」で宮本氏は「脱サラ成功仕掛人」として紹介され、居抜き開業の達人との評判を得る。そして、居抜き物件情報が続々集まるようになる。大手デベロッパーからも「ダメになったら、ここに相談しよう」と言われるようになる。
そして、社員に独立させた店舗も合わせた50店の大半を居抜き物件で作った。
同社は「ニャー・ヴェトナム」、「フォー麺」などヴェトナム料理店を10店運営している。そのスタートも居抜き。ヴェトナム雑貨を輸入している方に外食進出のコンサルを依頼された際に、ヴェトナムに出張しその料理の素晴らしさを実感した。フランスのセンスが入ったあっさり中華。フォーは日本の麺文化に近い。ヴェトナム人も勤勉で、清潔感があると、恵比寿に「ニャー・ヴェトナム(ヴェトナムの家)」の1号店を居抜きで出店。開業当初は3階のヴェトナム大使館の事務所でのビザの発給や、旅行会社、雑貨店、レストランの複合店として、人気が出る。
「ニャーヴェトナム」 外観
「ニャーヴェトナム」 店内
「ニャーヴェトナム」 フォー
「ニャーヴェトナム」 カレー
本年3月にオープンした大阪・千里中央のヤマダ電機にもイタリアン「ポルトファーロ」と並んでフォーと生春巻の店として出店したが、初日からパスタに勝っているそうだ。旅慣れた風のシニア夫婦が「あっ、ベトナム料理じゃないか、行ってみよう」という感じで店に入ってくる。旅行と食の連携プレイで、ヴェトナム料理店をじわじわ増やしている。
「ポルトファーロ」 店内
「ポルトファーロ」 料理
「ポルトファーロ」 料理
「飲食の出店は、遊びに来る場所が良い。遊びに来る場所は滞在時間が長いから当たる。今、デパートは面白くない。でも、電機店は楽しい。ゴルフクラブ見て、本見て 3時間くらいすぐ経つ。CDの日本中の売上の15%をヤマダ電気が販売していることを聞き、ヤマダ電機は来るな、と思いました」。
しかし、商業施設への入居は居抜きではないが、工事代金負担の少ない物件でないと出店しないのが、同社のポリシーだ。
・公共事業コンサル、通販、ケータリング
宮本氏自身の遣り甲斐として、官公庁の食関連のコンサルティングも引き受けている。農水省と「ごはんミュージアム」を運営、東京都の味の素スタジアムの売店を企画し自社でも売店を運営するなど、責任を持って出来る範囲で引き受けている。
テレビ通販向けの食品開発も売上高15億円に及ぶ。新社屋の1階にテストキッチンを設け開発するだけでなく、消費者モニターを集めて商品を紹介するビデオを見せ、売れる食品を開発していくという手法を取る。映像のストーリーや出演者、そして売れるコピーまで付けてテレビ通販会社に提案しており、単なる食品卸とは全く異なり、マーケティングを取り入れている。
外食で得意の、和食、イタリアン、ヴェトナムを売りにケータリング事業も展開を始め、外資系企業などからの発注が増えている。
また、セミナールームを作り、社内向けのみならず、外部の取引先も集めて一緒に勉強し、競争力のあるチームを作ろうとしている。
60歳を過ぎたにも関わらず、常にアンテナを高く張って、新しいものにチャレンジしようとしている宮本氏。「いっしょに強くなろう!」と若い経営者の相談役として心強い存在だ。
新社屋1Fにあるキッチンスタジオ