・300店でも手作り
「お客が来るのは、何だかんだ言っても、まず商品。いいスタッフがいればもっと店を好きになってもらえるが、まずは商品」と中島社長に教え込まれた。
内山氏は店舗を訪ねると、入口を見て、その後、まっすぐに厨房に向かう。麺、飯、点心がきちっと出来ているかを確認する。納得いかなければ、厨房スタッフにその場で教えて、今スグに直させる。調理の知識があるので中国人からも舐められない。
エリアマネージャーも料理が分かる方々。「数字だけの管理だと改善することが出来ない。客単価、売上を上げる手段は商品しかない」と内山氏は言い切る。
際コーポレーションはセントラルキッチンを作らない。名物の鉄鍋餃子やニラ饅頭も店ごとの厨房内でレシピに合わせて手作りしている。300店舗が全店で手作りしている外食企業は他にはないだろう。だから、商品、すなわち料理へのチェックを各店を訪ね厳しく行っている。中島社長も時間があれば店舗を巡回している。
入口を見ることも忘れない。入りやすいか、サンプルが並んでいるか、店内を覗いたらお客は入りたいと思うか。商品を食べてもらうには、まず店内に入ってもらわなければどうしようもないからだ。
普段は東京・池尻大橋の本社でミーティングをこなし、毎週末には、際コーポレーションお決まりの黒いTシャツを着て店舗巡回するのが、内山氏のルーティーンだ。
内山氏の思い出深い「紅虎餃子房 有楽町店」
・俳優志望から、TVで見た際コーポへ
内山氏は富山県出身。 大学で上京するが、中退し飲食業でアルバイトを始める。目標は俳優になること。当時、人気だった六本木のディスコで黒服として働きながら俳優の養成所に通う。しかし、3年続けたが運に恵まれず、あきらめる。
俳優をあきらめて、池袋サンシャイン58階にあった広東料理店「摩天楼」で社員になる。床面積300坪で、宴会場や和室の個室もある、バブルそのままの巨大な中国料理店。経営する会社が倒産してしまうまで11年間勤めた。
「ホールに凄い先輩がいました。気が効いて接客が凄いんです。この先輩に出会って、接客が面白くなりました。内山君おねがいします、と自分の名前で予約が入ってくるんです。チップも沢山いただきました。お客様から評価をいただく楽しさを知りました」と内山氏は語る。
テレビ番組で中島社長を見る。広尾に出店するのをドキュメンタリーで追いかけた番組。広東料理店が倒産後、際コーポレーションに面接に行く。中島社長に会い、その場で「いつから来れる?」と声をかけられた。内山氏は飲食業を一からやってみようと、入社を決意した。
初日に「オープンしたばかりの紅虎餃子房の北千住店に行ってくれ」と言われ、Tシャツを渡された。場所もよく分からず店舗に行くと、お客が行列を作っていた。際コーポレーションの凄さに感激したと言う。広東語のメニューは以前の店で慣れていたが、こちらは北京語。とまどいながらも、メニューと値段を必死で覚えた。
その後、店長を4店経験する。新橋の4階建て物件のオープン店長、銀座グリーンビル「胡同マンダリン」のオープン店長。そして、「紅虎餃子房」有楽町店。
・有楽町店店長から取締役に
有楽町店はオープン時からずっと大繁盛。未だに、売上一番店。忙し過ぎて、オープンして店長が2人次々とギブアップ。月に1万人の来客があり、中国人10名の厨房とフロアスタッフも含め40〜50人を束ねなければならない。
内山氏はこの有楽町店で4年間、店長兼エリアマネージャーとして活躍。着任時には月商2千万円だったのを4千万円、12月には5千万円に変えた。4名席に2人客が座り、外ではお客を待たせているような状況だったという。4名席のお客に断ってテーブルを分けて2名づつ入れた。ドリンク比率が高い店だったので、2時間の時間制限を設けた。待っているお客を返さぬよう、客席の回転率を高めて、売上を伸ばしていった。
内山氏はこの業績が高く評価され、執行役員を飛び越え、取締役に抜擢された。「紅虎餃子房」有楽町店は彼にとって忘れられない店となった。
「紅虎餃子房 有楽町店」 店内
・デシャップから持って行ったらホールの責任
同社の良い点は、「調理場にはいっていけること。ホールはホール、厨房は厨房と分業しない。店長は厨房の中に入って指示ができます。しかし、厨房の中国人は人を見ています。この人は料理を知っているのか値踏みされています。知ったかぶりをしていると、舐められてしまいます。」
「海老チリは調味料を入れる順番で味と香りが違ってきます。なぜ、ベタベタしたチャーハンが出てくるのか、これも理由があります。それが分かってないと、厨房がズルしていると指摘できない。」
中島社長から、「デシャップまでは調理場の責任。デシャップから持っていったらホールの責任」と教えられているという。
「お客様に自信を持っていける料理か? ちょっと違うなという時は厨房に返さないといけない。デシャップでホールが判断しなければいけない。それを黙って、いいやいいやで出してしまうと、今度はお客から店がジャッジされます。今のお客様のジャッジは厳しい。 厨房に自分の言葉がお客様の言葉だと理解してもらうしかないのです。そして作りなおしてもらいます。」
『自信のあるものだけを必ず出せ』が際コーポレーションで学んだ最も大きなことと内山氏は語る。
「紅虎餃子房」発の大ヒットメニュー 「鉄鍋餃子」
海鮮あんかけ土鍋ごはん
黒白ごまタンタン麺
・今年は既存店を見直す
内山氏の今の最大の仕事は、既存店を見直すこと。営業本部を作り店舗も人事も統括する組織が出来、ようやく形になりつつあるそうだ。「FL55%を目標にしていますが、店長によって出来る出来ないがまちまち。厨房にも人が多すぎたりしています。それをこれから営業本部が指導していきます」と内山氏は店舗巡回を続けている。
「商業施設で集客力がある店の立て直しはハードルが低い。しかし、路面店は直しても、それをお客様に告知することが難しい。メニューだけを変えれば伸びる場合もあるが、調理場が臨機応変にスピードにのってこない。職人を動かすには食材の知識が必要です。中島社長は和洋中関係なく見れる凄い人です。」と中島社長の背中を常に見つめている。
同社には調理師を中心に、300人の中国人社員がいる。アルバイトを含めると600人近いという。中国人専門に雇用する国際業務部という部署が社内にあるが、彼らを教育するのは営業本部の責任。
「当たり前ですが、中国料理を中国人はよく知っています。彼らの作る賄いが新メニューのヒントになることもあります。日本人の調理師は何ちゃって中華というような、なよなよしたのを出してくる」と、中国人への信頼が厚く、中国人からも慕われているのが内山氏。
中島社長の求心力は凄い。その力で際コーポレーションは300店をまとめてきた。今、同社は営業本部を作って組織的に管理していこうとしている。中島社長からその責任者に抜擢されたのが内山氏だ。中島イズムを忠実に守れ、店舗に浸透させ続ける力があると判断されたのだろう。来年には組織力の付いた際コーポレーションが誕生するはずだ。