フードリンクレポート


ヨーロッパの郷土料理が、スローフードの浸透でオープン相次ぐ。
<前編>

2008.5.28
スローフードが飲食のトレンドとなるに従って、地方の郷土料理、田舎料理が脚光を浴びている。そのブームは、フレンチ、イタリアン、スパニッシュなどの西洋料理にも波及。ヨーロッパ各地の郷土料理を提供するレストランが増えている。また、ヨーロッパの田舎にある店で修業をする若いコックも多く、今後の開業はますます増えるだろう。日本に着実に根を下ろしつつある、ヨーロッパの郷土料理の現状をレポートすべく東京各所を歩いた。前編では、プロバンス「クーカーニョ」、ブルターニュ「ブレッツカフェ クレープリー」、シチリア「無二路」、ヴェネツィア「ダンドロ ダンドロ」を紹介する。


「クーカーニョ」 ブイヤベース

田舎暮らしの本場、南仏プロヴァンス料理をホテルが提供

 フランス料理というと宮廷料理を元としたソースでいただく、格式高い高級な料理といったイメージがあるが、日本の1.5倍の国土を持ち農産物の輸出国であるフランスは、地方によって特色ある料理を発達させてきた国でもある。北は大西洋、南は地中海に面しており海の幸が豊富、東にアルプス、西にピレネーと大きな山脈があり山の幸にも事欠かない。

 そして、近年は日本でもフランス各地の郷土料理の店の開業が相次いでおり、従来のフレンチとは一味違った、カジュアルで素材を生かしたローカロリーな傾向のメニューを提供し、新風を吹き込んでいる。

 新しい風はホテルのダイニングにまで波及しており、2001年開業した東京・渋谷の「セルリアンタワー東急ホテル」40階にあるメインダイニング「クーカーニョ」は、南仏プロヴァンス料理を提供する店である。

「ミシュランガイド東京2008」で星1個を獲得し、日本におけるプロヴァンス料理の代表店と認知されている。

 プロヴァンスというと地中海に面した温暖なリゾート地で、フランスの代表的港町マルセイユ、保養地のニース、国際映画祭で有名なカンヌなどの都市があり、セザンヌ、ゴッホ、シャガールら多くの芸術家が魅せられた地域でもある。作家ピーター・メイルの『南仏プロヴァンスの12か月』は、田舎暮らしのバイブルとして読み継がれている。

 なぜ、プロヴァンス料理だったのか。

「フランス料理のメインダイニングをつくる計画があったのですが、2001年当時はイタリアンがはやっていた時期でして、南仏のプロヴァンスの料理は、バターたっぷりとかソースで食べるというより、素材を生かすイタリアンと共通する考え方の料理だったので、これにテーマを絞りました。プロヴァンスはオリーブ油、ハーブ、くだものもおいしくて素材が豊富。ヘルシーなイメージがあるので、年配の方にも受け入れられやすい感じがしますね」と、同ホテル広報担当の川島知美さんはレストラン企画の背景を語った。


「クーカーニョ」 店内


「クーカーニョ」 バーカウンター

 また、ホテルのメインダイニングといえども、特別な時しか利用できないものではなく、なるべく街場のレストランの値段に近づけて愛用してもらうという意図もあった。

 なお店名の“クーカーニョ”とは、現地で話されるプロヴァンス語で桃源郷を意味する。

 食事は、朝食、ランチ、ディナーと3つの時間帯で別のメニューが提供される。朝食は「コンチネンタルブレックファースト」(2772円)〜。ランチは4600円、5775円、1万円と3つのコース及び、4100円と5600円のアラカルトから選べるプリフィックスコースがある。

 ディナーは1万5000円と1万8000円のコースと、1万円のプリフィックスコースがある。

 メニューは随時変わっていくが、ニース風サラダやさまざまな素材を使った肉料理はもちろん、魚介類の料理の充実が目覚しい。ラベンダーなど多彩なハーブの使い方に工夫が見られる。特にプロヴァンス料理を代表する魚介類のスープ「ブイヤベース」は、この店の顔というべきもので、お勧めできるメニューだ。

 ドリンクはシャンパン、ワインを中心にそろえている。

 内装はホテルのコンセプトである「シンプル・モダン」に沿ったデザインで、周囲に高層ビルがないので夜景はきれいに見渡せる。

 顧客は50代くらいの子育てを終えた奥さんにランチが好評で、周囲の南平台、松涛、田園都市線沿線から集まる。同窓会などの需要も多い。ディナーはビジネスミーティング、週末はカップルが中心となり、特に週末は込むそうだ。

 また、外国人の比率が高く、ホテルの宿泊客の4割が外国人といった性格から、中でも朝食は外国人が多い。


ソバ粉でつくったクレープ、ガレットが赤坂サカスでヒット

「ブレッツカフェ クレープリー」は3月20日にオープンした新商業施設「赤坂サカス」内「赤坂Bizタワー」1階にオープンした「ガレット」の専門店。

「ガレット」とはソバ粉100%を使ったクレープで、フランス北西部の大西洋と英仏海峡に突き出したブルターニュ半島とその周辺部にあたる、ブルターニュ地方の郷土料理だ。ブルターニュ地方は歴史的にイギリスのブリテン島からやってきたケルト民族のブルトン人の住む地域であり、ラテン民族のフランス人が住むフランス中央部とは民族も言語も風習も異なる。従って食生活も独自のものを持っており、ブルターニュ特有の郷土料理を育んできた。


赤坂サカスの「ブレッツカフェ クレープリー」 外観


「ブレッツカフェ クレープリー」 店内


「ブレッツカフェ クレープリー」 店内

 午前11時のオープンより30分以内に満席になる状況が続いており、ランチのピークには1時間ほどのウェイティングもざらといった盛況ぶりだ。店内は26席の小さい店だが、1日に10回転ほどするという。22時半でラストオーダー、23時で閉店だが、施設内の「赤坂ACTシアター」で観劇を終えた人たちが22時過ぎから立ち寄るので、閉店間際まで込み合うそうだ。

 顧客単価は1700円ほどで、顧客は9割が女性と、圧倒的に女性に人気の店となっている。年齢的には30代、40代が主流となっている。

 経営するともえ商事はグルメ杵屋の子会社で、和食などさまざまな業態の飲食店を手がけているが、ガレットには初めてのチャレンジだ。神楽坂と表参道にあるガレット専門店「ル ブルターニュ」を1996年より展開している、ル ブルターニュ(本社・東京都新宿区神楽坂)とFC契約を結び、FC店として出店している。

 ル ブルターニュ社はブルターニュ出身のラーシェ・ベルトラン社長が起こした会社で、「ブレッツカフェ クレープリー」はこれまで横浜赤レンガ倉庫、ラゾーナ川崎プラザ、新宿タカシマヤに店舗があった。

「ブレッツカフェ クレープリー」をオープンするにあたっては、ル ブルターニュ社の規定でクレープ職人の社内資格「アルチザン・クレーピレ」を取得する必要があり、2ヶ月の研修を経た資格取得者がクレープを焼いている。

 最も人気が高いメニューは「プロヴァンサル」(1680円)で、目玉焼き風タマゴ、オーガニックトマト、ハム、オニオンのシードルコンフィ、アンチョビ、スイス・グリエールチーズ、ハーブ・ド・プロヴァンスといった具がクレープ生地に包まれていて、なかなかボリュームがある。


「プロヴァンサル」(1680円)

 そのほか「サヴォワヤード」(1680円)という、生乳からつくられたルブロションチーズ、ベーコン、ポテトサラダなどがトッピングされたものや、「マレシェール」(同)という、目玉焼き風タマゴ、オーガニックトマト、アンティチョーク、ホウレンソウ、スイス・グリエールチーズなどがトッピングされたものも注文の多いメニューである。4000円で提供される、コース料理もある。

 ドリンクは、ブルターニュ名産の「ヴァルドランス」というシードル(甘口・辛口、480円〜)がお勧めで、「オーガニック」(550円〜)もある。

 全般に素材は、オーガニックにこだわっている。

「神楽坂、表参道のお客さんにも来ていただいていますし、店のブランド力の強さを感じます」とストアリーダーの猪阪準弥氏は手ごたえ十分といった感じである。

 ブルターニュでソバ粉を使ったガレットが主食となったのは、やせた土地でソバくらいしか栽培できなかったからだが、ソバの健康に良い食材の性格からみて、現代に見直される要素を持っていたといえるだろう。


地中海シチリア島の人情にほれ込んで、郷土料理の先駆者となる

 イタリアというとスローフードの本場。北はアルプスの山中から、南は地中海に突き出たイタリア半島のさらに先の島々まで、縦に長いブーツのような形の国土を持つイタリアは、18世紀後半まで国民国家として統一されず、幾つもの小国家に分かれて独自の歴史を歩んできた。

 それで地方色豊かな郷土料理が育った面があり、一般にイタリア人は自分の育った街の料理が一番おいしいと信じている。代々受け継がれる各家庭の調理方法を大切に守っているそうだ。

 イタリアの中でも半島の南に浮かぶシチリア島は四国ほどの大きさがあり、地中海に浮かぶ最大の島である。紀元前にギリシャの植民市として開け、北アフリカのカルタゴとの間に領有をめぐって戦争が起こったりもした。その後、ローマ領やその後継の今のトルコに本拠があったビザンチン帝国領、ゲルマン系東ゴート領、アラブ系イスラム領、北欧出身のノルマン人の征服、ドイツの神聖ローマ領、フランスのプロヴァンス領、スペイン領、オーストリアのハプスブルク家の支配などを経て、1860年にイタリアに統合されている。

 そうした、地中海の要所の軍事拠点として各国が領有を目指した非常に複雑な歴史からも、“文明の十字路”であるシチリア島の食文化はイタリア本土とは微妙に異なってきている。

 東京・世田谷の下北沢と笹塚の間の住宅街にある「無二路(ムニロ)」は、店主の大塚政美氏が10年ほど前にオープンした店だ。当時はもちろん、イタリアの郷土料理は日本にほとんど紹介されていなかったが、食べ歩きが趣味であった大塚氏はシチリア人のシェフと親しくなり、実際に現地を訪れて素朴で人懐っこい人情と魚介類を中心にしたおいしい料理に胸打たれ、脱サラ独立を決意したのだという。


「無二路(ムニロ)」 外観


「無二路(ムニロ)」 店内


「無二路(ムニロ)」 店内

 古い歴史あるシチリア島であるが、現在のイタリアでは経済的には停滞した地域であり、反面のどかな田舎の人情も残っているのが現状なのである。

「街へ行けば、そこらにレモンやオレンジはたくさん成っていますし、暮らしていけるくらいのアルバイトのようなものもあるのでしょう。失業率が30%を超えるといっても、人々はおしゃれで、おせっかいで、穏やかですよ。向こうに友人もいるんですが、お金を使わない楽しみ方を知っていますね」と大塚氏は楽天的なシチリア気質にほれ込んでいる。

 チーズやバターを多用するこってりした味付けの北イタリアに比べて、南イタリアはトマト、オリーブ油ベースのあっさりとして胃にもたれない、体にやさしい料理が多い傾向にある。

「パッキーノ」というトマトはこの島の名産の1つである。また、北アフリカの影響で魚介類のクスクスが食されるし、食用サボテンもあるし、古代フェニキア人の製法を守った塩田もある。ライスコロッケ「アランチーニ」も街によって、ふるさとの味がある。日本人の観光ルートではまだマイナーなシチリア島であるが、なかなかユニークで魅力的な食文化である。

 店名は禅でいう「古今無二路(ここんにろなし)」から取ったもので、賢者の行く道は1つといった意味だ。

 メニューは、ディナーのコースは2900円、3900円、5900円と3種類あり、アラカルトは800円からある。

 売りは、まずお皿からあふれるほどの「前菜盛り合わせ シチリア風」(1500円)は10種類ほどのさまざまな前菜が大皿に盛られていて驚かされる。

 パスタでは、シチリア人は日本人と同じくウニを食べるので「たっぷりの生ウニとフレッシュトマトのスパゲッティーニ」(2300円)が面白い。「メカジキのラグーのペペロンチーノスパゲッティーニ」(1500円)も人気だ。

 シシリア料理はソーセージも有名だが、「自家製うずまきソーセージのグリル レモンを添えて」も楽しめる。

 また、ランチは990円、1580円、2630円のセットがあり、990円のセットでは前菜、パスタ、アイスクリーム、コーヒーが提供される。


お皿から溢れるほどの前菜の盛り合わせ


ズッパディペッシェ(シチリア風ブイヤベース)


フルッティ ディ マーレ


溺れダコのトマト煮

 ドリンクは、シチリア島はイタリアでは最大のワイン産地であるので、現地から取り寄せた大衆的なおいしいワインが味わえる。 

 顧客層は40代が中心で、ランチは近所の奥さんがメイン、ディナーは地域を問わず幅広く集客し、新国立劇場で観劇した帰りに車で訪れる人も多い。男女比は半々くらいとなっている。

 同店からは有名シェフが輩出しており、今日の東京におけるシシリア料理の興隆に大きく貢献していることも見逃せない。


“水の都” ヴェネツィアで修業したシェフが食文化の伝道師に

 同じイタリアでも、北東部にあるヴェネツィアの郷土料理を提供しているのが、東京・日本橋の「ダンドロ ダンドロ」だ。

“水の都”、“アドリア海の真珠”などとうたわれるヴェネツィアは、海産物の宝庫であり日本人の口に合う新鮮な魚介類を使った料理が主流。また、ヴェネツィアを州都とするヴェネト州を含むポー川流域地方は、ヨーロッパでは数少ない米の産地であり、リゾットはこの地方で生まれた料理である。

 パスタでは、「ビーゴリ」という太目の生スパゲティのような特徴あるものが名産。さらに、ドルチェではティラミスはヴェネト州が発祥、と書き上げていくとヴェネツィア及びヴェネト州は、イタリアの中でも非常に特筆すべき食文化を持っていることがわかる。

「ダンドロ ダンドロ」は昨年6月に、イタリア各所で修業したオーナーシェフの高橋和男氏が開いた店で、近年カジュアルなイタリアンの店は増えているが、イタリアの食文化を伝える郷土料理の店はまだまだ少ないのではないかという思いを、形にしたという。現地の料理をリアルに再現するだけでなく、店内は現地で撮った思い出の写真や伝統工芸品・ヴェネツィアングラスが飾られ、ヴェネツィアの雰囲気を伝えている。

 店名は塩野七生氏の歴史小説『緋色のヴェネツィア』の主人公マルコ・ダンドロにちなみ、店のテーマカラーも緋色のカテゴリーに入るオレンジ掛かったサーモンピンクにして、内装やディナーのテーブルクロスなどに使っている。


「ダンドロ ダンドロ」 外観


「ダンドロ ダンドロ」 カウンター


「ダンドロ ダンドロ」 店内

 人気のメニューは、手打ちのビーゴリを使った「あさりソースのビーゴリ」(1200円)、「鴨肉のラグーソースのビーゴリ」(1700円)、トマトを練りこんで緋色を表現したビーゴリと春の素材を使った「ハマグリと菜の花のビーゴリ」(1800円)といったパスタ。

 あるいは、リゾットではヴェネツィアでは古くから薬用でイカ墨が食されていたが、「イカ墨のリゾット」(1550円)などが味わえる。なお、リゾットに使う米はわざわざ最高級のヴェネト米を、現地より取り寄せて表現するといったこだわりぶりだ。

 そのほか「岩手産短角牛のカルパッチョ」(1350円)、「房州産鮮魚のカルパッチョ マスケーラ風」(1200円)といったカルパッチョ。ヴェネツィア料理ではタマネギを多く使うが、甘酢マリネにタマネギを加えた「イワシのサオール」。この地の郷土料理では欠かせない「レバーの赤ワイン煮」、デザートでは「ティラミス」(600円)といったものが挙げられる。

 ランチは1000円からあり、ディナーは4600円のプリフィックスコースがあるがアラカルトのニーズが高い。


イカ墨のリゾット


ヴェネツィア名物のパスタ、ビーゴリ


ドルチェ

 ドリンクは、ヴェネト州の地ブドウを使った、白ワイン「ソアヴェ クラシコ」、赤ワイン「ヴァルボリチェッラ」をはじめ、イタリア各州のワインが楽しめる。カクテルでは、桃のピューレをイタリア産のスパークリングワインで割った「ベリーニ」(750円)という画家の名前を付けたものなどがある。ミネラルウォーターも「サンヴェネデット」(600円)という、ヴェネト州のものを提供している。

 顧客層は近隣のサラリーマン、OLが中心で、年齢層は20代後半から60代までと幅広い。男女比は半々である。日本橋といっても製薬会社の集まる本町のオフィス街に立地しているので、休日の人通りが少なく、日曜・祝日は休みとなっている。

 企業関係の6〜10人程度のパーティー需要が多く、リピート率も高いのだそうだ。ディナーの客単価は約6000円。席数は45席で、1階がカウンター、地下1階がダイニングとなっている。

「袋小路が多く周囲に川があって歴史を感じる神田、日本橋はヴェネツィアに似た雰囲気を持っているのではないでしょうか。この日本橋本町から真のイタリア料理と食文化を伝えていきたいです」と、同店の長谷川浩二店長はまだ日本ではよく知られていないヴェネツィア料理の普及に意欲を見せている。


【取材・執筆】 長浜 淳之介(ながはま じゅんのすけ) 2008年5月14日執筆