・「黒船」は売却するために生まれた
木村氏は、7/10に東京・六本木の路地に開店した、話題の「黒船」をデザインした。同店を経営する、東京レストランツファクトリー社長、渡辺仁氏との出会いを木村氏が語った。
「渡辺社長とはビールメーカーの紹介で引き合わされ、スペインバールで会いました。渡辺社長から店のアイデアを聞かれた時、『僕がこれから10分間べらべらしゃべりますから、これが面白いと思ったら面白いと言って下さい』と、僕がいきなり話し出しました」
「黒船」(東京レストランツファクトリー)
「レストランがバールをやると成功すると僕はすごく思っています。敷居を低くしたレストランのバールがヒットしているケースが多いんです。例えば、グラナダの『サンパウ』の料理を『ペロ』に並べて大成功しました。渡辺社長の和食のクオリティが高かった。 バールとして小皿料理を並べよう。でも、和のバール展開はカウンターのある居酒屋や小料理屋になってしまう。じゃ、もっとにぎやか感を出していこう。スペイン風ピンチョス、フレンチのアンティパスト、それに和食を加える。和食のレベルが高ければ、十分に引っ張れる」
「ペロ」(グラナダ)
「渡辺社長は、何店舗か揃えて売却先を探せるブランド作りを意図していました。小さい店で設備投資を少なく展開すれば店舗数を増やせる。そこで、バールの展開をしてみませんか、物件も紹介できると提案したら、やろうという事になったんです」
・ラゾーナ川崎「リストランテ・ルビー・ソプラフィーノ」はクラシック
ラゾーナ川崎でフェアネスクリエイションが運営する150坪のイタリアン「リストランテ・ルビー・ソプラフィーノ」も木村氏のデザイン。
「最初は、三井不動産から提案依頼がありました。元々、ラゾーナ川崎は東芝の土地で、東芝にも納得してえる業態を作らなければならない。川崎は大手企業の部長クラスの戸建てが多い。彼らが退職にあたり、地元民となり奥様方とつきあわなければいけない。それを助けてあげる場所がつくれたらいいなと考えました」
「川崎は音楽の街をテーマとしています。勇退された団塊の世代の方々を音楽と結びつけよう。音楽はクラシック。しかし、わざわざチケットを買って見に行くことはない。いきなり、お父さんがそんなことをするのは気持ち悪い。レストランなら、いい店があるからいくぞ、と奥様に言えるかなと思いました。レストランの中で、いつもクラシックを生演奏していて食事が食べられるというのが、ソプラフィーノのテーマにしました。この提案をレストランに進出したかったフェアネスクリエイションに持ち込んだら、デベロッパー側との交渉も含めて、私に任せていただきました」
「リストランテ・ルビー・ソプラフィーノ」(フェアネスクリエイション)
千葉・東京東部で居酒屋を展開するプランズの「炎丸」も木村氏のデザイン。本八幡店は圧巻で、外から大きな階段が見える。物件は商店街に面する2階建の古い木造アパート。1階の一部と2階全部を使って、吹き抜けの空間を作り、そこに階段を設えた。イメージは忠臣蔵で有名な京都の池田屋。階段落ちの舞台シーンを思い出させる大きな階段が外から見える。本八幡商店街の名物になっている。
「炎丸」本八幡店(プランズ)
・中卒、ドラマAD、ゼネコン経営
木村氏は、中学では野球に打ち込み、スカウトが来るくらいの有名人で、しかも勉強もできたという。しかし、たまたま春休みのアルバイトでテニスコートを作る建設会社で働いた時、「これが男の仕事だ」と確信し、高校には進まず、そのまま建設会社に入社。社長に気に入られ、お金を任され、ついには自分でやってみろと言われて、請負会社を自分で作った。バブル時代で、日本中を飛び回ってテニスコートを作り続けた。
しかし、大人になるにつれ、段々と今のままでは世界が狭く感じるようになり、20才で大学検定を受け、千葉工業大学で建築を学んだ。請負会社からの収入もあり、六本木で遊ぶうちに芸能界とのコネクションができる。
そして、演出の世界に興味を持ち、名演出家、久世光彦氏の率いる製作会社カノックスに新人として入社。久世氏に気に入られ、数多くの受験者を押しのけて合格。アシスタント・ディレクターとしてTVドラマ製作に加わるが、TVドラマの演出と自分の考える演出の舞台が違うことを感じ退社。そして転職。
本業の建築に戻り、大和ハウスに入社。ロードサイドの土地を持つオーナーに対し、建物を建て流通業に貸しませんかという、流通建築の分野で働いた。もともと、昔のツテで千葉の政治家をよく知っており、オーナーを次から次に紹介してもらい、設計担当にもかかわらず、全国一の売上を年々達成した。
そして、大和ハウス時代の同僚5人を引き連れて、ゼネコンを開業。1年目で3億円を売り上げるが、いきなり4千万円が貸し倒れ。売上を上げるしかないと、社長営業で次々と受注し、4年目には25億円を売り上げた。
しかし、ゼネコンに限界を感じて解散する。ビルを建てたら、低層階にテナントとしてレストランを入れ、そこのデザインも受注していた。演出好きの木村氏は、ストーリー性を持ったデザインで、レストランオーナーに支持された。そして、大きな事業投資の負担もない、空間デザインに仕事をシフトした。
・クライアントの顔をデザインする
木村氏には、仕事の成果を見た外食企業から声がかかって、次々に仕事が来ている。
「ゼネコン時代は仕事を取りに行きました。今は声をかけてもらう、プル営業。売りに行くと逃げられる。お願いします。と来られると、よしきた、と頑張れます。この流れを崩さないようにしています」
彼の特徴は、クライアントの経営にまで遡り、レストランをやっていく企業的意味や価値を突き詰め、空間デザインの面でクライアントの経営を応援する点だ。
「ブランディングは社長の考え方まで遡っていく必要がある。企業価値としてやる意味を理解するために、社長と深く話したくなってくるんです。レストランは会社として弱い組織です。空間デザイナーは店づくりに参加する順番が早い。社長というプロデューサーがいて、物件を探して、次に空間デザイナーが登場します。参加する順番が早いからこそ、クライアント企業の価値をも考える役目なんです。ゼネコンでも、設計事務所は政治家と呼ばれ、そこで全ての予算が組まれます。最近は設計の上にデザイナーがいて、空間の色や雰囲気を決めます。デザイナーはすごく大事になっています」
「中華料理店で、いきなりすごい絵が飾ってあったりしますが、その絵とこの中華料理と何か関係あるのでしょうか。空間に合った絵なのでしょうか。企業の成り立ちやその意味は店に表れます。スタッフには、意味の無いことはするな、全部の意味を答えろ、と教え続けています」
ADエモーションの「カーディナス・チャコールグリル」の改装デザインを引き受けた。
「中村社長から、頑丈にして欲しいと言われました。ニューヨークのソーホーはアパートメントが多い。他方、流行りのトライベッカはレンガ作り建物が重厚でカッコイイ。デザインは進化する。カーディナスは、進化してソーホーからトライベッカに引っ越した、より重厚な流れの中に挑戦しますというコンセプトでデザインしました。壁は石膏ボードから石へ。お客様に対しても、設備投資の回収が終わり、その利益を改装に投入しました、という企業姿勢を示すことができました」
「カーディナス・チャコールグリル」(ADエモーション)
「商業デザイナーは、クライアントの顔をデザインすることです。クライアントのポテンシャルを引き上げるのが僕の役目。言わば、彼が着る服を僕がデザインする。だから、一番似合うのは彼。クライアントが中央に立って一番似合う店を作ります。だから、お客様にとって居心地がよい。だって、自信をもってお客様を迎えられますから」
木村氏の夢は、店舗だけではなく、一般住宅など幅広い分野でデザイナーを使える世の中にすること。今、デザイナーの数は多く、それを必要とする人の数も多い。しかし、必要なデザイナーを探す仕組みがない。木村氏のデザインはそのユニークな経歴から生まれ、彼にしかできない世界を作り上げた。これからは、デザイン業界のカリスマ・リーダーとして次世代を育てる活動にも期待したい。