・ポール・J・マイヤー「SMI」販売で世界記録
三好氏の祖父は中国から日本に渡り、横浜中華街で日本人の祖母と知り合い結婚、日中戦争の時は、中国人に対する迫害から逃れるため、ひっそり親戚をたよって暮していたそうだ。そして、子供(三好氏の父)が成長し、浅草雷門で父と親子で中国料理店を始める。父の時代に成功し、東京・恵比寿でパチンコ店と、千葉・松戸で大きな中国料理店を持つに至る。
裕福な家庭に育った三好氏は、無気力な子供で何もせず、取りあえず父の会社に潜り込んで毎日遊んで暮らしていたという。ただ、子供のころから中国料理を食べて育ち、父の経営する松戸の中国料理店でも働いた。
「親父が具合悪くなったんです。なんかしなきゃと思い、一代で1千億の会社を作った社長に教えを乞いに行きました。すると、これだと思った1冊を守れと言われ、さっそく本屋に行ったんです。しかし、待てよ、これだと思う1冊に出会うまでには何冊の本を読まなきゃいけないんだ、と気付き諦めました(笑)」と三好氏。
「そして、これだけでいいというものを探していたら、あるセールスマンが教材を売りにきたんです。SMI(サクセス・モティベーション・インスティテュート)と言います。米国人のポール・J・マイヤーという方が創り出した、モティベーションを高めて、目標達成を支援するプログラムです。講演テープを聞いたら、凄くやる気になったんです。周りから、三好は気が狂ったと言われました」
「親父の会社に留まるんじゃなくて、ゼロから会社を作ろうと思い、好きだったラーメン店を100店やると宣言しましたが、誰も信じてくれませんでした。決意して家を出ようと決めた日の3日後に親父が亡くなった。遺産はどうすると言われましたが、一人でやると啖呵を切った手前、3億円の遺産を断り、意地を張って一銭ももらいませんでした」
そして、まずは兄が経営していた恵比寿の模型店の2階で夫婦2人でSMIプログラムの営業からスタートした。
「このプログラムを販売する会社は世界に3千社ありますが、あらゆるジャンルで世界記録を打ち立てました。ピーク時には14億円売りました。このプログラムで大きくなった会社は、オートバックス、雪国まいたけ、やずやを始め、沢山あります」
モティベーションは実は、仕事の中にはなくて、家族の応援が大きなファクターになるそうだ。
「揚州商人」新橋店
・千葉・稲毛「活力ラーメン元氣一杯」9坪、1650万円
プログラムの販売はフルコミッション。売れなければ報酬はない。社員は50人以上に増えたが、売れない人も出てくる。そんな人々でも、皆で力を合わせれば別の仕事ができるだろうと始めたのが、元々やりたかったラーメン店。
1号店は、1988年に千葉・稲毛に開店。「活力ラーメン元氣一杯」という店名で、9坪15席でスタート。当時はラーメン店が少ないこともあり、最高で月商1650万円も売った。
「居酒屋、楽グループの1号店でアルバイトとして1年半働いたことがあります。宇野さんから可愛がられ、将来は飲食店をやれと言われ、私は子供の時からやりたかった、ラーメン店をやると宣言したのを覚えています」
「店は当たってなんぼです。当たっている店を片っ端から観察して歩きました。当たっている店は、背脂が浮いていた。また、恵比寿の有名店でやっていたトッピングを取り入れました。店の名前どおり、お客様に活力と元氣を、と突っ走ったら、千葉でバカウケでした。」
「活力ラーメン元氣一杯」千葉・稲毛で今も営業中。
・競争激化で、中国料理店の多彩なラーメンに気付く
「とんとん拍子に、9店まで増えました。しかし、ラーメンブームで周りに競合が増え、売上が落ちました。その時、いろんなことに手をつけて、迷いに迷ってさらに売上が落ち込みました」
「中国人の血が流れ、父の中国料理店で働いていたこともある。中国料理店では色んなラーメンがあるのに、なぜ作らないのか。当時は、ワンタン麺とラーメンだけでしたが、やっぱり味が全てと深く反省し、いろんなラーメンを提供する店『揚州商人』を考えついたんです」
三好氏は気学に凝っており、店名や立地を決める際に必ず鑑定してもらう。「揚州商人」も、最初は祖父の故郷「揚州人」を思いついたが、4文字熟語が良いので、間に11画の漢字を入れることをアドバイスされ、当てはまる「商」の文字を加えたという。ホイッスル三好という一風変わった社名も、気学の先生に付けてもらったそうだ。
「揚州商人」新横浜店
「揚州商人」北山田店
「揚州商人」末吉橋店
・表は古いが、裏は管理の行き届いた衛生的なキッチン
「揚州商人」の内外装は、正直、中国の露地裏の古い建物のイメージだ。
「最初、内装は有名なデザイナーに頼みました。美しいが、建築費が高い。流行りましたが、4店目で伸び悩みました。そこで、中国風の店を作るなら中国に行きゃあいいと思い立ち、行って写真を撮りまくって、それを基に店作りを始めたんです。左官屋さんにもわざとヘタに塗るようにお願いしています。ヘタには塗れねえ、手が奇麗に動くから無理だと言われますが、じゃあ左手で塗ってくれと言いました(笑)。中国の露地裏に行ってみて下さい。『揚州商人』ばかりです」
さらには、店舗管理のIT化を進め、2008年には「経済産業省IT経営力大賞
優秀賞」も受賞した。100店構想に向けて、着々と足元を固めている。
・クレームの嵐、2年間出店を凍結
「実は、昨年大幅なキッチン改革を行ないました。味のバラツキをふせぐため、まとめて作るのではなく、IH調理器を使い、一杯一杯を丁寧に作るキッチンに変えました。オーダーミスをふせぐため、ハンディターミナルも導入しました。逆にこれが混乱を招くことになり、ずいぶんお客様にご迷惑をかけてしまいました。慣れない調理器具で料理が出るまでに時間がかかったんです。各店舗で提供時間をチェックすることを始め、1年間続けて、ようやく早く提供できるようになり、クレームが減りました」
「既存店の売上を確実にアップさせるために、2年間出店を凍結しています。来年も1年間凍結します。それから一気に攻勢に出ます。既存店での売上高前年比は95%くらいです。特に、去年作った5店で客数・客単価ともに落ちました。一等地の影の立地を狙ったんですが、ことごとく失敗しました。後で言われました、この作戦は大きな街では通用するが、小さな街では難しいそうです」
「もう1年こらえます。33店で、しばらく出店しないでいると立地が見えてきました。今後は、大きな街の一等地に出店していきます」と、父に宣言した100店に向けて邁進するため、じっくりと仕組み作りに取り組んでいる。
一番人気の「スーラータンメン」
「牛肉の新味醤油ラーメン」
「スーラー油めん」
定番の「スーラータンメン」に加え、今年は「牛肉の新味醤油ラーメン」、「スーラー油めん」と立て続けにヒットメニューを出し、9月から創業25周年記念に湯包(タンパオ)スープをベースにした「揚州商人ラーメン」を発売した。それも、三好氏の中国ルーツがあって初めて生まれたものだ。
「中国には郷愁があります。年に何度か上海に行きますが、出発の前の日の夜になると、うれしくて眠れません」という。中国人の血と、元氣一杯さが三好氏の強みだ。