・ハナマサ焼肉店で、アルバイトから社員に
「小さい頃から外食好きで、外で食べることに凄く思い入れがありました。親に連れて行ってもらった『すかいらーく』に感動したのを覚えています」と、中村氏は言う。両親共に公務員として働く家庭で育ち、外食の機会が多かった。
料理に興味を持ち、中学時代から家で料理を作るようになる。高校時代には、長野県の観光客向けレストランに泊まり込みで働き、ホールでの接客の楽しさを知った。「お金をもらって料理を提供すること」を学んだと言う。
ハナマサと出会ったのは大学時代のアルバイト。当時、ハナマサが展開していた焼肉バイキングの店で働き続けた。就職活動は行ったが、そのままハナマサに就職する道を選んだ。
「卒業する時に店長に『オレやってみたいんです、できそうな気がするんです』と相談しました。店長が履歴書を上に通してくれて、社員になれました。出版社、自動車関係企業も受けましたが、違うなと感じました。元々やりたい事をやろうとハナマサを選んだんです。アルバイトしている時にすごく楽しくて、ここで自分のことをやらないと後悔すると思いました。」
当時のハナマサは、スーパーが主力だが、焼肉バイキングやステーキなど肉関連の外食も展開していた。後に、エムグラントフードサービスが事業を引き継いだ「ステーキいわたき」や、銀座店が月商5千万円を売った焼肉バイキング「カルネステーション」など50店舗以上を運営していた。
中村氏は「認められたい、褒められたい、自分を見てほしい」と頑張り、ハナマサの6年間で12店舗の店長を経験した。
「けん」松戸店はデニーズの居抜き。看板と店内のサラダバー以外はほとんど改装していない。デニーズと間違えるお客もいる。
・オーナーが変わっても、自分は変わらない
「食べ放題」という手法が普及し、焼肉だけでなく寿司でも始まるなど、競合が激しくなり、ハナマサの外食店舗の業績が悪化した。そして、外食事業だけ別会社、太公として分社化され、2001年に関西の流通会社、チコマートに売却される。
「売られて、チコマートの社員に変わりました。それから1年経って、27才でマネージャーに昇進。4店を管轄。すごく嬉しかった。」
しかし、2005年にそのチコマートも破綻した。
「破綻の原因は本業のスーパー。外食は利益が出ていました。破綻後も最後まで看取りました。上司はどんどん辞めていきましたが、僕は途中で辞めるに辞められなかった。親しい幹部と色々話して、『俺は最後までいますよ』と宣言しました。給料の遅延が始まり、倒産が分かってきた。社員に不安を与えたくなかったから」と中村氏。思いこんだら一筋が彼の信条だ。
「チコマートが破綻して 自分達はいきなり“ぼうふら”状態です。破綻の当日、事務所に行ったら上司から『中村、今日、銀行止まるから』と言われました。店もその日に閉鎖し、夜逃げ状態です。」
「それから2ヶ月間、何とかならないかと、店の片付けを無給でやりました。復活を信じていました。自分は1回も変わってないが、会社が次々に変わっていったんです。」
・店舗流通ネット時代の井戸氏と出会う
その後、店舗流通ネットがチコマートの外食店舗を買い取り、再建に乗り出した。そのコンサル部門が独立し、独立希望者を支援するワイズフードシステムの役員だったのが、井戸実氏。ワイズフードシステム在職時の井戸氏が食肉卸オオタニと共同で肉・魚・野菜の生鮮3品を一括納入できる卸業者として、“まいど”という会社を立ち上げ、後年井戸氏はその社長を引き受ける事に至る。
「新しくオーナーとなった店舗流通ネットの当時の石井社長を訪問しました。『スグにでも店を始めよう』と言われ、『この人が絶対に俺を救ってくれるんだ』と思いました。紹介したい人がいるから、と井戸さんを紹介されました。井戸さんに『何でも揃うから仕入れは全然心配いらないですよ』と言われ、何て頼もしい人なんだろうと思いました」という。これが中村氏と井戸氏の出会い。
ステーキ「いわたき」6店舗を食材卸“まいど”が運営することになった。その後、井戸氏が“まいど”の外食事業を持って独立する。それが、エムグラントフードサービス。6店の内、2店はエムグラントフードサービスからの業務委託という形態で当時の店長が運営している。オープン後25年を超えながら今も月商1千万円以上の店もあるほど、「いわたき」は地元で定着したステーキ店だ。中村氏は“まいど”を経て、エムグラントフードサービスの社員となる。
・社員の大半はハナマサ出身
「エムグラントフードサービスでは、ハナマサOB達を自分の下に集めました。自分の当時の仲間で、出来る人間をピックアップ。今の社員の大半は、ハナマサ時代の仲間です。だから急ピッチで多店舗展開できた。」
「呼んできた人間がまた、当時のアルバイトリーダーなど更に若い仲間を広げてくれています。ハナマサ時代の仲間と繋がっています。共に闘ってきた仲間です。別の仕事に移ったが、やはり外食をやりたいと戻ってきてくれた。」
ハナマサの仲間だけでなく、同店でのアルバイトから社員になりたい人も増え始めた。
「ハナマサのネットワークはフル活用していますが、そのうち無くなります。今は、アルバイトから社員になりたい人が出始めています。ウチのスタッフは、熱い居酒屋系です。ここの店でも従業員同士で目標を達成したら缶ビールを買ってきて一杯やったりしています。人間が全て。人の関係が非常に重要です」と言う。中村氏は店が終わっては、スタッフを誘いだし、飲みながら夢を語っている。取材の前日も、自宅にスタッフを泊めたそうだ。
エムグラントフードサービスは、大手ファミレスチェーンのロードサイド閉鎖物件を次々に好条件で入手し、店舗数を拡大している。大手チェーンファミレス失速の原因の一つが、店長がサラリーマン化し、中村氏のような「熱さ」が無くなっていったことだろう。
・FC事業をスタート
エムグラントフードサービスは新事業として、「ステーキハンバーグ&サラダバー けん」のFC展開も始めた。
「オーナー、お客様、ウチも満足できる仕組みを作りたい。『けん』を出せば必ず繁盛するようにしたい。今もFCはあるが、実態はボランタリー。ロイヤルティーも仕入れ分のマージンもいただいてません。それらは店舗流通ネットの運営委託店。店舗流通ネットへの支払が今年11月に一部終わります。今はその支払いで一杯一杯。支払いが終わってから、ロイヤルティーをいただければと考えています。」
昨年秋から始まったFCシステムは、加盟金400万円、ロイヤルティー3%。1号店は昨年12月に千葉・稲毛に誕生。オーナーは不動産会社。2号店は、今年2月に茨城・古河にオープン。オーナーは警備会社だ。
FCの開発を井戸氏が担当し、直営店で行っている加盟店への研修を中村氏が担当している。
プラス380円で、デザートバイキングも始めた。
・井戸氏と死ぬまでタッグ
「独立なんて考えていません。井戸とタッグを組んで死ぬまでやっていきたい」と中村氏は宣言した。
「組織の中で働くのは面白い。店長と自分は上下関係ではなく、仲間。同じ目標に向かってベクトルを合わせている仲間なんです。周りを巻き込む楽しさが分かりました。自分の分身が増えていく。また、仲間にした彼らが自分と同じ事を下に話してくれると嬉しい。その喜びを店長がさらに下に伝えてくれればもっと嬉しい。『オレと同じことを言ってるな』と思うと嬉しくないですか。これは組織じゃなきゃ楽しめない。感情連鎖です。『あいつオレに似てきたよ』と嬉しい。共鳴、共感するのが組織の喜びです。自分の分身がどんどん増えていく喜びは、快楽に変わります。」
「組織は、下を育てれば、自分が上がれる。それが楽しい。下を引き上げれば自分が上がれる。この考え方が浸透しています。先日も、入社1ヶ月の人が『僕は必ず数字を出すし、必ず分身を育てますから、次の店の店長を僕にやらせて下さい。今の店もやるし、新しい店もやる。絶対に自分にやらしてくれ』と言ってくれました。感動しましたね。」
「井戸は経営者として最高です。自分を信用してくれる。そして、人を惹きつける魅力がある。ワンクッション置いて相手に気付かせるしゃべり方で、相手からの発信を待つ。相手の引き出しを引きやすくしてあげる。可能性を引き出す天才です。ダメな人間でもいいところはある。その才能を開花させる。普通の人間ならあきらめるところを信じている。」
大手ファミレスチェーンの衰退とともに増えた閉鎖物件を捕えて、居抜きでコストをかけず、その分原価率を高め、顧客満足度の高さでお客の人気を集めているエムグラントフードサービス。2009年は不況とともに、さらに同社のチャンスが高まることは間違いない。中村氏は仕事が面白くて仕方がないという。井戸、中村両氏の強い絆で、大躍進は間違いなさそうだ。