・子供の頃食べた、アツアツの練り物を食べて欲しい
阿部善商店は、宮城県塩釜市の魚港の近くにある。阿部氏が育ったころは家の隣が工場という家内工業で運営されていた。
「両親が忙しくて、女性従業員に遊んでもらっていました。お腹がへれば、出来立てのさつま揚げを食べて育った。ほおばると、ふかふかで美味しかった」と言う。この体験が阿部氏の関心を外食に向けさせた。
兄が阿部善商店の社長となり、次男の阿部氏は東京で営業を担当。大手スーパーの冷蔵ショーケースに並ぶ“おでんセット”のシェアを15%獲得するまでに育てた。
「一日でも長く販売できるように、という小売業の要望に応えて、冷たいものばかりを売っていました。本来の美味しさは、それでは伝わらないなとずっと思っていました。スーパー業界もスクラップ&ビルドで、このチャネルに頼ってばかりじゃまずいな、もっといい伝え方はないかと。たまたま、居酒屋でさつま揚げが飛ぶように売れていたのを見て、外食に参入しようと決めました」と阿部氏。
・「ゑーもん」1号店、神楽坂に2004年開店
「外食は素人なので、まずは勉強しようと、ベンチャーリンクの門を叩き、最も難しいFCと言われている『高田屋』を選びました。それが、2001年1月開店した『高田屋神田金物通り店』。最初から5年経ったら自社業態にしようと思っていました。おでんと鉄板焼きの『升屋』の居抜きを神楽坂で見つけ、2004年11月に、おでん・ちくわ・豆富の店『ゑーもん』1号店をオープンさせました。」
「当時、神楽坂は毘沙門天から下はダメといわれていました。おでん屋の後に、またおでん屋か、また失敗するぞと言われました。でも、スーパーでうちの“おでんセット”のシェアが15%もあったので、お客様はうちのおでんのダシに馴染んでいると確信していました。それを店でちゃんとしたダシで割れば美味しくなるのは分かっていました。毎日、ブラッシュアップして形が出来てきました。」
神楽坂店は、1階と地下があり合わせて27坪。最初のうちは500万円売るのがやっと。売上が伸びるまで半年かかった。目の前で焼く竹輪が名物、そして、おでん。さらに地元の宮城県の郷土料理を提供するようになった。現在の月商は1050〜1100万円、 5年経ってもまだまだ伸びているそうだ。
「ゑーもん」神田店 外観
・練り物はヘルシー&もたれない
客層は40〜50代の男性が中心だが、女性比率は30〜35%もある。練る物は、ヘルシーな点が女性客の心を捕えている。食べ過ぎても胃にもたれず、翌日にはすっきりする。
練り物の市場は、3千億円と言われている。トップは紀文。零細な家内工業が多く、縮小傾向にある。20年前には練り物メーカーは3千社あったが、現在は9百社ほどしかないそうだ。そう言えば、かつてはどの家の冷蔵庫にもあった“かまぼこ”。今は、正月くらいにしかお目にかからない。
原料は、ロシアやアラスカから日本に輸入されている。捕獲したスケソウダラを船内で加工し、すり身にする。時間が経つと黒ずんでしまうため、新鮮な状態で加工する。すり身にはスケソウダラが最も良い。まっ白で、淡白な味、癖がない、身が凝縮されている。すり身にされたスケソウダラは加工しやすいよう板状に伸ばして冷凍した後、石鹸の様な10kgにカットされている。
この状態で練り物メーカーは仕入れ、解凍する。コクをだすため、ホッケやイワシ、ハモなどを混ぜて、独自の味に変えていく。塩を振って混ぜると、細胞が分解されベタベタになる。これを油で揚げると、さつま揚げが出来上がる。
店舗にある練り機
手前で蒸して、奥のステンレスの焼き台で竹輪を焼く。
特注の小型竹輪焼き機。
阿部善商店にて石臼で練ったものを1キロずつ冷凍してもらい、各店に配送している。店では塩等を加えて練り、商品毎にイワシや山芋を途中で加えて品目を作り分けている。
「今は正月に食べるくらいの伊達巻。卵とすり身で作りますが、店で出来立ての温かいのを出すと、お客様は『食べたことがない!』と喜んでくれます。作りたてだとこんな感じですよ、と教えてあげます」と、冷たい練り物に慣れた消費者には感動ものだ。
「ゑーもん」「すりみや」には、竹輪を焼く機械が全店にある。焼けるシーンをお客に見せるため、敢えて機械が見えるように厨房の中に配置する。その焼ける様を見ているだけで酒の肴になる。1人客も飽きないでいられる。海浜幕張店で子供向けに竹輪の作り方教室を開いたら、申し込みが殺到したという。食育にもつながる。
・南越谷にプロデュース店、今年の秋にはFC店も誕生
阿部氏は当初からFC化を狙っている。「ゑーもん」5店はテストマーケティングの場。そこの売れ筋メニューをピックアップした「すりみや」(神田淡路町)がFC展開のモデルとなる。もちろん、「すりみや」にも竹輪を焼く機械がある。
お客の90%以上が注文する竹輪。
メニューの最初に竹輪が並ぶ。
「すりみや」は、25坪50席。悪条件にもかかわらず、月550万円を売る。昔はバーだったビルの地下1階。しかも、お客はぐるっと回って店に入る造り。「とにかく条件の悪いところを探しました。これで勝てれば大丈夫だと思いました」と言う。1階はもとより、2階や地下1階のストレート階段の立地なら全く問題ない。
「南越谷でイタリア料理店を経営する方がホームページを見てやりたいと来ました。いろいろあって、FCではなくプロデュースの形をとりました。2007年10月に『五蔵』という店名でオープン。イタリアンの時の月商200万円が、初月で900万円に上がりました。今は、もう1店やりたいと言ってます。」
「FC募集は1年半前からスタート。長くやってもらいたいので、僕の理念を理解してくれる方に出会うのに時間がかかっています。あせっていません。ようやく、今年秋に開店する方が1社出ました。30社のオーナーの方々が、各3店出店するような感じで広げていきたい。昨対をクリアし続けて、何十年も続く店にしたい。」
加盟金は600万円。ロイヤルティは広さに関係なく、1店20万円。メニュー開発費に充当しようとしている。練り物は色も白く、味も淡白で、様々なものに加工できるので創作メニューに力を入れている。焼売や小籠包の皮をすり身にしたものが人気。メニューコンテストを開催したり、テストキッチンに籠ったりで、様々なメニュー開発にチャレンジしている。しかし、メニューを頻繁に変える必要はないのも特徴だ。じっくりと開発し、出来たらメニューに加えていく。
ロスは、ゼロに近い。小ロットで毎日作り続けるから。加工品を仕入れて盛り付ける店とは異なる。POSデータを元に作る品目を調整すれば、ロスはほとんど発生しない。
初期投資は、「すりみや」の25坪で約2千万円。居抜きでも十分で、その場合は数百万円で終わる。
客単価3500円を想定しているが、実際には4200円。通常の飲食店より多めに食べる方が多い。胃にもたれないので食べ過ぎてしまうようだ。サービス料は取らない。原価率は全体で25%。練り物は2割を切る。
お客の90%以上がまず竹輪を注文。おでんは夏場には決まったものしか出ないが、夏場でもおでんは売れる。平常月が1000万円なら、6〜8月は850万円にへこむ程度。9月になると、どんなに熱くてもおでんが出る。
夏も人気のおでん
研修は1ヶ月。素人の方も職人らしくなれる。研修を受けて自店に帰れば、アルバイトに教えることもできる。お客の注目を集めるオープンキッチンで、素人でも料理している気分になり、やりがいを感じてくれる。
また、仕込みが一つのパフォーマンスになる。営業時間中でも、お客の目の前で手が空いたら仕込みできる。敢えて仕込みの時間を作らなくて良い訳だ。
・風呂敷に包んだおにぎりが販促
「人間味が一番重要です。立地は二の次。そこで働く人間の味“人間味”がいかに出ているかで店は決まる。料理は美味しくて当たり前。接客が一番。常連客が増えて、新規客の方も一回で常連客にできるよう高めていく。そこで働く人作りが重要です。立地は中心地からはずれ、歩いてもらわないと来られない店ばかり。そこでも繁盛させられる。それは人。」
実施している販促は、名刺交換したお客にDM、さらに、もう一度来ていただいたお客の会社に、おにぎりを握って風呂敷に包んで店長が持っていく。するとお客はおにぎりを食べて風呂敷を返しに戻ってきてくれる。それを繰り返している。
おにぎりを持参する風呂敷。
「2回目のお客様に持って行きます。近隣しか商売にならないので、訪ねて歩く。『小腹がすいた時に食べてまた来てくださいね』と言って渡してきます。お客様は風呂敷を返しに戻ってきてくれる。しばらく時期をみて、また持って行ってあげます。」
この販促スタイルを編み出したのは、「高田屋」時代のクレーム。
「〆のご飯を忘れてそのままにしていました。しかも、同じお客様に2回同じ事をやってしまったんです。すごく怒って、メニュー挟みを叩き割られた。満卓の金曜日です。店中がシーンとしました。ものすごく悪いことしました。子供の頃、祖母が忘れた体操着を風呂敷に包んで持ってきてくれたのを思い出したんです。大切なものは風呂敷に包む。祖母の形見の風呂敷におにぎりを包んで手紙を書いて持って行きました。『これしか僕は持っていません、お詫びの印です』と頭を下げた。そうしたら、4〜5日経って帰ってきてくれた。その方がいい店だと新しい客をいっぱい連れて来てくれました。全店でやろうと決めました。おにぎりを配られたら常連さん。皆さん、自分の店みたいに入ってくる。お客様のことを名前で呼んでいます。」
「でも常連ばかりだと入りにくくなるので、新規は新規で丁寧な接客を心掛けています。 何度も失敗しながら編み出しました。昔の近所付き合いと同じ。地場の人たちが楽しむ場所です。」
「おにぎりを持って行くと、びっくりされます。帰れという方もいる。僕らのスタイルなんで、それを変える必要はないです。苦労した部長さんは『これは営業なんだ』と分かってくれます。クレームを起こした時は必至でした。夢中になってやってれば、なんとか解決策が見つかるものです。」
「自分の気持ちが伝えられる風呂敷があればいい。手紙は入れずにおにぎりだけ包みます。 『誰々さん、いらっしゃいますか?この間はありがとうございました。またお越し下さい』と言って置いて帰ってくる。2、3回と顔を合わせることにより、『あのご飯美味しいね』と会話が始まります。」
・練り物文化を世界に伝えたい
日本で練り物は、1115年から食べられているという。900年以上前だ。世界でも日本だけだと言う。
「900年間、歴史が途絶えずに長く続いてきました。次の世代に伝えたい。その手段は、以前はスーパーなど小売業でしたが、次は飲食業を使って広げたい。若い人に日本の食文化なんだよと伝えたい」と言う。阿部氏のミッションだ。
日本だけでなく、世界に練り物文化を広げたいという。まずは、アジア。その核となるシンガポールへの出店を今検討している。そして、次に狙うはNYでの、おでん屋オープン。
「ゑーもん」とは、エモーション。“心が動く”、“感動”をもじっている。長い歴史に感動し、すり身のバラエティーに感動し、竹輪が焼けるのに感動する。歴史ある業界に生を受けた阿部氏にとって、その感動を伝え続けることがミッションだ。