・「CAFE GARB」のペペロンチーノに感激し入社
松城氏が料理の道に入ったのは、21歳の時、たまたま大阪・南船場の「CAFE GARB」に友人とバイトの帰りに行って、ペペロンチーノを食べたのがきっかけ。実家は、鶴橋の漬物店だが、当時は料理とは関係のない道を目指していた。
「その場で働かせて欲しいと言いました。ペペロンチーノを食べて感激したんです」と松城氏は言う。出会いというのは素晴らしい。
大阪・天王寺の「monochrome」に配属になり、同店の当時シェフだった大筆氏(現在は、東京・丸の内CAFE GARに所属し、総料理監修)に教えを受ける。
「料理の専門学校にも行ってないので、何せ分からない。仕事にならなかった。でも、やれることは全部やりました。できるだけ外食しましたし、ノートに常にメモして復習しました。夜帰ったふりをして、こっそり店に戻って冷蔵庫をあさって、料理を勉強したこともあります。」
「大筆シェフという先輩に恵まれました。フレンチを突き詰めている方で、基本から叩きこんでいただきました。教えていただいたのは、『料理は愛』ということ。全部に手を抜かない。仕入から料理は始まっている。仕入をちゃんとして、ちゃんと保存して、ちゃんと下処理をして、仕込みから一切手を抜かない。食材とお客に対して愛ですね。」
バルニバービ入社後、間で1年抜けた。北新地で有名シェフらを集めて開店したフレンチに移った。
ある面で最高峰の環境でした。知らない事はまだまだある事に気付かされましたが、それ以上に自分らしさへの欲求も増しました。“幸せな食事”それをやっぱりガーブスタイルで追求したいと思い、1年後に大筆シェフの元に戻りました。
そして、大筆シェフに押されて、東京タワー下の「GARB Pintino」の出店で大阪から東京に移ることになる。その2年後に、大筆シェフも丸の内「CAFE
GARB」出店で東京に移る。
・なりたい自分になれる、バルニバービ
同社のスタッフは、長く働いている人が多い。
「バルニバービに、はまる人間ははまる。理由は、その人が何を目的として働いているかに、会社はどういうスタンスで向き合ってあげられるかを考えてくれる。関係性が深い。例えば ホール全員が店長になりたいわけではない。キッチン全員がシェフになりたいわけでもない。それをちゃんと理解してくれる。今はいろんなカフェやレストランがあり、住み分けが細かくなっています。皆、模索する。皆で、なれよと言ってあげて、なってくれたら嬉しい。こちらも成長できる。」
「厳しいことも言うし、要領が悪いようにみえることもいっぽいある。例えば、チーズを極めたいという子がいる。5〜10年後に、『これが私の仕事』といえるように育ててあげたい。メニューに載せて、売上管理はどうしよう、雇用形態はこちらの方がいいよな、こういうオペレーションできないかな、いろんな目線で皆で考える。それぞれのやりたい役割を追求させてくれる。『なりたい自分になれよ』と佐藤社長は言ってくれます。そして『なりたい自分になりたい』と言うからには、やれよ、です。」
「店作りでは、フレンチやカフェという定義を店に絶対置かない。置いた瞬間に人に対して限界がでる。とにかく幸せな美味しいものを提供しよう。何の縛りもない。立地が変わったら、店長が変わったら、料理人が変わったら店は変わる。素直にそれと向き合って、カフェやからこれはあかん、この客単価はあかん、はない。『GARB』のテーマは幸せな店。 表現は店によりバラバラです。」
特選野菜のバーニャカウダ 1500円
伊勢エビと塩トマトのマリネ 1800円
群馬産クウィーンポークのメダイオン カフェドパリスタイル 2400円
北海道蝦夷鹿のアンクルト ピスタチオとヴィンコットのミジョッテ 2400円
・社長から「不味い!」
松城氏の考えを変えた事件がある。
「大筆シェフの下で、かたくなにフレンチを勉強し続けてきて、そこだけになっていました。東京で2番手として採用された時、佐藤社長に料理を食べてもらおうと持って行ったら、不味いと言われた。僕は不味いと言われたことがなかった。誰よりも努力しているつもり、誰よりも本を読んだつもりで、自信過剰になっていた。不味いと言われて、何でやねん、分からんと悶々としていた。佐藤社長から日に日にヒントを貰った。小出しにされながら、毎日考えていた。」
「佐藤社長から『美味しいって何やと思うの。フランス産の何とかと言われても、それって何。その時点で美味しくないねんけど。一緒に食べた人、場所、かかってた音楽も含めて美味しいんとちゃう。自分が積み重ねてきた、本当に美味しい料理を出せ』と言われました。当時の僕は、ホールはほったらかし、キッチンでは俺が俺が、一人で料理を仕上げて、その一皿に幸せ感のプロセスがない。いい食材でも幸せやない、美味しくない。そこをズバーとこられた。カップラーメンでも最高に美味しい時がある。片や、レストランで銘柄牛肉を食べて最高に幸せな時もある。そこに挑戦し続けたい。絶対に美味いと言わしてやると思いました。」
「美味しい料理を俺が作るじゃなくて、美味しいと言わせたい、思ってもらいたいに変わった。幸せな食事をとる場所になりたい。」
・GARBで星を獲りたい
松城氏は、最近、料理専門学校レコールバンタンの教壇に立っている。最近の若い学生の知識だけを学ぼうとする姿勢に苦言を呈する。
「学生は、なぜ料理人をめざしているのか、という問題には向き会って欲しい。知識やテクニックばかりが料理ではない。19歳でも、19年間、食べるということはやってきている。その思いをお客さんにぶつけることは間違いなくできる。それに知識やテクニックを身に付ければ、より多くのお客様にアタックできるようになる、というのがスタート。知識やテクニックを用いて、どんな料理人になりたいのか?を追求して欲しい。すなわち自分で食べて美味しくない、幸せではない料理は出したらだめです。」
「頭ごなしの知識やテクニックの知ったかぶりは不必要。そんな料理は食べる方も苦しい。外食にネガティブな要素は一切不要。日々学ぶ、前向き、ポジティブ、プラス志向しか存在しない。」
そして、ミシュランの星を目指している。
「なりたい自分の3年、5年後のレポートを毎年出しています。昔はパスタ店を出したいと書いきました。今は、星の獲れるレストラン。バルニバービのスタイルで星を獲れるくらい認めてもらいたい。あくまでもこのスタイルで獲りたい」と、幸せな店を広く認めてもらうのが目的だ。
昨年のパリ研修旅行で、松城氏はこっそりコックコートを忍ばせて行った。
「パリのレストランに飛び込んで仕事させてくれと言いました。研修に行く前から絶対やろうと決めていました。食べ歩きして、美味しかっただけでは厭でした。日本の饅頭が土産です。最初は門前払い。そこでコックコートに着替えて、無理やり厨房に乗り込んで、何げないことをちょこちょこやってたら、目の前にフォアグラのテリーヌがきた。よっしゃきたです。食べてセ・ボンとオーバーアクション。日本の料理人ですと言うと、こいつ面白いとなって、賄いも食べさせてもらって、ディナーも手伝った。ディナーからシェフが来て、ここで働けと言ってくれました。何か手ごたえがありました。その感触を今も持ち続けています。今年からフランス語の個人レッスンも始めました。」
「最終の目標は、美味しい食事を提供するという仲間に一人でも多くに囲まれて仕事したい。それが会社か、一軒の店か問わない。年齢も性別も国も問わずに、一人でも多くの仲間に囲まれたい。」
幸せな料理という基準は、今のミシュランには無いかもしれないが、なぜ料理を作るのかという本質を考えれば当然のこと。松城氏は料理の本質を再考させようとしている。