・バリスタは、コーヒーの質向上のため始まった
「バリスタ」とは、イタリア語でカウンターの中で働く人の意。イタリアのバールでは役割が決まっており、「バリスタ」はコーヒーを作る人。その上が「バンコニスタ」、カウンターの中をオペレーションする人。さらに上が、「バールマン」、カクテルなど酒も作れる人。「バリスタ」は、カフェを専門に作ることが求められている。
その質向上のため、バリスタの世界コンテストが2000年に始まった。「ワールドバリスタチャンピオンシップ」だ。米国と欧州のスペシャルティコーヒー協会が共同で運営している。世界大会に送り出す「日本バリスタチャンピオン」を決める日本大会は、バリスタらが参加する日本バリスタ協会と、日本スペシャルティコーヒー協会が共催してきた。
日本バリスタ協会は03年に誕生。代表理事に上智大学経済学部教授、濱田 壽一氏が就任。本年より「バリスタ」の資格認定制度を始めた。目的は、「バリスタ」の資質や総合力、ならびに地位の向上。加えて業界の振興にも貢献すること。
資格は4種。
「JBAバリスタ・レベル1」
1)JBAバリスタとしての基本的な知識や技術を身に付け、JBAが定める一定基準のエスプレッソコーヒーを抽出できる者。
「JBAバリスタ・レベル2」
1)JBAバリスタとして、エスプレッソコーヒーの抽出における高度な知識や技術を身に付け、 ローストの基本的な知識やグラインダー、コーヒーマシンの仕組みについても基本的な知識を持つ者。
2)お客様に対して美味しいコーヒーの提供だけではなくその啓蒙ができる者。
「JBAバリスタ・レベル3マエストロ」
1)JBAバリスタとして求められる高度且つ広範囲な知識や技術を身に付け、単に技術者としてだけではなく、 指導的立場に立てる者。
2)お客様に対して最高のエスプレッソコーヒーを抽出でき、その啓蒙ができる者。
3)バリスタとして、技術のみならず後進の模範となる人格や人間力を有する者。
「JBAインストラクター」
1)「JBAバリスタ レベル3」相当の知識や技術を身に付けている者。
2)指導者としての高い人間力を持ち、教育に対する知識や技術を身に付けている者。
3)常に指導者として自己啓発につとめ、バリスタの地位向上や正しいエスプレッソコーヒーの普及、後進の育成のために従事できる者。
「JBAバリスタ・レベル1」の初めての資格試験は、6/10に東京で行われる。それに向けての認定スクールは4月から開講され、4月コース、5月コースは既に満員となっており、人気が高い。
・フレンチ、ジェラート、そしてバールへ
日本バリスタ協会の技術面の担当が、横山氏。2002年、04年の日本バリスタチャンピオンだ。横山氏は、辻調理師専門学校を卒業し、フランスでも修行した料理人。修行の帰りに立ち寄ったイタリアに魅せられた。
「僕の頃は洋食といえばフレンチ。イタリアンはそんなに多くなかった。ピザとスパゲティーくらい。帰る時、イタリアに寄ったら楽しかった。所属していた会社が、ちょうど新たにジェラートをやりたいというので再度イタリアに行きました。フランス修行中も、僕の作ったソルベの評判が良かったので、自信がありました」と横山氏。
そして、池袋西武に出店したのがジェラート店「ネーベ・デラ・ルーナ(月の雪)」。1984年にオープンした、日本のジェラートの先駆け。15坪で年商3億円近く売上げた人気店。そして、横山氏はジェラートの世界大会に出場し、85〜87年の3年間連続の金賞受賞に貢献した。
次に、バールを経営したいという企業から声がかかり転職し、再度イタリアに修行へ。
「自分としてはオペレーションだけ覚えてくればよいと思っていました。エスプレッソが特に好きでもなかった。事前に文献を調べて行ったら、実際と違う。イタリア人は砂糖を入れずに飲む、入れてもかき混ぜないとか本には書いてあった。実際見ると、砂糖をパカパカ入れるし、よく混ぜて飲んでるし、1日に何杯も飲んじゃいけないと書いてあるが、飲んでいる。根本的に勉強しないと、本だけで知ったかぶりになってはいけないな、と思いのめり込んだ。その時にバリスタという存在を知った。同じ豆を使っていてもバリスタで味が違うことが分かった。最後に行った店がすごく美味しかった。ミラノで3本の指に入るバリスタ。凄いな、動きもきれい。こういう人に教わるといいんだろうな」と、横山氏はバリスタにのめり込んでいった。
作ったのが「ドルチェヴィータ」というバール。多店舗展開を目指し、イタリア20州の1州ずつをフィーチャーした郷土料理のバールを作っていった。当時、毎月何本も取材が入るような人気店となり、横山氏はテレビにもよく出演するようになった。
そして、横山氏は友人と4人でバール経営のための会社を設立。2001年のイタリア年に開催されたお台場のフジテレビのゴールデン・ウィーク・イベントにバールを出店。
「世界で一番最初にバールという名前を付けたのは、フィレンツェの『バール・マナレージ』という店だと言われています。約100年前。それにあやかって、ジェラートとカフェしか売らないので『バール・マナレージ 1/2』とした。場所は、イタリア政府のブースに近く、イタリア人の憩いの場になりました。これが、自分たちの会社を作るステップになりました。」
・IT投資家の心を動かしたカプチーノ
「ITに投資する企業から、受付に機械を持ってきてカフェを提供してもいいと言われました。お金はもらえないが、それを飲んで感動した人が投資してくれるかも知れないと。たまたま、その外国人社長が出演していたテレビを見た。人が好きでベンチャーを応援しており、自分で『人』と漢字で書いた色紙を持っていました。社長から、カプチーノ6個を会議室に持ってきてくれと言われ、ストーリーを考えてカプチーノにそれぞれ違う絵を描いて持っていきました。会議室で1人ずつ説明をしながら渡して、最後に社長に『人』と描いたカプチーノを渡したら感動してくれた。」
1号店は六本木・芋洗い坂を下りた場所。
「もともとバールを出す場所は、広場と教会と老人と猫のイメージだった。そこを通った時、広場があって、たまたま老人が座っていて、猫はいなかったが、ここいいよねとなった。見ると、店中が真っ暗な寿司屋があった。話を聞くと、もう止めたい。話はトントン拍子。自分たちや友人に助けてもらって1号店を作った。」
「バール・デルソーレ」六本木本店 外観
「バール・デルソーレ」六本木本店のバール
メニュー。エスプレッソはバールで立って飲むと150円、テーブルで飲むと300円。
・お客1人1人の為にカフェを作るのがバリスタ
「バール・デルソーレ」に、バリスタに憧れて応募してくる若者は多い。バリスタになればカフェで独立できる、カフェの登竜門で脚光を浴びている。
「面接に来た人に、料理やキッチン、バリスタとかどうする?と聞くと、キッチンは修行が大変そうだからバリスタでお願いします、という人がいる。安易にできると思っている。」
「エスプレッソは“急速”とか“速達”という意味があるが、その他に、“あなたの為に”という意味もある。カウンターに立つとお客様の顔が見える。時間があると、僕はテーブルを回る。どこにどんな人がいて、どんなものを食べているのか、と伝票やテーブル番号を確認しておく。それを思い出す。さっき、あれ食べていたなと。それにより味を変える。そこまで気を使ってカフェを出しています。」
「全国を回っていると、各地のバリスタが集まって来る。互いに悩みを打ち明ける。これっていいなと思ったんです。でも、毎年行くとメンバーが変わる。なぜ、彼は来てない?と聞くと、彼はだめです、考え方が違うんですと言う。同じ考えの人だけが集まっている。今は仲良しクラブ。これを協会という名前を付けると変わってくるだとうなと思いました。それで、47都道府県に代表を置きたい。」
バリスタは一見安易できれいそうな仕事。カフェ人気で憧れる人が多い。だからこそ、厳しくして、バリスタの価値を高めることが必要だ。バリスタという職種が長く続くためには、技術だけでなく、人間としても育つことが求められている。