フードリンクレポート


マクドナルド、タリーズを経て、理想の会社を追求。
10人の経営者を育てたい。
市川 洋一氏
フード・バリュー株式会社 代表取締役

2009.4.22
アルバイトからスタート、藤田田氏に心酔し、チーム作りに没頭し、マクドナルド一筋で尽くしてきた市川氏。米国流マネジメントに疑問を感じて退社。タリーズを経て、外食企業を興した。4/10に4業態目として、唄って呑める大人の横丁「赤坂小路」を開店。“10業態100店舗、売上100億円”を目指す市川氏をインタビューした。


マクドナルドの出世頭から独立した、市川洋一氏。

店舗買収で外食経営をスタート

 市川氏はタリーズ時代の友人とともに2007年7月、ピープル・バリューを起業。マクドナルド、タリーズで働いてきた経験を基に、中小のサービス企業向けに人材の価値を向上させるコンサルティングを開始した。店長やSVの教育、ビジネス・デューデリジェンスを行う。ファンドと共同で人材を送り込んで、起業再生にも取り組んでいる。

 コンサルティングだけでは説得力が弱いと、飲食店経営に乗り出す。2008年6月にフード・バリューを設立。将来的には、企業内大学としてピープル・バリュー大学を構想しており、その経営を実践的に学べる場としても位置付けている。

最初は外食企業から店舗を買収して参入。芸能人も通う高級カラオケ「ヴォイス」西麻布店、オープンして間がない同赤坂店、豚しゃぶ「キリコ」六本木店の3店を買収した。

「リスクを取る事業会社を持ちたかった。でも、最初から自分の思い入れの店を作って勝負せず、収益が見えている店を買ってそれをブラッシュアップ。多店舗展開できるビジネスモデルに進化させる。自分が得意とするところから始めようと思いました。」と市川氏。

「2つの業態は現在ブラッシュアップ中。『ヴォイス西麻布』は既にオープンして5年以上経っていますが、コアなお客様がついているので、こんな不景気でも売上は安定。カラオケなので収益力(営業利益率は30%以上)が高いのが魅力です。赤坂はオープンしたばかりを買ったのですが、立地の選定ミスで不振。『豚しゃぶキリコ』はアラカルトメニュー全品を新料理長と相談し変えました。六本木エリアは全体に景気が悪いですが、『キリコ』のスタッフはモチベーションが上がっています。今年1年で良くなるでしょう。」

 人材教育からスタートしている同社らしく、買収した店舗のスタッフを大事にする。


「ヴォイス西麻布」のフードメニュー。


「セレブ・デ・トマト」でヒット

「ヴォイス」「キリコ」に続く3番目の業態を探していて見付けたのが、前菜からスイーツまで全てにトマトを使用したトマト専門レストショップ(レストラン&ショップ)「セレブ・デ・トマト」。

「米国やイタリアを視察してブランドを持って来ようとしましたが、ピンとこなかった。知り合いのファンドの方から紹介されたのが青山の『セレブ・デ・トマト』。驚いたのが、全体の30%を占める物販の売上。飲食は坪効率を考えるとテイクアウトは重要。しかしセレブ・デ・トマトは物販が魅力。

 その時期の色とりどりのトマトを詰め合わせた、トマトのギフト(2500円〜)などが好評。箱を開けたときの相手の驚く顔がみたいと、手みやげとして大人気だ。

「オーナーに日参して東京都と神奈川県の出店権を08年11月に譲っていただきました。競合が多数ありましたが、トマトへの情熱を気に入っていただき、最も金が無いにもかかわらず、僕たちを選んでいただいたのです。僕たちはこのブランドを高めるため、得意分野である店舗の展開をきちんとやっていきます。FCの展開も拡大していきます。海外からのオファーも多く、今後のセレブ・デ・トマトは非常に成長が楽しみです。」

 そして、代官山にオープン。坪売35万円以上と好調。そして、本年4/1には赤坂(一ツ木通り)にカフェの居抜きで2号店をオープン。出足は代官山以上。

「東京・神奈川に10店出したい。7月には自由が丘にもオープンを検討。お陰様で出店要請が凄いんです。客層は30〜40代の女性。次が50代の女性、そして20代女性です。特に上の年代の方々にご愛顧いただいています。」


「セレブ・デ・トマト」代官山店 外観。


「セレブ・デ・トマト」代官山店 店内。


彩りトマトのサラダ


完熟トマトサラダ


骨付きラムのハーブロースト


小さなトマトとアサリのボンゴレ


完熟トマトのブリュレ バニラアイス添え


物販コーナー


カラフルなトマトが冷蔵ショーケースに並ぶ。


常温のショーケース。


トマトのギフト


4/1にオープンした、「セレブ・デ・トマト」赤坂店。


10業態100店舗、売上100億円

 フード・バリューは、“10業態100店舗、売上100億円”を経営目標にかかげる。10業態を作り、各々10店を展開し、計100店で売上高100億円を目指すという意味。その背景にあるのは、次世代の経営者を10人育てたいという目標だ。各経営者が1業態10店舗を統括する。

「スタッフがプライドを持って働ける食の空間を創造・拡大することで、そこにいらっしゃるお客様に満足していただくというサイクルを拡大していこうと思っています。それを10人の経営者を育成することで実現したい。飲食業界は社会的に低く見られています。確かに参入障壁低くて誰でもできるが、そのぶん撤退も多い。私を含め本人たちの勉強も足りないのは事実です。しかし生きる上で大切な食に携わる人たちの地位が低いのはおかしい。自分が過去に培ってきたことを伝えることで、少しでも飲食で働く人たちの人材育成のサポートができればと思う。又、最初は資金もかかるので助けたい。道筋だけつくってあげたらきっと経営者を応援できるんじゃないでしょうか。」

 1業態10店には思い入れがある。

「社員だけでなくアルバイトのバックボーンも分かって、店の売り上げ分析もでき、隅から隅まで把握できるぎりぎりが10店でしょう。店長同士も同じ業態であれば相談したり、ライバル意識も出てきます。10店で売上10億円で 社員が30人くらいのイメージです。 10店が、大切に人を育てるための一つのユニットです。物流や仕入れ面でも効率が良いですね。」


「赤坂小路」で4業態目

「『ヴォイス赤坂』が上手くいってなかった。閉店しようかと思っていたところで、『恵比寿横丁』をプロデュースした浜倉氏とスタジオナガレの横井氏に出会いました。横丁は面白いと思いました。それにカラオケを加え新しい(懐かしい)空間を一緒に考え創りました。彼らは僕たちにはないものを持っており、おかげで自分たちも成長できました。」

「『赤坂小路』は一つの業態。同じパッケージで今後いろいろな展開が考えられます。私たちは料理人3名と、館長他1名の5名で施設を運営します。真ん中にある市川酒店はウチの直営。他の7店のオーナーから家賃と設備リース料をいただく仕組みです。料理は浜倉さんの浜焼き『絡○(カラマル)』は独自、他7店舗は全部ウチの料理人3名で出します。1店1店その店のコンセプトやドリンクに合わせて味付けを変えています。効率化を追求せず、本当においしい料理をお出ししたい。仕込みには驚くほど時間をかけています。」
 
「『赤坂小路』の重要なテーマとして、インキュベーションがあります。飲食で独立を目指す人が、ここで成功しお客さんをつけ独自の店舗を出店してほしい。卒業ですね。東京でデビューしたい方々の出店のリスクをできるだけ軽減してあげることもできます。館全体の月商目標は1500〜1600万円。各テナントの目標月商は平均200万円。」

 この他の業態としては、バックボーンであるハンバーガーやカフェ業態も考えているそうだ。


「赤坂小路」が地下に入るビル。


「赤坂小路」外観。


ギターの流しもいる。


フード・バリューが運営する「市川酒店」。


「琉球パンダ」


「Smilers Bar」


「Kiku」


「KNIGHT CLUB」


マック大好き、人が大好き、店が大好き

 市川氏は、高校、大学とマクドナルド一筋でアルバイトを続けた。

「テニス部部長でしたが、池袋のマックでバイトしていました。アルバイト120人の中の頭を張っていて、リーダーシップやチームワークにはまっていました。大学も5年間通いましたが卒業できず、当時の社員から『マックは学歴社会じゃないから』と勧められ、大学を中退し入社しました。」

「負けず嫌いで、最短で出世しようと決めました。全国で一番早く、入社4年で店長になりました。マック大好き、人が大好き、店が大好きで、いつも従業員の目がきらきらしている熱い店を作りました。最短の9年でオペレーション・コンサルタント。16年間マックで働いて、同期500人の中で常にぶっちぎってきました。社員を大切にする、現場を大切にする経営方針に感銘を受けて、マックが大好きでした。」

「藤田田さんが亡くなられた後、2002年にマクドナルドダイニング(高級ハンバーガーの店)を作るプロジェクトを担当。1年かかりで準備をし、企画書を持って20人の本部長の印鑑を集めて数億の予算をもらい、4店を出しました。ところが、米国から経営者が来た瞬間、閉めろと命じられました。当時は業績が2期連続赤字だったので、違うブランドを創っててそこから会社を元気にしようと考えていました。でも、マックの本業を立て直そうという米国の経営方針は、今思えば正しかったんでしょうね。あの時はわからなかった。」

「その後、FC担当。フランチャイズビジネスの醍醐味、苦労、色々学びました。しかし、自分自身の将来を考え大企業のマクドナルドではなく中規模の会社で経営サイドにより近い立場での仕事そすることが自分の成長につながると思い退職を決意しました。」

 そして、タリーズに転職。1年後、執行役員営業本部長に着任。

「経営に近いサイドで勉強したかった。タリーズは男っぽい硬派っぽい感じで、コーヒーも濃い目でいいなと思いました。当時、タリーズは業績不振。本業以外のビジネスへの参入などが原因でした。ここで本業への原点回帰の必要性を感じました。また、店舗社員の退職率が高いのも問題でした。人材育成、特に目標設定の徹底、毎月店舗全社員250名と直接話しに行くという体制をとり、業績が上向きかけた。その時に伊藤園による買収です。中規模の会社で経営の経験を積みたいという思いで転職してきたわけですが、また大企業の傘下では目的が違うとして退職を決意しました。」

「僕の夢描いていた会社を実現するには自分で創るしかない」と市川氏が独立を決意する。


50歳になるまでに経営者を育てたい

 市川氏は、今43歳。会社の成長を速めたいと、資本政策に悩みながらも、矢継ぎ早に出店や買収を行おうとしている。

「今の店長クラスは35歳前後。僕が50歳になる7年後には42歳。僕が独立したのと同じ年です。脂がのる時期です。その頃に、経営者としてバトンタッチしたい。50歳になると頭が固くなる。そう考えると早くしないと。」

「20代、30代の社長を見ると、若いのに凄いなと思います。僕の独立は早くなかったけれど、このくらいで良かったと思います。30代に色んな組織で学んだからこそ、40代で色んなものを自分で創り上げることができる。」

「30代で教育して、40代で経営者にしたい。従業員全員をハッピーにしていくためには30代は勉強の時期でいいんじゃないの」と言う。市川氏は若さだけはできない安定感もある従業員がハッピーになる外食企業を築こうとしている。


■市川 洋一(いちかわ よういち)
フード・バリュー株式会社 代表取締役。ピープル・バリュー株式会社 代表取締役。1965年生まれ。東京都出身。高校、大学とアルバイトをしていた日本マクドナルド株式会社に1989年入社。2005年、タリーズコーヒー株式会社に入社。2007年、ピープル・バリュー株式会社設立。2008年、フード・バリュー株式会社設立。

フード・バリュー株式会社 http://www.food-value.co.jp/

【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2008年4月14日取材