・絶頂期の感想は?
<安田>
小林社長は2003年前後、絶頂期だったと思いますが、そのころはどんな感じでした? 何をやっても当たる感じですか?
<小林>
疲れていました。店を展開するのはもうごめんだと。結構とんがったことをやっていましたので。中島さんほどバイタリティもなく、精一杯やっていました。結局、とんがった店は流行り廃りが早い。当時、一番投資した店で、補償金合わせて4億円。その店の売上が月2千5百万円いくかいかないか。この店はランドマークだったので、儲けることは考えていませんでした。
流行り廃りの中でパイオニアとして、今ここにいる若い人たちに言いたい。店舗寿命は短い。あとは借金と業態変更と社員の維持とをどうしていこうか悩まされる時期があると思います。その一歩手前でした。楽しみながらそういうところに突入していくぞ、みたいな。
小林敬氏。
<安田>
中島社長は、以前、不動産をやられてて一度厳しい時代があって、1990年に際コーポレーションを設立されました。飲食に入ってから今は絶頂期ですが、その間、厳しいことはありましたか?
<中島>
30代の時に不動産で200億円くらいまでいったんです。バブルの時に終焉を迎える。別に不渡りを出したわけではないですけど。事業を清算して、社員も百何人いたのがいなくなって。そこから一から飲食店を始めたんです。
会社は30年もつかどうか、僕のところは20年持っているんですけども。また来ましたよ、厭な時期が。世の中に回っているお金がぐっと締まってきている。こんな時期が来るのを気づいてましたから、すこしづつ色んな事をやってきました。
飲食は装置産業ですから、必ずどんな店も疲弊する。疲弊するのが、長いか長くないのか。とんがった店が良いか悪いかではなく、消費者の方にどれだけ浸透していける店が作れるかが大事。でも、それでも終わっていきます。日本の外食産業はどんどん終わっていく、長続きしたところはほとんどない。
そこで我々はどうやって挑戦していこうか、また新たな挑戦をしなきゃいけない。僕は絶頂期ではございません。これからの時代が大事な勝負どころだと思います。皆さん方、まだあまり飲食をやってない方はこれから大きなビジネスチャンスが来ます。しかし、やっている人たちはそこから新しい時代にチェンジしていかなきゃいけない。大事に、大事にお店を育てて行かなきゃいけない。お店というのは疲弊していきます。それを放ったらかしにしないで、どれくらいできるか。
僕も「今ならお店を再生できます」と本に書いていますが、あれを本当にやると大変です。あの本を書いている時はそんなに本気でやってないんですよ。いつもは仲間と会っていますが、最近会ってない。会う時間がなくなっちゃった。一生懸命やりだすと友達と会う時間がなくなっちゃった。
それから、今世の中で成功している人たちが色んなロジックを言います。ウチはこうだから成功したんだとか。それはその時の話です。あのトヨタも赤字になっちゃった。光り輝いていたソニーも赤字になっちゃった。
全て悪くなった。あれだけのミッションもロジックがあっても上手くいかない。成功のロジックなんて、だれが言ってもそれはその時だけの話で長続きしない。いかに成功のロジックを持ち続けながら、そして、変化しながらハンドル操作をしていかなきゃいけない。この飲食業界の中で、そんなことができる人が、ダイヤモンドダイニング松村君。色んなことやって、それが出来そうな会社です。やはり彼のところの仕事のやり方を見ていると、変化に対応できる能力を持ちながら新しいことにチャレンジしています。今度のセミナーは松村君にやってもらったらいいと思います(笑)。
中島武氏。
・創作料理は田舎の人?
<安田>
2002、03年と、中島社長はアントレプルナー・オブ・ザ・イヤーとベンチャー・オブ・ザ・イヤーを受賞されて、若手経営者のリーダーのポジションにいらして、その頃、小林社長も飛ぶ鳥を落とす勢いでいらした。当時2人で会ったことがありますか?
<中島>
あります。結構、懇意にしていました。ただ、路線がちょっと違うけどね。
<小林>
180度違う。
<安田>
仲は良かったんですか?
<中島>
本当によく会いました。ただ、僕は皆と会うんですが、小林さんの仕事が嫌いなんですね。小林さんのお店は嫌いなんですよ。そういう人いっぱいいるんですよ。松村君の店も嫌いです(笑)。でも、松村君はすごくいい人。僕、創作料理というのが大嫌いなんですよ。聞いただけで、行きもしないですから。
<安田>
創作料理が嫌いな理由は?
<中島>
田舎の人がやる(笑)。東京の人はやりません、とよく言うんです。だから、まず、創作料理をやっているということが厭なんです。
<安田>
小林社長、反論は?
<小林>
ないです(笑)。ひとつ言えることは、昭和が終わって平成になって、平成元年、2年には創作料理という言葉はマスメディアにはなかった。国税局や税務署は和・洋・中、バー、ビアホールという古い体質のもので全てを見ようとしていた。良い悪い、好き嫌いは別として、その一つの区画として創作料理というジャンルを作った。創作料理の看板をサブタイトルとして掲げると絶対に流行るんだと思って、創作というサブタイトルを付けたお店は、数え上げられないほどあった。一つのブームをつくったんじゃないか、という自負心はちょっと持ってますね。
<安田>
確かに当時、創作料理という名前を掲げた店が沢山ありました。
<小林>
いいかげんな創作料理とは、私たちのやっていたのとは意味が違う。それもまた一つ自負心がある。創作料理の旗手であって、いい意味で真似されるのが自分たちの勲章になるんだという思いで、社員と年間1500〜2000くらいのレシピを作っていました。
・商品力vsシステム
<安田>
小林社長はシステムエンジニアもやられて、数字に細かい。2003年のフードリンクセミナーの時も全て数字でした。当時はどんな話をお2人はされてたんですか?
<小林>
中島さんに、お前の数字かぶれしているところが大嫌いやと言われた(笑)。今でも覚えてますね。
<中島>
コンピューターを使ってごちゃごちゃやるなよ、というような気持ちだったんですよ。飲食店というのは、もっとストレート。何でコンピューターが必要なのかな、と言いながら。僕はコンピューターが全くできないんですよ。コンプレックスなのかな。やっていることがわかんないんですよ。コンピューターで何をやってるのかなこの人は、というのがずっと思っています。この間も会って聞いたんです。まだシステムが好きだというから、死ぬまでなおらないな、小林さん(笑)。
<小林>
家業、生業、マニュファクチャーだったら僕はシステムなんかくそくらえですね。ただ、ビジネスとしてチェーンオペレーションをやっていく、こういう不況に直面した時は、ただの“感ピューター”とかじゃダメです。3年前にいた優秀な社員が今いるかと言うと優秀な人は皆独立していくんですよね。そして引き抜かれる可能性がある。残ったのは1軍半か2軍選手ばかり。その中で厳しい時代に突入していってチェーンオペレーションをやっている人たちは、やっぱり過去のデータという、中島さんの大嫌いな(笑)ことに突入して、武装していかないと難しいかな。
結局、もぐらたたきが来るんですよね。店の寿命は短命だから、バーンと打ち上げ花火をやって、業界の方たちにこっちを見させる。別の方で潰してリサイクルしていく。資金調達が出来れば、もぐらたたきを何百回、何十回やったっていい。でもそこまで行きつかない人たちは苦しい。やはり、システムは大事なこと。やはりチェーンオペレーション、ビジネスとして取り組みには外せない部分。
<中島>
それは当然のことなんですよ。決して資料も何も見ないんではなく、人件費率を見たり色んなことを見たり。コンピューターを使うことはやぶさかではないし、ウチの会社もちゃんと使っています。
ただ、やはり、コンピューターというのは仕組みに過ぎません。お客様が共鳴共感をもつことが大事な商品じゃないかな。ですから、今でもチェーンストアは評判が悪いです。個人店の方がよっぽど人気がある。一生懸命に仕組みのことばかり考えて、肝心な商品が人に魅力のある商品を作れていない。本当は僕と小林さんが一緒にやれば一番いいんですよね。ですから、まず商品をきっちり時代の中で作っていかなきゃいけない。
社員が辞めていくとい言うけど、そうでもないですよ。辞めていかないですよ。うちなんかどんどん戻ってきてくれる。ウチの役員をやってた人がクリエイトレストランツに行っちゃった。「お前、何で」と聞くと、「給料が向こうの方が高いんですよ」と言う。「それならしょうがないな。行って来い」です。そしたら3年して帰ってきた。帰ってきて「何か覚えてきた」と聞いたら、「すごいですよ。仕組みが」(笑)と言う。全部覚えてきてくれたんですよ。労務管理の仕方とか、今、一生懸命やってくれて助かっています。また、戻ってくるのがいいですね。結構戻って来るんです。ダイヤンドダイニングに行って戻ってくる人は一人もいないので、そろそろダイヤモンドダイニングでも行って戻ってきてもらいたいな(笑)。
人はどんどん辞めていくかというと辞めていかないですよ。時代が変わって辞めないんですから。よほど厳しくしていかないと、ぼうっとした人だけ残っちゃう。去年の夏くらいまで人が足りなかったけど、今は辞めないですよ。そんな時代になっています。
・「タパス・タパス」はどう立て直す?
<安田>
小林社長の「庵」は無くなってしまいましたが、そのまま続けていれば計数管理の術で生き残っていたと思いますか?
<小林>
店舗を増やすことに魅力を感じていません。25兆円というマーケットには、色んなかかわり方があると思います。小林事務所時代に蓄積してきた経験を、違う目線から仕組み作りやネットワークとかそういうもので、もしくは頭脳で儲けるエンジンを作っておきたいな。その中で楽しみながら店を出していく。今も小林事務所があったらそういう風にやっていたと思おいます。
<安田>
「タパス・タパス」は以前はどんな状況で、どのように変えていこうとされていますか?
<小林>
3年前に売上40億円近くありましたが、10%下がって、また10%下がって、30数億円に下がったものを引き継いだんです。今年3月の決算で約1億2千万円の赤字。瀕死の状態。社員はほとんどぬるま湯状態。
1店舗1店舗、店を作って行くと全員を覚えられるんですね。でも30数店舗、社員150名、アルバイト約500名が一挙に来た。最低でも社員150名を2月1ヶ月間で覚えきるんだとやって来ました。こいつはイケる人、イケない人と値踏みする。給与規定、就業規則を全部変えて、開かれたものにして、不公平がないものにして、辞めたい人はやめたらいいということをやって。いっぺんに150名の直系の息子・娘が生まれて、孫がアルバイト500名。とりあえず、2月の1週、2週で自分の本当の子供にして、号令をかけたらビシッとさせられるような、関わりを作ってしまおう。スピードをもってガンガンいきました。ちょっと声がかれているのは、今日も怒鳴っていたからです。
まずは、腐りかけている会社をどう変えていくのか、V字回復という言葉がありますが、いくらマーチャンダイジングをしたって、いくら企画を作っても、その企画にのっとって商品を作っても、根本は人間です。料理を作る人間、お客様に接する人間、この人たちがいきいきと夢を持てるようにしないと、V字回復は無い。だから人間に着手してガンガンやっている。まだやっている最中です。月7千5百万円くらい使っていた人件費を今は1千数100万円下げました。給料は8万円くらい上がっている人もいれば、下がっている人もいたり、というようなことを楽しみながらやっています。
<安田>
小林事務所の時代と変わらないやり方なんですか?
<小林>
自分の中では全部手作りです。自分たちで作るということが大事。前の社長は、どっかの会計士が作ったものを会社に落とし込もうとする。自分の会社くらいて自分でルールを作ったらいいじゃないですか。上場企業の就業規則を作ってどうする。自分たちが3年後にどういう売上や姿になっているかを頭に入れながら、今に合ったルールを作ればいい。それを小林事務所の時にゲーが出るくらいやってきたので、今それをおさらいしている最中です。
・怒ったって人は動かない
<安田>
中島社長のところは、内部管理は優秀なスタッフがいらっしゃるんですか?
<中島>
優秀なスタッフがいます。内部管理、法律を守っているか。監査法人が入ってますから。それなりにやっています。
小林さんがこうやってガンガン言う。私も昨日、テレビが入った。その中で「この野郎」なんて怒鳴っているシーンがあるんですよ。本当の事を言うと、怒鳴ってないんですよ。僕はやさしいですよ。テレビ局の人が「中島さん、昔はどうだったんですか。ちょっとやって下さい」というから(笑)、「おい、ちゃんとやれよこの野郎」とふざけてやったんですよ。それが映されちゃったんです。知らない人はまたやってると思っている。
「珍珍珍(さんちん)」というラーメン店を引き受けたんです。確かに人件費もぬるいです。何も僕は怒らないです。売れる商品を作ってあげる。かれらの負担を軽くしてあげる。店を作って売れる商品を作ってあげる。
元気よくやろう、とか言ったって、元気はできないですよ。元気よく挨拶しようとしたってできないですよ。どうしたら出来るか教えますよ。僕は最近やっと怒らなくて教える方法が分かってきた。練習すりゃいいんです。応援団にいた時に、ぶっ叩いて覚えるのは早いんですけど、今はそんなことできないから、挨拶をゆっくり教えてあげてトレーニングするんです。イタリア料理店なんか凄いですよ。イタリア語でバーと挨拶するんです。皆で掛け声出して。それが上手な人がいるんです。その上手な人をその専門にくっつける。「お兄さんさ、それじゃだめだよ。もう少し元気よくやろうよ。頼むよ」って言って、ちょっと練習する。するとお客さんがどんどん入ってくる。店が変わって、商品が力強くなってお客様が入って来る。自然とエネルギーが出てきて、その人間たちが元気になる。そこを見逃さないでちゃんと教育していくとスーと上がってきます。だから、僕は今回、人様の会社と一緒にやって初めて分かったんです。
怒ったって、人が動かない。風と太陽じゃないけれど、ビュービュー文句いったって動かない。やっぱり、「中島さんて優しいのね。あの人が来てくれて、店の料理が良くなって、人がどんどん入ってくれるよね」と信頼関係を作っていく。
今やっと分かってきたのは、お客様が入ってくるのは、そそられる店なんですよ。そそられるデザイン、行きたいなというデザイン。デザインというのはおしゃれだとか、そういうことではない。お客様の目から見て行きたくなるような店を作ってあげて、それで入ってきたらそれに応えられるような料理をしてあげて、そして納得させて、「良かったな。今度、友達を連れて来ればいいな」。そして、携帯でバシッと写真を撮って行く。撮って行くのは、自分でもこの店の料理は良かったなと思うことなんです。そこまで出来ないと店は繁盛しなくなっていると思います。そういうことをしてあげることにより、社員のモチベーションが上がる。
社員のモチベーションを上げるのは本部の仕事だと思います。本部が、それなりのことをしてあげて、サポートしてあげる。商業施設もそうなんです。店舗の売上が上がらないですから。商業施設がとてもいい企画でお客様をどんどん呼んでくれれば、僕たち店は非常に嬉しいです。お客様を呼べないと、「何だ商業施設は家賃ばかり獲りやがって」となる。現場も大事だけど、本部も考える力、企画力、そしてお客様に認知させることをまずやってあげないと。それを現場に怒ってみても、変わらない。
<小林>
経営者ですから、ホンダ創業当時の本田宗一郎がスパナを持って社員をどつこうと思ったという話と同じように、創業当時は皆その轍を踏んできている。それが上場しました、世間体があります、柔らかくなりました。みんな命かけてキチガイになって創業するんですよね。今僕は、よそ様の会社を預かっている立場です。創業社長のやり方と雇われ社長のやり方は違うんだという勉強が始まったところです。ただ言えることは、社員は、人は強くないです。今僕がやり始めたことは、40代で料理しか作れない人はいらん、ということです。この人をのけてやらないと20代のやんちゃは「よっしゃ頑張るぞ」と言えない現実がある。
もうひとつ、今ここにいる飲食店をやっている仲間、もしかしたらライバルの方に言います。もっと店の数を増やそうと思っていたら、上場関係なくて、172時間の労働時間、残業が40時間、計212時間をきちんとやっとかないと刺されますよ。そういう就業規則をつくっていく。今まだ、2店舗だから、3店舗だからじゃなくて、10店舗になりたいなら、今から作っとかなあかん。イケイケどんどんで1日16時間働かして、25歳の子に35万円払う。「火の玉集団だ。やっていくぞ」と僕もやってきた。そういう給料を払ってきたのに、国から指導が入って、「庵」を潰さなきゃいけなくなるかもわからない、となった。そういうようなことも視野に入れながら、どう自分が5年後、10年後やっていく。もうクリアされている方もいらっしゃるかも知れない。僕はこの会社で今そこにメスを入れながらやっていかなければいけない。楽しみながら。
怒るという言葉は非常に短絡的ないい方です。でも私は、中島さんのような創業社長であろうが、雇われ社長であろうが、社員からの支持率なんです。迎合することなく、メチャ怖いけど、メチャ平等で面白い、カッコいい、だからこの人についていきたいんだ。支持率がなかったら会社は潰れますよ。それが僕の原理原則。
<安田>
昔は怖かったですが、今も怖いですか?
<小林>
今は怖くないですよ。
<安田>
中島社長、以前、オタマで頭をどついたりしてましたよね(笑)
<中島>
本田宗一郎がスパナを持って「このやろう」、僕がオタマを持って「このやろう」。2人とも共通するのは、その時はつたない、未熟だから、伝える能力とか環境とか全てが整ってないから、一番荒っぽい。赤信号をスパナやオタマを持って渡っちゃうようなものですね。グダグダ言っているより、コンとやって「早くやれ。馬鹿野郎」の方が早いからやっていたんですよ。未熟だったんですよ。今も未熟だから、未熟にならないための仕事をしていかなきゃいけない。最近、人の事を見てよく思うんです。怒ったって無駄だって。でも、当時はギャーギャー怒っていた。今は怒ってもしかたないな、という心境でございます。
・社員と関わる距離は?
<小林>
自分の経験談です。小林事務所の時には、社員は本当の意味の僕の子供だった。怖い、雷オヤジだった。その規模だった。店舗数も、だから愛情の現れが怒る。独立したいんだろ、今のままだったら失敗するぞ。驕りだったんですね。今、この会社にきたら、冒頭に息子たちが150人になりましたと言ったけど、意味が全然違う。自分の中で距離を置き始めました。関わる距離、それが規模が大きくなると思いが伝わりにくい。誰かに委ねなければいけないようになっていったので、泣いて斬るんじゃなくて、笑って斬ったろかと。前はマニュファクチャー、家業やった。今、組織としてジャパンフードシステムを仕切っている。あまり深入りしてしまうと昔に後戻りしてしまうという怖さもあります。
<中島>
中島武という男は、凄く熱い男だと皆に言われます。熱くないんですよ、本当に(笑)。僕はさっき言われた、息子だとか兄弟だとかじゃなくて、社員ですよみんな。僕が作ってあげるから、おれの息子だから、おれと一緒にやっていこうという気は全くない。男性の連中と飯を食べに行きもしない(笑)。僕はうちの社員と酒も飲んだことがないですよ。彼らがニコニコ寄ってくるんですよ。気持ち悪いからあっち行けよというくらい(笑)。それから2回目の会社をやっていますから。会社が上手く行っていれば付いてくる。悪くなれば社員はいなくなる。これは息子でもなきゃ、何でもない。昔に仕事した時、「社長のために体賭けますから」と言う。「馬鹿野郎、体賭けるより仕事しろよ」と。体賭けるとか何とかいうけど、仕事しないんですよ。よくベターとくっついて、家族だとか仲間だとか言っているけど、本当の事を言うと気持ち悪くてしょうがないんですよ。勘弁してくれよと。あの世界には入りたくないんですよ。でも僕も同じ仲間だと思われている。ここで宣言します。僕はもっとクールな都会人です。(笑)
・経営者同士の集まりは必要?
<安田>
若い経営者が集まって情報交換とかしていますが、中島社長や小林社長の時代には、経営者同士が集まって情報交換するようなことがあったんですか?
<小林>
大嫌いです。できません。けだるいだけです。自分がしゃべる主人公だったらウェルカムですね。仲間が集まって云々するんだったら、社員で集まって仕事の話をしている方がいいというタイプだったですから。名刺交換が一番嫌いな人間なんですね。人の話を聞いちゃうとぱくっちゃうんですね。人間、弱いから。どっかでいただき。許せないから、そういうとこに行かなきゃいい。
<中島>
僕は皆集まるのは成功している人間たちでしょ。成功している人たちは集まりたがりますよ。僕たちは野田豊(プラン・ドゥ・シー
代表取締役)とか、集まっても情報交換とかしてないですよ、女の話しか。ちゃんとの賢ちゃん(岡田賢一郎)とか、真面目な情報交換なんかしてないですよ。毎日、毎日、今日はどこそこにいるから遊びに来い。行くと、僕お酒飲めないんですよ。俺が行くとお茶一杯で勘定をみんな払わなきゃいけないんですよ。これは厭だな。でもとっても楽しい友達だったですね。そういう人たちと会うのはいいんじゃないかなと思うんですよ。会って刺激されて、真似することもあるし。妙に真面目腐って勉強会をやるより、しょっちゅう遊んでいる方が、飲食店とは遊びの塊みたいなもんですから、それはそれで、いんじゃないかなと思います。ただ、あまり熱いと疲れちゃうけど。熱くなくて楽しいなら、いんじゃないかな。自然に皆で集まって楽しい時代だったですよ。
<安田>
仲間で呑みにいったりして、ビジネスのヒントになったりはありました?
<中島>
僕の周りに集まった人はみんな成功しましたよ。全部、プロセスですから死ぬまで分かりませんけど。野田豊なんかは、一時は大丈夫かなんていう時代もあったんですよ。だけど、ガーッと上がってきましたね。柴田陽子(柴田陽子事務所 代表取締役)なんて毎日会っていた。いつのまにかノウハウを把握して、今じゃ僕なんかより偉い先生ですよ。中村悌二さんは能力のある素晴らしい人ですけど、そんなに有名じゃなかったですよ。いつの間にか、素晴らしい悌二さんになっちゃうし。みんなみんな、デビューしていきました。
環境が人を作るんで、色んな人と接触したらいいなと思います。影響を与えてくれる「人たちの傍にいて、成長していく。皆どっかに影響されて仕事をしてると思うんですよ。あまりくそ真面目なのはダメ。遊び仲間でいいんですから、集まったらいいと思います。
・外食企業が成長していくために
<安田>
中島社長、今まで外食を20年近くやられてきて、その中で苦しかった時期は?
<中島>
外食産業を始めた時にこんなに簡単なものはないなと思いました。しばらく、ずっと思っていました。やっと苦しいのが分かってきました。すかいらーくさんとか見てて、何でこんなことやるのかなと思ってたんですよ。いつでも批判的な目でものを見てたけど、やっぱりそれは、通過点。10億円の話をしてる人と、20億円の話をしてる人、50億円の話をしてる人、100億円、それから、300億円、500億円、1000億円になっていく。物の見方が違ってくる。それを100億円の時に語ると笑い者になるんで、それを語らないんです。ですから、1000億円は1000億円の仕事があるんです。1000億円のロジックがあるんです。ですから100億円のロジックをやってる時には1000億円のロジックは分からないです。ですから、僕は世の中で1000億円になった時のことを考えなきゃいけない、ロジックを持ってなきゃいけない。
企業はなぜ大きくしなくちゃいけないのか、本当にくだらないと思うんです。それはビジネスをしたら、誰でも大きくしなきゃビジネスマンじゃないです。大きくしなくなった人は、これは試合をしない人です。試合をすれば必ず負けるんです。ずっーとやってれば負けますから。やはり、し続けることは大切ですけど、企業が成長していくことは本当に大切なことなんですけど、相当なエネルギーがかかります。2000億出して赤字の人がいますよね。しかし、10億円やって1億円儲けている人の方が利益は出してますよね。でも、それは話が違うんです。皆さんは、1000億円なら1000億円のロジックをもつようにしていただきたいなと思います。
<安田>
小林社長は、外食へ戻ってきた理由はあるんですか?
<小林>
「日本にない調理師学校を作ったんねん」と思いました。皆、反対しました。長崎のオランダ村を借り切って、60個くらいの施設があって、そこに商業施設と、学校。マネージメントのできる調理師さんて素敵だよな、と思った。その時には、川下の外食に辟易としていたんですね。川中、川上に行きたいなと、外食の川下に何か提供できるものは何があるんだろうと思った時に、日本には原価計算が出来ない調理師がいる。作ることしかできない、マネージメントの出来ない店長がいる。そういう人を教育できたらいいのかな。長崎にそういうものをチャレンジしてものの見事に失敗しました。自分の力の無さですね。20億円の負債、倒産、そして自己破産。ただ小林事務所という会社はいい会社、儲けた会社。従業員も沢山いる。大阪府中小企業支援協議会というところが潰すのはもったいないからということで、M&Aという形でシダックスに買ってもらった。
シダックスに顧問という形ではいりました。小林事務所の資産は全てシダックスのものになりました。損させた銀行さんから、シダックスの役員になったら承知しないからな、と言われたんで顧問という形になって、去年役員の末席に加えていただいた。失敗したんだけど、おてんとさんを見て生きていきたいな。それなりに資産を持っていました。隠そうと思えば隠せたかもしれない。でも隠しちゃったら、おてんとさんを見たビジネスは出来ないな、と思いました。不器用だからですよ。長けた人はそれを上手くやる。全部さらけ出してマイナスになって、きれいな生き様、教科書的な生き様をしたかったんです。だから、シダックスでもそのように評価されたし、だから今、30億円もある立派な、30店舗もある会社の外食に復帰できたんだなと思っています。ただ、このジャパンフードシステムをどうこれから料理するのかは僕の裁量に委ねられている部分がありますから、当たり前じゃないことをしたらいいのかな。帰れて嬉しかったですね。
・イタリアン対決
<安田>
業態の寿命、作れば作るほど、前に作ったものが劣化してそれを直していかなきゃいけない。いたちごっこになるという話がありました。「タパス・タパス」は23年続いている業態ですが、魅力はあったんですか?
<小林>
考えてもいなかったですね。話が12月23日にあって30日には決めていました。僕にとって何でもよかったんです。とにかく外食に復帰して、自分が育ててきた夢をもう一度、最後に花開かせたいな。いい意味で利用させてもらって、その代わりV字回復しなきゃいけないなと。パスタをやるなんて過去の人生で考えたことがなかったんで、でも商売は全部いっしょだよねと。中島社長に一度「タパス・タパス」に食べに来てもらって、これはイタリア料理じゃないと木端微塵に言われました。俺のとは全く違うぞと言われちゃいましたけど。いいかそれでもと、思ってやっています。
<安田>
お二人とも、イタリアン。中島社長のところはちょっと高いイタリアン、小林社長のところはカジュアルなイタリアン。小林社長は今度、薪釜焼きのピザ店を始めるそうですね?
<小林>
中島さんに挑戦しようかなと。新宿の店に7月1日に60坪くらいで、名前はタパスから離れて「ベンヴェヌート
ア タパス」。外食復帰1号店です。でも、めっちゃ怖いんですよ。本当はしたくない。出店なんてまだ全然したくないんですよ。ただ、潰したビルがあってその時、テナントでは入っており、完成したあと、もう1回入んなきゃいけない契約になっていたんでやらざるを得ない。本当は店を出すことに今、ビビってます。
<安田>
中島社長、なんでイタリアンばかりやるんですか?
<中島>
どんな時代にも、不景気でもその業界を引っ張って行くものがあると思うんです。アパレルが悪い悪いと言いながら、ユニクロがいいとか。車産業は相当悪いけど、ハイブリッドが出てきたとか。やはり時代の中にかならず光るものがあるんです。それを作っていかなくちゃいけないと思っています。
イタリアンなんていうのは、今マーケットがいいなんてものじゃないです。どこでもパスタやイタリアンがある。でも、この中でウチがつくるイタリアンは非常に新しいイタリアンを作っています。デザインも時代の中で変わっています。時代の中でどういうイタリアンがいいのか、お客様が求めているものを作っていけばいいんです。丸の内仲通りに「パリアッチョ」というイタリアンがあるんです。意味はイタリア語でピエロという意味。出来上がった時にこの店は成功すると分かりました。店を作った時に分かります。
それはデザイン力なんです。デザインで店が流行るのかい?と言われますが、デザインで店が流行るんです。デザインがずれたら流行らないですよ。デザインがずれたら、商品もずれますから。デザインがずれることによって、三つ星のきれいな店を作っても消費者は行きたくない。作る側の方がよっぽど鈍いですよ。消費者の方が分かっていて、作る側が分かってない。なぜかというと、飲食店の人たちはほとんど田舎者なんですよ。それと、自分の生活の嗜好のところで止まっちゃう。こういう家具が好きだ、そういうところに行く。たぶん、ユニクロだって自分たちの好みというより、あれはマーケットとしてああいう商品を提供していて、それにお客様が反応して下さって、消費して下さる。今、僕がやってるのは正にそれなんですよ。
僕だって素晴らしい食材を使って、素晴らしい料理しかやりたくないですよ、本当は。でもそんなことやったって僕にはお客様がいない。スタッフもいない、そういうエリアもない。だったらこの辺でどうやってお客さんを集めようかというのを作って行く。
新しい時代のイタリアンを作っているんです。ですから、広尾の「サルシッチャ・ウノ」というソーセージの店。全部ウチで作っているんですよ。普通皆仕様書発注で作りますけど、全部そこで作っているんです。それを作ることで僕はお客様が来るなと分かるんです。
代々木に『レストランキノシタ」というのがあるんです。本当に行ってみてください。坊主頭でTシャツを着てフランス料理を作っている。なぜTシャツでやっているか分かります? フランス料理は、ホテルに入って高い。勲章みたいなのを一杯付けている。キノシタに行くとTシャツきて、タオルみたいなのを下げて、坊主頭です。なぜコックコートを着ない? 自負なんです。あんな格好しなくたって、高い帽子を被らなくたって、おれはきっちりいい料理を作って行くぞ、という男の自負なんです。本当にいい料理です。行って下さい。「飲食店っていいな」と思います。一番高いコースで8千円ですが、キチンとした料理です。品もあります。力強いです。言うことないです。食べた時、凄く美味しくて、「木下さん、よくやっていけるね、この値段でこの肉使って」と聞いたら、「やあ、中島さんわかってくれましたか」。帰りがけに、原価はこうだからと話してくれた。「この肉を中島さんが使うなら紹介します」と言われ、それで紹介してくれて千葉から買った肉なんです。牛を1頭買って、それを全部使っています。ウチは全然広告してませんよ。でも、初日で45万円売るんですよ。ずっと45万円。
「じゃあ、ウチは皆そうすりゃいいじゃん」と言われますけど。それぞれの環境で色んなことをやっていますから、そうは行かない。今は本当によくわかります。どういう店を作ったらお客様が来るか。ただ、頭の中で分かっていても表現できない時があります。頭でわかって表現が出来て、そして、上手くオペレーションできて、スタッフが適材適所に教育できれば成功しますよ。そういう時代になってきた。
・話題の分煙について
<安田>
最近、分煙が話題になっています。昔はどうでもよかった。お2人ともに神奈川県に店がありますが、神奈川県では客席が100平米以上ある店は必ず分煙しないと営業してはいけないと、この4月から決まりました。中島社長のところは分煙されているんですか?
<中島>
タバコは体に悪いかもしれません。何でも度が過ぎれば悪いです。酒も悪いです。でも、悪い悪いじゃ、世の中、嗜好品というのはなくなっちゃう。僕はタバコを吸わないです。ただ、お酒を飲む人が仕事が終わった時にビール1杯をグーと呑む、ビールが悪いと言われたらしょうがないでしょう。タバコが悪いと言われたらしょうがないでしょう。何しろ、どの店に行ったらタバコが吸っていいのか悪いのかはっきりしろ、だめならだめで潔くノー、これでOKです。しかし、店に入ってから、吸っていいですかダメですか、と聞くのはちょっと。OKの店を作ると、良かったタバコが吸えてという人がいます。その声も大事にしてあげなきゃいけないなと思います。それが厭なお客さんもいます。福生に「韮菜万頭」という店があるんですね、屋台みたいな店です。アメリカ人はタバコはダメですね。タバコがあると入ってこないです。
本当にタバコが吸えてよかったなという店をはっきりさせてあげたい。イエスとノーをはっきりさせる時代じゃないかな。神奈川の話は政治としてはいいことしたよと言うけども、そこで生活している人や、ウチだってやって行けなくなっちゃいますよ。だから、長いスパンで見てもらって徐々に改善していかなきゃいけないなと思います。早く、イエス・ノーを日本中分かりやすくしましょうよ。この運動をどんどんしていきたいと思います。分煙するにもお金がない。バーで分煙しろと言われたらどうします。あまりにも度が過ぎますよね。
<小林>
業種業態によって考えたらいい。新宿の店でタバコどうしましょうという話が出たんですね、やめちゃおうと言いました。米国でビルの上のレストランで吸いたいというと、「1階まで下りて、外で吸って下さい」という。何年か前の飲酒運転、居酒屋大打撃ですよね。分煙とか、神奈川県を核にして広がって行く可能性があります。来た時、居酒屋をやっている人は何かの対策を考えとかなきゃいけない。居酒屋では絶対にタバコは外せないと思うんですよ。「タパス・タパス」にはお客様のクレームが入ってきます。「まだ分煙してないんですか、どうなっていますか」と。「煙くてしかたない、2度と来ません」ということもあります。
近い将来、「タパス・タパス」においては分煙ではなく禁煙に徹していこうと思います。タバコが吸えないなら帰るという人がいる。それは全体の中のこれっぽっちの話。迎合するんではなくて、マーケットや国がそういう方向になってるなら、それに速やかにのって主張した方が勝ちなのかなと考えています。
<安田>
本日は、中島社長、小林社長、ありがとうございました。