フードリンクレポート


“オールディーズ”ライブハウス「KENTO’S」再攻勢。
9月横浜、10月大阪オープン。
ケントスグループ株式会社

2009.7.24
1976年の六本木で創業し、80年代に一世風靡し全国に約40店も展開した“オールディーズ”ライブハウス「KENTO’S (ケントス)」。バブル崩壊後に全盛期の勢いは下降線を見るも、今また30〜40代のお客を集めてライブディスコと化し、平日も大盛況となっている。そして、9/25には横浜・鶴屋町で、10/16には大阪・梅田で久々の新規出店を行う。その魅力を取材した。


「ケントス」六本木本店のステージ。

1976年、六本木のフレンチでライブが始まった

「ケントス」は創業者、安本昌弘氏が六本木の俳優座近くで1976年に始めたフレンチレストランが発祥。当時人気のグループサウンズ“ビレッジシンガーズ”の林ゆたか氏が常連客で、お客の少ない日に友人のミュージシャンを集めて週に1回くらい生演奏やろうと始めた。そしたら、お客として連れて来られたミュージシャンも一緒になって、あこがれの1950年代の米国のポップスを演奏。それが噂になり大盛況。

 そして、今の場所に移転した1980年頃からテレビなどマスコミの取材攻勢を受け全国に認知が広がり、各地からFC希望者が殺到。1985年に仙台、新潟、博多。1986年に京都、神戸、金沢、松山、沖縄、札幌、長崎、小倉。一気に全国に広がり、最盛期は約40店にまで拡大した。

 取材に応じてくれたケントスグループの尾形光浩氏(企画開発部 部長)が当時を語ってくれた。

「僕は1986年にケントスに入社しました。宮城県出身ですが、高校生の時から仙台のケントスで遊んでいて、カッコイイとあこがれていました。思いきって東京に出て、ケントスに就職したんです。最初は六本木本店で働きました。そのころは、リバイバルブーム。ラッツアンドスターなどアメリカンポップスを軸にしたようなミュージシャンがテレビに出ていました。プレスリーもカッコよかった。当時流行っていたのはマドンナやマイケル・ジャクソンでしたが、今では考えられないくらい50年代の音楽は浸透していました」と言う。ケントスで演奏されていた50年代の音楽が若者にウケていた。

 東京のケントスがメディアを通して全国に知れ渡ったので、地方に出来れば自然に繁盛するサイクルが出来上がった。地方だけでなく、六本木でも、日拓「LOLLIPOP」やノバグループ「最後の20セント」など10軒以上の50年代のオールディーズ音楽のライブハウスがひしめいた。


六本木本店のファサード


六本木本店のライブ風景。


コンセプトを守りながら時代に合わせる

 バブルが崩壊した90年代は苦しかったようだ。

「1976年に創業し、ずっと50〜60年代の音楽だけをやっていました。プレスリー、コニー・フランシスなど往年のポップスです。ウイスキーの衰退と同じ道をたどっているんですが、90年代半ばを境にマーケットが変動しました。30〜40代のお客様が来た時にウケない。プレスリーは懐かしいものではなくて、知らないものなんです。80年代は懐かしくて来たお客様が7割、知らないけど楽しい若い世代がミックスして盛り上っていた。それが90年代には、懐かしいと思ってくれるお客様の割合が5割以下になってしまった。お客様にとって懐かしい音楽が50年代ではなくて、70年代に変わった。R&Bやソウルなどの70年代サウンドです。」と尾形氏。


尾形光浩氏(企画開発部 部長)

「新しいお客様が増えなくなった。『楽しいけれど懐かしくはなかった』と言われるようになりました。今までは『これでよかったら来てくれ』という強気の商売でしたが、それではビジネスはまかり通らなくなり、売上がドンと落ちたんです。それで、時代のマーケットに合わせた戦略を考えました。」

「ケントスのイメージは 50年代の懐かしのアメリカンポップス。それを70年代にスライドさせるには相当な苦労がありました。『こんなのケントスじゃない!』と長く続いているお客様からのバッシングが相当ありました。お客様が離れて行った。『ウチでやる音楽がオールディーズなんだよ』と開き直ったんです。基本コンセプト、ノスタルジックは変えていません。」

 そして、40店あった店が次々に閉店したが、ソウル、R&Bなどの70年代サウンドを演奏するようになって今、新たなマーッケットを開拓し15店が生き残っている。特に、東京の銀座店、新宿店は大繁盛。六本木店だけは本店なので今も50年代の往年のポップスにこだわっている。内装も変えていない。

「新宿は30代、銀座は40代、六本木は50代がメインです。1年半前に銀座店はコリドー街のニッタビルに移転しましたが、ホーンも加えたビックバンドの構成で迫力あるステージで、盛り上りは六本木の比じゃない。月曜日でも一杯で盛り上っています。週末は20時以降入れません」と尾形氏。

 六本木は六本木で往年のポップスファンである50代以上が集まり、演奏中は団塊世代がツイストに熱狂して盛り上っている。


銀座店のステージ。


銀座店の店内。


銀座店のライブ風景。


ボトルキープからワイン、カクテルへ

 かつてのケントスはウイスキーのボトルキープが中心。お客のほぼ全員がキープし、ケントスにキープしてあることが一種のステイタスになっていた。

「今は皆さん、ショットで頼まれます。銀座店はシャンパンが出て、レストランバーと変わりません。50代はこういう店はウイスキーを飲まないと格好が付かないだろうと考えますが、今の若い人は飲みたいものを飲まれます。男性3人でもウイスキーをショットでというお客様も多いです。」

 現在のボトルキープ比率は、六本木、銀座で5割、新宿は3〜4割という。しかし、明らかに他業態よりもキープ比率が高い。そこでウイスキー会社が半額ボトルキープのキャンペーンを定期的に仕掛けている。半額でキープでき、店を気に入ってもらえば何度か来てくれ、空になるころには半額でキープしたことを忘れ、「めんどうなので同じの」というパターンになりやすい。

 人気のウイスキーはバーボン。IWハーパーやジャック・ダニエル。ミュージシャンの影響が強く、ローリングストーンズ好きはジャック・ダニエルとなる。年配の方はスコッチを選び、シーバスリーガルやジョニーウォーカー黒。

 客単価5000円。チャージは店により若干異なり、男性1800円、女性1500円前後。ビール1杯飲んで帰ると2500円となる。ステージは原則入れ替え制ではないので、1回聞こうが6回聞こうが2500円。

 店内には大きめのキッチンがあり、ピザは生地から、パスタは茹でるところからなど手を抜かないメニューを提供。売上げの約4割をフードが占める。

 そして何よりの酒のつまみが音楽。音楽は「あの時、あの子を口説いていたな」などと思い出させる効果がある。「あれ聞きながら酒を飲むと美味いんだよな」とドリンクの売上げが増えていく。


カップルを仲良くさせるケントス効果

「20代、30代のお客様もいます。その層が上がって、また若い層が入ってくれればよい。その時代時代の30、40代にウケないとビジネスとして成立しないと思っています。彼らは20年くらいは健康でいてくれます。60代をメインに絞っていると10年ももたない。60代も楽しめるし30代も楽しめる、老若男女が楽しめる店というのは、60代が30〜40代の楽しんでくれることに合わせてくれないといけない。店側としては60代に合わせることはできない。このままいけば、20年後にはヒップホップやらなきゃいけない(笑)。」

 実は、ケントスのお客は音楽を楽しみに来ている人が多数ではないという。

「直営店でキャヴァンクラブというビートルズの生バンドの店がありますが、そこの8割はビートルズが好きなお客様。ビートルズ好きじゃないのに何で来たの、という感じです。でも、ケントスの場合は音楽が聞きたくて来るお客様がほとんどではない。乱暴に言うと音楽が鳴って踊れりゃいい。その中にケントスがこだわる音楽があるだけで、ケントスはこういうコンセプトでこんな音楽をやっていると分かっているお客様が多いわけではありません。」

 その理由は、圧倒的に多いカップル客にある。

「30〜40代のカップルに、音楽が背中を押してあげる。口説きがいらない。アースウィンド&ファイヤーなど70年代のディスコクラッシックスで踊っていると、いきなりチークタイムになります。付き合っている訳じゃないけど、周りの雰囲気から踊らない訳にいかない。店を出る時には、ちゃっかり手をつないで帰っていきます。しゃべらなくても自然に仲良くなれる」というのが、ケントスが愛され続けている本音の理由だろう。

 さらに、30分毎に演奏と休憩を繰り返すのもノウハウ。

「ずっと演奏されるとわずらわしい。30分演奏して30分休憩がベスト。休憩時間が長くても間が持たず、10分だと焦る。30年間ではじき出した方程式です。30分演奏して30分休むのが最もお客さんに優しい。」

 そして、再び盛り上がりを見せるケントスは、久々の新規2出店を秋に予定している。1店目は、開港150周年で盛り上がる横浜。横浜駅西口の鶴屋町で100坪の横浜ケントスを9/25にオープンさせる。2店目は、大阪・梅田の劇場跡。2フロア吹き抜けで170坪。10/16にケントスグループ直営店としての大阪ケントスをオープンさせる。かつての大阪ケントス(FC)は1987年に誕生し、2009年3月に閉店。半年後に移転しての再オープンとなる。

 70年代のディスコクラッシックスが現在のクラブでも20代にウケているという。今の時代からみたノスタルジーやオールディーズは70年代。時代が移っても、その時々のノスタルジーを追求していくことにより、社会が求める潤いを提供できるのがケントスだ。


ケントスグループ株式会社

【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2009年7月15日執筆