・外食事業スタートは15年前
第一興商の外食事業1号店は、根本氏が子会社、台東第一興商に所属していた15年前に作った居酒屋。
「15〜6年前のカラオケボックスのブームで、大きいまま借りなければいけない物件が出てきました。カラオケには大きすぎるので、余った部分で飲食店をやろうと思ったんです。グループ会社の中にも、ちょっと飲食店をやってみようかという空気がありました。カラオケが儲かっていたので、家賃が出せるなら始めてみれば、という軽い感じでスタートしました。」と根本氏。
「1号店は、カラオケと複合の居酒屋。色んなメニューを置いて安くすればお客様は来るんじゃないか、と自己流で始めました。でも、失敗はしませんでしたが、儲かりもしなかった。失敗しなかったのは、立地が良くてそこそこ売れたから。」
試行錯誤する中、「色んなメニューを安く出せばいいというものではない」と、ビール会社の営業マンに指摘を受けました。そこから、ターゲットはどの層で、どういう料理で、どういう価格でバリュー感を持たせるのか、を勉強しました。外食もビジネスなんだと気付かせてくれたんです。」
第一興商の根本賢一氏(専務取締役)。
・「びすとろ屋」チェーンのつまずきで道が開けた
そして、11年前に初めて単独で出店しました。台東第一興商の社員で知恵を絞って作ったのが、日暮里駅前の「びすとろ屋」。
「当時、和食はいっぱいあって勝負するのは難しかった。洋風はレストランしかなかったので、居酒屋風の洋食店を作りました。それなりに当たりました。偶然ではなく、狙った通りに女性客が来てくれました。こうやればお客様の反応を得られるんだと、コツをつかんだ。当時、展開していた居酒屋をどんどん『びすとろ屋』にリニューアルしていきました。八重洲、人形町などどこも立地がいいので、物凄く売上げが上がりました。」
「2〜3年で10店まで増え、それまでは勢いがありました。出せば当たると自信に満ち溢れていました。ところが、最初の店の売上が悪くなったんです。他店も全部同じ店を作ってしまったので、次々に悪化です。上手く行っていても、日々改善しないとダメなんですね。それから2年間かけて、全店を修正したんです。そこから、業態を分け、同じ店でも地域により違えるという今の路線に行きつきました。」
現在、外食は第一興商本体に移され、カラオケボックスと合わせて店舗事業として、根本氏が統括している。炙焼き「楽蔵」、創作和食「ウメ子の家」、エスニック「東風家」、和洋折衷「びすとろ家」の4業態を主軸として、15業態に広げ、直営90店、グループ内でのFC6店。「びすとろ“屋”」は刺身も出す「びすとろ“家”」に変えた。ライブレストラン「HIT
STUDIO 60's」、アイリッシュパブ「CELTS」、立ち飲み「一寸や(ちょっいとや)」も運営している。
炙焼き「楽蔵」。
「楽蔵」のメニュー。
創作和食「ウメ子の家」。
エスニック「東風家」。
和洋折衷「びすとろ家」。
アイリッシュパブ「CELTS」。八重洲、水道橋、カナーレ品川にある。
・複合化で1次会と2次会の2回利用を促す
「25店舗まで伸びたところで、カラオケボックス事業が行き詰ったんです。大型化の競争が始まり、赤字に転落の危機がありました。子会社(台東第一興商)でうまくいっている飲食事業を本社に吸収してビッグエコーと相乗効果を出そうという話になった。私は、その本部長として立て直しを担当しました。」
「ビッグエコーは大都市でも60室程度が限度なのに、100室の店舗もあった。いくら営業しても合わない。立地はいいので飲食店にしようと、複合化が必然的に起きました。例えば、八重洲の一番いい立地なのに、1階の90坪を受付だけに使っていた。一部をアイリッシュパブに変えました。立地に応じた業態開発をし続けて、業態が自然に広がりました。」
「手持ちのビッグエコーの物件なので、飲食店を入れても家賃は変わらない。飛躍的に利益が上がりました。」
「ビッグエコー」は直営110店、子会社132店で計242店(2009年8月末日現在)。その内、複合店は現在、31店ある。
「カラオケボックスも不況下で世間並みに厳しさが続いています。宴会では1次会は皆、参加しますが、2次会は避ける人が多い。カラオケボックスで食事をするようにはなりません。食べるものを食べて、一度手締めをして、帰る人は帰してあげて2次会に行くという方が7〜8割。レストランカラオケをやるのもいいですが、1次会でウチの飲食店を利用してもらい、そしてビックエコーで2次会。両方で商売にした方がいい。同じビルの場合はメニューの共有や客室も共有しています。早い時間は楽蔵の宴会場だけど、実はビックエコーの一部だったりします。」
カラオケ以外の2次会用に、お客様が自分でギターを弾くフォーク酒場「HIT
STUDIO 70's 旅のつづき」も運営している。
・一棟借りして居酒屋チェーンとも複合
「ビッグエコーは自社だけの複合とは限りません。ビルの一棟借りをして、客層の相乗効果が得られそうなら、他の居酒屋チェーンさんにも入っていただいています。逆に、居酒屋チェーンさんの一棟借りにもウチが入ったりします。5坪〜500坪まで、どんな大きさでも借りられる業態を持っています。」
「さらに、ビルオーナーさんからウチの財務的信用度が高いので、家賃も保証され一棟を任せてもらいやすい。あとはバラしてお宅で貸してあげて、と言われます。品川駅のカナーレ品川は建てる所からウチがやっています。ありとあらゆるケースが可能です。そこまでできる会社はないでしょう。恵まれた環境ですね。」
カナーレ品川は、一棟借り。
「VENES CAFE」。カナーレ品川の8階にある。
・カラオケ機器40万台、シェア約57%
「私は23歳でカラオケ機器の販売をしていた台東第一興商に入社しました。勢いがあって、社員は創業者の保志忠彦社長(現会長兼社長)の信者のようでした。次々と営業所ができ、営業も言われた通りやるとボンボン獲れた。車でセットをもちこんで、『一週間だけ使ってみて下さい。お金はとらないですから。ただ、お客様が入れたお金だけの半分だけは下さい』と置いて帰る。1週間後に行くとお金が一杯貯まっており、じゃあ置いてってよ、となった。」
当時のカラオケ機器は、お客様が100円硬貨を入れて唄う方式。店はリース料を払い、100円硬貨の売上は、店と第一興商で折半。硬貨入れの鍵は第一興商が持ち、月に1度、回収に店を訪問する仕組み。
「信じられないくらい売上が上がりました。金庫が一杯になるので月に2,3回きてよ、とも言われました。ウチだけが生き延びた。『売るな。売ったら儲けはたかがしれている。売ると50万円、貸すと200万円売れる』と言われた。投下資本を考えたら資金繰りは大変だったでしょうが、皆が燃えていました。」
現在、市場にあるカラオケ機器は約40万台。第一興商は、57%弱のシェアを握っている。
「カラオケ機器の市場は成熟期を迎えています。主戦場だったスナックは減り、カラオケボックスに移ってきている。カラオケボックスの比率が高まっています。カラオケボックス運営会社は今、大手の寡占化。中小はじり貧。ウチは少しずつでも着実に増やしています。」
・カラオケボックス、飲食店の両方が主
「カラオケボックス会社が飲食店をやって成功したことはない。飲食店がカラオケボックスをやって成功した例もない。第一興商はカラオケボックスとしても、飲食店としても両方の顔を持っている。普通は、どっちかが主で、どっちかが従になる。レストランカラオケで料理を良くしようという発想にしか行かない。」
「カラオケボックス、飲食店共に凄く愛情があります。栄枯衰勢の激しい業界ですが、あの時の企業はありません、となりたくない。単独も、複合の、大型も、小型も、立地に合わせた業態を作って、長く安定して拡大していきたい。」
第一興商という強固な財務基盤と、「ビッグエコー」の一等立地が強み。それに加え、「ビッグエコー」と15業態に渡る飲食店を持ち、あらゆる物件に対応できる柔軟性もある。しかも、業態は次々に増やす。それも外部会社を使わず、自社内で開発している。「楽蔵」や「ウメ子の家」のように、目立たぬが地道で息の長い業態開発が第一興商の外食事業の強みだ。
■根本 賢一(ねもと けんいち)
株式会社 第一興商 専務取締役。1957年生まれ。茨城県出身。1981年、株式会社 台東第一興商入社。1999年、株式会社 台東第一興商代表取締役社長就任。2005年、株式会社 第一興商常務取締役就任。2009年、株式会社 第一興商専務取締役就任。
→株式会社 第一興商 カラオケ飲食店舗事業