フードリンクレポート


ワタミは進化する。
業態の陳腐化は携わる人間が起こす。
桑原 豊氏
ワタミ株式会社 代表取締役社長 COO
兼ワタミフードサービス株式会社 代表取締役社長 COO

2009.10.9
本年6月、ワタミの新社長に就任した桑原豊氏。前職のすかいらーくで学んだチェーンストア理論を活かし、集中仕込みセンターの「ワタミ手づくり厨房」を立ち上げ、現在の外食約600店舗の基礎を作った。社長就任から3ヶ月経つ桑原氏の人となりを取材した。


外食人らしく話好きな、桑原豊氏。

浅草で育つ

 桑原氏の実家は浅草で質屋と天ぷら屋を営んでいた。

「小学生の頃、7の付く日は家に帰りたくなかった。質屋の定休日で、天ぷら屋も一緒に休みでした。普段は朝から晩まで、お客さまや従業員などいろいろな人で賑やかで、それが幸せでした。休みの日は家族だけで、朝から憂鬱でしたね」と桑原氏は賑やか好き。


リニューアルさせて本年9月にオープンさせた「ゴハン」(秋葉原)は女性に人気。


「ゴハン」 スタイリッシュで落ち着いた店内。


暁星卒にもかかわらず、珈琲専門店を目指す

 名門進学校である暁星中学・高等学校(東京都千代田区)を卒業したが、大学には進学しない異端児だった。

「同級生で大学に行かないのは私だけ。進学校なので学校や友人から攻められました。珈琲専門店をやりたかったんです。サイフォンで珈琲を淹れ、ストレート珈琲を10種類くらい置いて。高校1年生の時には決めていました。」

「暁星のある九段に当時の草分け的な珈琲専門店、「九段茶房」がありました。父兄の憩いの場。私自身は美味しさがあまり分かりませんでしたが、珈琲好きが美味しいというのでそうなんだろうと思う程度でした。高校生になると、実家が始めた天ぷら屋を手伝い、マネージメントみたいなことも経験し、楽しくてしかたがなかった。朝起きて学校に行くことが疑問に思うくらい、私は喫茶店をやりたいと、一直線でした。卒業はしたかったので、学校には最低限通いテストも受けました。」

「その九段茶房は社員の暖簾分けで店数を増やしていました。修行が厳しくて、3年経たないと珈琲を淹れさせてもらえない。自分の店を持つまで6〜8年かかるとの事。とりあえず、1年間の修行ということで入れてもらいました。月給は5万円。新卒が10万円だった時代です。35坪でブレンド250円。出前も合わせて1日30万円売るんです。1日1千名以上のお客様がコンスタントに来て忙しかった。店が終わったあと、店の2階にあった研究室で座学です。研究熱心なオーナーで、水出し珈琲の特許も持っていました。最後の1ヶ月間はピークタイムに珈琲を淹れさせてもらうまでになりました。」

 この九段珈琲の暖簾分けを見た経験が、社員の独立を支援するワタミダイレクトフランチャイズに繋がっているのだろう。2004年に桑原氏はワタミダイレクトフランチャイズシステムズ株式会社の社長に就任した。


開店資金を求めて、すかいらーくへ

「珈琲店の運営が一通り分かったので、自分で出店するにあたり資金を作りたいと、給料のいい企業を探しました。両親の店を引き継ぐ方が簡単だが、自分の力で店を出したかった。友人が働いている店で、店長のボーナスがすごいという話を聞き店を見に行ったところが、すかいらーく。きれいな店でメニューもきれいで、5万円の私の給料でも月1回くらいは行けるという値段でした。社員は1人だけで、あとはアルバイトで運営と聞いて、びっくりしました。面接に行った当時のすかいらーくは、店数が約40店。でも、私が入社1ヶ月後に組合が出来、店長への配分が減ってがっかりでした。」

「初日にキッチンに入ってくれと言われました。忙しい珈琲店でやってきたので、包丁も使えるし調理も分かっているつもり。1日1千人捌いていたというプライドがあった。冷凍物をレンジで温めて提供するんだろうと舐めていました。普通のレストランでは2番目のポジションの人が担当する、ストーブ前に入ってくれと言われました。大丈夫ですかと聞くと、マニュアルがあるという。引き出しを開けると食材が使いやすいように低位置に並んでいる。普通のレストランと同じく本格的につくる。私がそこに入ると、4〜5組のお客さましかいないのに料理が出なくなった。チーフから外れろと言われ、高校1年生のアルバイトにチェンジ。その子が入ると料理がスムーズに出る。驚きです。私は慣れるまで1週間かかりました。」


チェーンにロマンを感じた

「私は個人店しか知らなかった。チェーンストアーには仕組みがある。やりやすい定位置、マニュアル、専用の道具。これがチェーンストアーというものなのか、と驚きました。」
 
「メニューが変わる季節になると、本部からきれいなメニューが送られてくる。食材を見たら工場で1人前ずつきれいにパックされて送られてくる。量もぶれない。このメニューは誰が考え、誰が仕入れているんだろうと不思議に思いました。」

「チェーンストアーは分業の仕組み。それぞれが幅を狭めることにより専門性が高められる。実はチェーンストアーはプロ集団で、自分たちの分業をきちんとやった時に初めて繋がるチェーンができる。入社半年でそこにたどりついた。ちょっと待てよ。思い描いていた珈琲店をやるのもいいんだけど、誰に喜んでもらえるんだろう。一番喜んでいるのは私だけ。チェーンストアーはとてつもなく多くの人に喜んでもらえるんじゃないか、チェーンストアーを勉強してみようと思いました。珈琲店の夢はいつでも出来る。お金も貯めながら勉強もできる。」

「チェーンストアーに大きなロマンを感じました。チェーンストア・マンはロマンチストではないとできないと言われますが、本当だなと。まずは、店長を目指し2年目で店長に。次に複数店の管理をしてみたいとエリアマネージャーに。」


藍屋を立ち上げる

「1年後にすかいらーくの新事業の担当に。すかいらーくは300店まで浮気せずワンブランドできましたが、300店を超えた瞬間に一気にブランドを広げました。その時につくったのが藍屋。コンセプトから始める勉強も必要だな、珈琲店やるなら複数店をやりたいし、チェーンストアー勉強に加えて経営の勉強が出来ると取り組みました。」

「売上が倍々ゲームの時代。店数が倍々になっていきました。資本の論理を知ったのもこの頃。持ち株会で月々3万円貯めても年間で36万円。これでは途方もなく年月ばかりかかる。すかいらーく株を店頭公開前に持っていた社員は皆、億万長者になった。私もこのように自分の店を持とうと思いました。すかいらーくは分社して各々が独立して公開を目指す。 それがグループを強くする道です。藍屋も2年半で店頭公開。その後、東証2部まで行きました。」

「藍屋は1店年商3億円。まれにみる好業績で、最高200店まで増えました。ところが、バブル崩壊で下がった。低価格路線のガスト、バーミヤンが好調だったので、藍屋も3匹目のどじょうを狙って夢庵を始めました。藍屋から夢庵に転換すると売上が3割増えたが、3ヶ月経つとたちまちと落ちた。安かろう、悪かろうの典型でしたね。私が任せてもらい、うどん、そば、豆腐、付け合わせの寿司という柱をしっかり作りました。業績が全店平均で115%にまで戻った。もう大丈夫と、すかいらーくを辞めさせていただきました。」


渡邉美樹氏と、12/30夜9時の出会い

「初代の藍屋の社長がリタイヤしてコンサルタントとして活躍されており、たまたまワタミと接点がありました。勉強のために会って話を聞いたらいいよと勧められ、年末の12/30、夜9時に蒲田の居食屋「和民」へ伺いました。すると奥で宴会をやっているグループがあった。その宴会を抜けて入ってきたのが渡邉氏です。終電まで話をして、その日は別れました。入社の話は一切なし。元旦に藍屋の本部にいた時年賀状が届いた。1つだけ封書。裏を見ると渡邉氏から。会社に送ってきてはまずいよなと思いながら読むと、ワタミはとっても思いのある会社です、でも今は仕組みが足りない、ついてはこの日から、この年収、このポジションで来て下さいと書いてありました。すかいらーくに不平不満もなくやりたいことがあったのでお断りしましたが、月1回の情報交換は継続しましょうとなり、とうとう10カ月後の10/1にワタミに入社しました。」

「当時のワタミは、私が面接を受けた当時のすかいらーくの空気そのまま。イケイケどんどんで、皆が元気良くて。本部の人は小走りで、来る人来る人に店と同じく、「いらっしゃいませ」と言っていました。すかいらーくと違和感が全くなかった。皆キャリアはないが一所懸命働いて、熱くていいものを持っていた。いい会社だなと思いました。当時のワタミは約40店。」

「入社を決めた理由は2つ。ワタミの経営者は私とほとんど同世代。外食だけなら私   の方がキャリアが上だし、マネジメントの規模も大きかった。ただ、同世代なのに立ち位置が違った。経営者としてものを見るのと、一歩下がって見るのは違う。経験の差ではないと痛感。経営者として見たいと思ったこと。」

「2つ目は、店のキッチンを見てびっくり。すかいらーくの30〜40店の時は既にチェーンストアーとして標準化ができていた。キッチンも整然。ところが、ワタミは目をおおう状況。こんなにいい社員や会社なのに、もしかするとこのまま成長続けたら会社はダメになるのではと思ったこと。」

「今までの20年と比べ、今度は自分の立ち位置を変えてものを見ることを勉強したり、今までに教わってきたことを今度は出していきたい。この会社がなくなったら日本にとってよくないと、9月に決めて10月からお世話になりました。」


キッチンの標準化を始めた

「当時のワタミは個店の延長。標準化が出来てなかった。その中で、45日でメニューを変え、店で仕込んでいた。ファミレスは更地に建てるので、どの店も同じ格好。居酒屋はビルのテナントとして入るので、1店ずつ形が違う。テナント出店だから標準化できないと思っていた。どの店に行ってもキッチンのレイアウトがバラバラ。社員が店を異動したらまたゼロからです。」

「年間20〜30店の出店計画があった。その前に決着を付けなければダメ。標準化なしに店数が増えたら崩壊だと思い、入社と同時にそこから手をつけました。元気だけではやりきれない。標準化が定着するまで1年かかりました。例えば、店長は1週間で何をやっているのか、誰も答えられなかった。赤電話に貯まった10円玉をいつ入金するの?と聞いても、一杯になったらという答えでした。論理的に考えられる店長を選んで、やったことをフセンに書いて月曜日〜日曜日まで壁に貼ってもらった。月に1回だけやっていることも含めて。2週間やると、大体もれが無くなる。月曜日のみの事、火曜日のみの事、毎日やる事などに分ける。同じ作業でも曜日によってかかる時間がバラバラなのにスケジュールにはそれが反映されてない。金・土曜日は店が忙しくて余計なことをやる暇がないのに、他の曜日に回せる仕事が入っていたりする。何分かかるか大体計算して、忙しい金・土曜日の仕事を分散させたりしました。」

「今使っているワークスケジュールが完成しました。名前を入れないで線を引いて、その後に名前をいれていこうと原理原則を徹底しました。でも、当時は無くても良かった。シフト管理も業績が良いから甘くてもできてしまった。」


店舗作業の標準化の後が、集中仕込みセンター

「次に提案したのが集中仕込みセンター。店舗作業の標準化が出来ずに集中仕込みセンターをつくると店の仕事とダブり、全体の効率が上がらない。オープン前の仕込み時間をゼロにしよう、そのために集中仕込みセンターをつくろうという発想でつくりました。各店でパートさんが12〜16時まで仕込んでいた分を集中仕込みセンターに移行しました。当時200店で各店1日4、5人で仕込みをやっていました。ワタミの集中仕込みセンターはセントラルキッチンではなくて、一次加工を行うカミサリーという言い方をしています。店の総人時数を削減するために作りました。ワタミ手づくり厨房です。」

「もう一つは、商品を高品質で安定させるため。衛生面でも劇的に変わりました。これを差別化の最大武器にしていこうと考えました。介護の食事が美味しいと言っていただけるのもこのカミサリーのお陰です。ワタミフードサービスにとって必要だけでなく、グループ全体にとって心臓部となる集中仕込みセンター。高齢者向けの宅配弁当サービス、ワタミタクショクでも使われています。」

「次に関西進出。すかいらーくが大阪に出たのは300店を越えてから。ワタミは関東大震災とか考えると、首都圏だけでは何かあったら会社自体もダメになる。従業員も守れない。早くリスクヘッジをしようと180店から関西に進出しました。あの時に関西に出ていなかったら、ワタミの厳しい時代は長かったかも知れない。首都圏は100店を超えて既存店の伸びが止まってきた。それを支えたのが関西です。そして関西にも集中仕込みセンターをつくった。そして、名古屋、九州にも進出して、日本全国ナショナルチェーンとして本格的に展開できました。」


社長に就任し、介護の待遇改善に取り組む

「渡邉は元々2010年、50歳で次の人に渡して会長になる予定でしたが、今年の2月に突然会長になるから、桑原さん、社長お願いと言われました。カンボジアでの社会貢献活動に時間を使うようです。」

そして、6/20付けで桑原氏は社長に就任し、外食だけでなく、介護、中食、農業などワタミグループを担当するようになった。

「介護のボランティアに行きました。ボランティアは食事のお世話や昼休みにお話を聴かせていただく程度になってしまう。一番楽しい時間だけに関わる。本当に介護をやっているメンバーはそれ以外の人生の苦しみと寄り沿わないといけない。終末期の対応、認知症、徘徊などに対して自分の肉親のように接していかなければいけない。排泄のお世話も含めて。本当に私にこんなことできるのかなと戸惑いました。人としてのやさしさやホスピタリティを持ち合わせていないと出来ない仕事だと思いました。」

「一般的には介護士募集は増加していますが、給料は安い。離職率が高い。夢をもって入っても、去っていく人が多い。それが介護の実情です。ワタミの介護では極力、外食に近いところまで待遇を高めていこうと考えています。人生をかけないとできない仕事なのに待遇が低い。社長となり介護まで守備範囲が広くなり、その分楽しいです。知らないから分かることもある。」

「介護事業での学びは外食事業においても勉強になり、本当の意味でのホスピタリティ。介護ではレクリエーションを毎日企画します。例えば、音楽等の鑑賞会、お寿司をご入居者様の目の前でにぎらせていただく寿司キャラバン。ご入居者様に喜んでもらえることをどんどんホームでやる。どういうことをやれば喜んでもらえるのか、職員が考える。外食と全く同じ。ただ、外食では約2時間喜んでもらえばいいが、介護は24時間です。社員の中で外食から介護へ異動した者もいます。」


ワタミは進化し、和民と坐・和民は大善戦

「私は既存の和民と坐・和民は大善戦だと思っています。今年の2月、ワタミの進化をテーマに全店メニューを変えました。ビールを安くして、自分がお客として和民を使うならこうでありたいと思うことに全面的に変えた。奏功して、4月以降既存店の客数は、ほぼ前年並みに戻ってきました。ここ数年間、日本の外食は客数減を客単価増で補ってきた。今は違います。既存店の売上高は減ってもいい。それより、お客さまを一度戻すこと。だから単価を下げろ。お客さまは直ぐには戻らなかったが、2ヶ月経って確実に戻ってきてくれました。今、既存店の売上高は94〜95%。よくやっています。客単価が5%落ちている。お客さまが戻ってきてくれれば次の打つ手はいくらでもあります。しかしお客さまが減り続けていると、客単価でとっていく以外にないですが。」

「手ごたえを感じています。客単価は半戻し、5%落ちた客単価を2%くらい戻そうとしています。金額では40円強上げたい。但し、値上げで上げるのではなくて、メニューミックス。売れ筋を上手くこちらで変える。今その挑戦が始まっています。9月29日から和民と坐・和民の全店でメニューを改定しました。今期は継続して、品質はさらにブラッシュアップ。その上で客単価は横ばい、という戦略。大幅な新規出店は考えていません。年間5店前後の予定です。不振店のわたみん家への業態転換は今期計画しているものはほぼ終わっています。」

「わたみん家は9月末で約180店。お客さまより好評かをいただいていますので、出店を進めています。今期は10店、来期は40店、その次も40店。まだ行けるでしょう。わたみん家に新店をシフトさせ、駅前の外食はこれでとる。和民と坐・和民は、スクラップ&ビルドを重ねながら、緩やかにいい立地だけ出店。古くなった和民を渋谷道玄坂店のように内装変更でリフレッシュします。秋葉原でも改装したら順調。秋葉原は去年が最も売れましたが、今年はさらに117%で伸びています。環境にも配慮し、LED照明を使った。電灯だけでの電気使用量は95%オフ、全体で35%オフ。CO2を抑えながらコストも削減できます。」


リニューアルした「和民」の店内。


リニューアルした渋谷道玄坂店を紹介するワタミのフリーペーパー「オークン」。<拡大版はこちら>

業態の陳腐化は携わる人間が起こす

「和民のリニューアルが順調です。客層が広がります。メニューも若い人を意識しました。若い人が離れて狭まった間口を広げようとしたら、若い人が戻ってきてくれた。」

「業態が飽きられると、直ぐに寿命の話になります。そうなると、業態への愛着が無くなっているということです。概念が変えられず、成功体験をもっているので、手を加えているつもりがお客さまには分からない。」

「業態寿命は米国のT.G.I.フライデーズでは40年です。寿命10年という方がいますが、それで寿命となるなら、誰も怖くてチェーンを目指せない。チェーンは一番スタンダード で一般の方々に使ってもらうもの。それは寿命が長いに決まっています。カッコイイ、ファッション性の高いものは飽きられる。今、和民は17年。まだ、寿命だなんて思っていません。もっともっとブランドを磨き上げていきます。17年経ち、看板の色を変え、お客さまからの見え方を変えたりしています。でも、大事にしているワタミは絶対に変わらないワタミですよ。」

「お客さまの変化は速い。毎年毎年新しい店がいっぱい出来る。お客さまの方が我々より新しい店を体験しています。我々はお客さまと同じレベルか半歩後かも知れない。だから飽きてしまう。我々はお客さまに対し、常に半歩先の提案をし続けなければいけない。メニューも、店づくりも。」

「業態が寿命を起こすのではなく、我々がそこに対し手を入れきれてないから。業態の陳腐化より、やっている人間が起こす陳腐化の方が大きい。店のメンバーも含めて。時間と共に主客層が変わります。15年経つと、当時の主客層も一緒に年をとりました。ワタミの主客層は20代、30代、40代だったのが、今は40、50代。もう一度、ターゲットを20代、30代に戻そうと考えています。お客さまが喜んでくれる店づくり、商品、サービスをもう一度やり直そう。既存業態に対しいつもこれらを注意しながらつくっていきます。」

「若い女性が減ってきたが、今の和民は女性のお客さまが少し増えてきました。一番は商品。リニューアル店はプラス内装も。秋葉原に出店したゴハンは順調で手ごたえがあります。お客さまの評価が非常に高い。女性客7割。でも、和民は7割になってはダメ。5割に抑える。これを超えると店数が出来なくなる。ゴハンは長い業態ではないかも知れません。ゴハンこそもっとブラッシュアップしていかないと飽きられるのが早い。最終100店です。」

「和民は若い女性が普通使いしてもらえる店にしたい。T.G.I.フライデーズやゴハンは構える店。ワタミの国内店舗は約600店ある。それがいつも元気でいられ、お客さまが常に来てくれる。「20歳になったらワタミに行こう」となって欲しい。店、内装、商品、サービスでブラッシュアップし続けます。」

 業態はたゆまず磨きをかければ、寿命は長いと語る桑原氏。企業側の愛着がなくなるから、との指摘は的を得ているように思う。次々と作ってはリセットしていく今の外食業界の風潮に警笛をならしている。ワタミにとっても100年企業を目指し、お客に長く愛されるワタミブランドを構築し続けることだろう。



■桑原 豊(くわばら ゆたか)
ワタミ株式会社 代表取締役社長COO兼 ワタミフードサービス株式会社 代表取締役社長COO。1958年生まれ。東京都出身。78年、株式会社すかいらーく入社。83年、株式会社藍屋入社。98年、ワタミフードサービス株式会社(現在のワタミ株式会社)入社。99年、常務取締役営業本部長就任。2004年、ワタミダイレクトフランチャイズシステムズ株式会社 代表取締役社長COO就任。09年4月、現職就任。

ワタミ株式会社

【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2009年9月25日取材