・山深い静かな稲庭の里に行列必至の人気うどん店があった
つるっとした舌触りや喉越し、弾力ある純白な麺が全国のうどんファンを魅了する稲庭うどん。秋田県南部の湯沢市内の山間にある、稲庭町の特産品だ。
2008年10月にオープンした、稲庭うどんの老舗佐藤養助商店「佐藤養助総本店」は、秋田県湯沢市稲庭町にある、稲庭うどんの新しい発信基地だ。
国道398号線沿いに立つ、七代佐藤養助の大きな看板。
賑わう佐藤養助総本店。
佐藤養助総本店外観。2階は本社事務所となっている。
稲庭うどんが食せるお食事処、うどん職人の見事な技が見られる工場見学コーナー、秋田の名産品がそろう特産品販売コーナー、秋田の観光案内コーナーを備え、稲庭うどんのみならず秋田の情報発信と物産販売をも手掛けている。このような施設を私企業がつくること自体が珍しく、郷土の味を伝承しつつ、地域の代表として多くの人にアピールしていこうという、佐藤養助商店の意気込みが伝わってくる。
稲庭町は湯沢市街から東南へ約10km、横手市街から南へ約15kmの奥羽山脈の山中にあり、雄物川の支流である皆瀬川に沿って走る国道398号線が、町内を縦貫している。栗駒山に近く、南は宮城県、東は岩手県の県境にも近い。冬は豪雪に閉ざされる、秋田県でも辺境と言ってよいような場所だ。
しかし、地理的に見れば東北地方のちょうど真ん中あたりに位置し、車を交通手段として使えば、秋田市、仙台市、盛岡市、山形市といった秋田、宮城、岩手、山形4県の県都からそれぞれ100km以内にあって、雪さえなければ日帰り旅行にはちょうど良いくらいの距離感である。
また、休日の高速道路を通行するETC車の料金を、上限1000円にする割引が今春から施行され、関東や北海道からも訪れやすくなった。
そうした条件を追い風に、ゴールデンウィーク、お盆、シルバーウィークなどには、1日に500人〜600人がうどんを食しに来るほどの人気ぶりだ。静かな山里にあって、「佐藤養助総本店」の前にだけ行列ができている。1時間待ち、2時間待ちもざらだ。
お食事処入口。
佐藤養助総本店お食事処店内。
工場見学できる。
佐藤養助総本店の工場見学では生地に触れられる。
・佐竹藩の献上品から高品質で全国ブランドへと上り詰める
この店だけではさばき切れず、すぐ近くにある普段は閉じていて、小中学生のうどん作りの体験学習用などに今は使っている、旧「佐藤養助本店」を臨時に開店しているほどだ。それでも行列が途切れない。
今は普段は閉じている佐藤養助本店。シルバーウィークには、こちらも開けたが行列が途切れない。
佐藤養助本店店内。総本店との違いはお座敷があること。
ちょうど08年6月14日の岩手・宮城内陸地震で被災した国道398号線などが未だ全通してない状況で、こんなにも賑っている。迂回路を通ってでも来るのだろう。
これほどまでに「佐藤養助総本店」が人気なのは、讃岐うどんに始まるうどんブームが起こり、さらに郷土料理がブームになっても、稲庭の里で稲庭うどんが食べられる店が他にないからだ。もっと南の皆瀬ダムの茶屋や、国道398号線の稲庭町から出て北側にある食堂、稲庭うどん専門店でも、稲庭うどんは食べられるが、それらを合わせても4店程しかない。しかも製造元が出している店は佐藤養助商店だけなので、独り勝ちになっている。
お食事処では栗駒特産のなめこが入った、温かいつゆの「なめこうどん」を「舞茸ごはん」とのセット(1380円)でいただいたが、関西風のとても上品な味のうどんだ。出汁が適度にきいた薄口のつゆが、滑らかでコシのあるうどんによく合う。湯沢は酒どころなので、メニューに地酒も置いていた。席数は約60席。
なめこうどんと舞茸ごはんのセット 1380円。
同社佐藤常務によれば「つゆの味は、秋田の味ではないんです。稲庭うどんにはこのような味が合うと思って提供しています」とのこと。
江戸時代後期、万延元年(1860)創業の同社は、秋田の佐竹藩への献上品、明治になってからも宮内省御用達として皇室に納めてきた実績がある。
元々は身分の高い人が食べる特別なうどんで、今も百貨店で贈答品として置かれている。だから、濃くて甘い秋田の味とは異なった、関西風の味付けをして成功している。
七代佐藤養助会長は、平成16年厚生労働大臣表彰「現代の名工」受賞。
・蔵の町・増田町に老舗佐藤養助の歴史を展示する資料館
稲庭うどんのファンが、稲庭の「佐藤養助総本店」と共にセットで訪れることが多いのが、湯沢市の北隣、横手市南部の増田町にある「佐藤養助漆蔵資料館」。
増田町には鉄道の駅がなく、今でこそ鄙びた印象があるが、かつては秋田と岩手の県境にある交通の要衝であって、米づくりやりんご栽培も盛んな土地で、地域の物資の集散地として栄えた。今も2・5・9の付く日には朝市が立つ。北都銀行の前身である増田銀行発祥の地でもある。増田町の特徴は、外観からは想像できないような大きな内蔵を備えた豪商の家が多いことで、町内に40棟以上あると言われる。
漆蔵資料館。
国の登録有形文化財である。
「佐藤養助漆蔵資料館」はそうした内蔵を増田町内で常時一般公開している唯一のもので、まちおこしの観光需要創出の視点からも貴重な施設である。平成19年12月に国の登録有形文化財に指定された。
2001年に旧商家で大地主の旧家の蔵を改装して、稲庭うどん350年と佐藤養助商店150年の歴史を振り返る資料館となっている。入館料は無料で、お食事処、喫茶、稲庭うどんの販売コーナーを備えている。
内蔵の床も壁も天井も、木造部分のほとんどが漆で塗られた非常にぜいたくな建物で、天井も高く、蔵というよりも屋敷のようである。内蔵は大正10年に完成し、母屋を店舗にするため若干改装している。
漆蔵資料館 内蔵の中は総漆塗り。
漆蔵資料館廊下。
漆蔵資料館 おみやげの干饂飩を販売。
佐藤養助ギフト商品。3000〜4000円が人気。
直営店限定のお徳用袋詰。
佐藤養助めんつゆ。
漆の背景として、増田町の南、湯沢市稲庭町との間にある湯沢市川連町は漆器の産地で、佐藤養助商店の展開する各店の器にも、川連町の漆器が採用されている。
川連町の漆器も販売。
1階と2階に展示されている資料では、文豪・谷崎潤一郎の現金書留による注文書、明治の政治家で日本赤十字創設者・佐野常民が宮内省に推薦した際に明治維新の元勲・岩倉具視の次男具定に送った書簡など、同社の歴史が垣間見えて興味深い。
創業当時、江戸末期の大福帳。
文豪谷崎潤一郎の注文書。
日本赤十字を創設した佐野常民。佐藤養助を宮内省に紹介する仲介に立った。
・総漆塗りのぜいたくな空間で食事、喫茶、買物が楽しめる
稲庭うどんは寛文5年(1665)に干饂飩の製法が確立され、一子相伝、門外不出とされてきたが、一子相伝の技が途絶えることを恐れた稲庭(佐藤)吉左エ門によって、二代目佐藤養助にも伝授されて、佐藤養助商店が創業された。当時はごく少量が生産された家内工業の高級品であった。
現在のように庶民の贈答品として普及したのは戦後のことで、今は推定80社のメーカーがあり、秋田県稲庭うどん協同組合に加入するのは19社である。
佐藤養助商店では20年ほど前より、稲庭うどんの味を正確に伝えたいとの思いで、直営店をオープン。現在は、秋田県内に7店、東京・銀座と福岡・天神に各1店と計9店を展開しており、直営店では食べ方の提案を行ってきた。
その一環として、「佐藤養助漆蔵資料館」内のお食事処「養心庵」では、創作会席(前日までに要予約)やしゃぶしゃぶのコース(鹿児島県産黒豚3500円、秋田県産錦牛5000円)にもチャレンジしている。
漆蔵資料館 養心庵。
漆蔵資料館 養心庵店内
人気メニューは、つけ麺と温麺の「味くらべ」(1100円)、しょうゆとごまの2つのつゆに天ぷらが付く「二味天せいろ」(1550円)などとなっている。
つけ麺と温麺の「味くらべ」 1100円。
「養助商店の直営店を食べ歩いて下さるお客様は多いですよ。秋田で召し上がった東京のお客様が、銀座の店に行って下さったり、その逆もあったりです。県外のお客さんも多いですね」と同館統括の小松和利氏。
奥の喫茶「蔵」では、オーガニックコーヒーなどが楽しめ、水は北上山地大仁田山の鍾乳洞の湧水を使っており、まろやかな味わいがある。
漆蔵資料館喫茶蔵1階
国の登録有形文化財を見学しながら、ぜいたくな時間を過ごせ、食事もできる人気スポットだ。
・製法は厳格な伝承技術だが、食べ方は全く自由なのが魅力
さて稲庭町を歩いていて感じるのは、一見人影もほとんど見ない山間の何の変哲もない日本の田舎であるということだ。
増田町も鄙びているのだが、さらに寂しく食品や日用品を買う目ぼしい商店や住民が集う飲食店も国道398号線沿いにあまりないような感じであった。著名なお寺や神社、名所旧跡も町内には確認できない。そのような場所に、稲庭うどんの工場や倉庫が点在している。また、その外観が旧家然としていて立派なものが多い。
蔵の町・増田町の街並み。
普段は静かな増田町朝市通り。
工場で直売している干しうどんのショーケースを見ていると、うどんの里を訪問したという実感がこみ上げてくる。
稲庭うどんのメーカーが直営の飲食店を出しているのは、佐藤養助商店だけではないのだが、多くは県都の秋田市にある。秋田市は約50万人の商圏人口を持ち、05年に湯沢市と合併する前の稲庭町の属していた旧稲川町約1万人とは、人口、産業の規模が違いすぎる。
稲庭の里。国道398号線より1本入るとこのような谷あいの村の風景が広がっている。
稲庭古来うどん本社工場。
稲庭手延うどん本社工場。
稲庭寶来うどん工場。
寛文五年堂稲庭本社。
地元の人に聞くと、稲庭うどんはごちそうで、たまに食卓に上るが、讃岐うどんのように毎日食べるものではないそうだ。地元では、袋詰にされた製造の過程で生じた折れ麺を買って食べるそうだ。
稲庭町に稲庭うどんを食べられる店が「佐藤養助総本店」しかない理由は、11月から3月までの冬の期間、豪雪のため営業しても人が来ないこともあるが、稲庭うどんに食べる文化がなかったためでもあるようだ。
秋田県立図書館に問い合わせたところ、稲庭うどんが佐竹藩に献上されていた記録はあっても、藩の武家たちがどのように食べていたのか、文献は全くないそうだ。逆に言えば、稲庭うどんのレシピはどのようにでも創造できて、全く自由ということにもなる。
稲庭うどんの製造は、小麦、水、塩しか使わず、一般の素麺のように油も使わない。小麦を練って熟成させ、切って2本の棒にあやがけしながら綯う作業を行う。さらに平らにつぶして木箱に吊るして熟成させ、延ばし、乾燥させて選別をする。この間3日、検査や梱包も含めると4日も掛かり、かつ各過程で非常に難しい技の習得が必要だ。特に乾燥は20年ほどの修業を経ないと、一人前になれないという厳しい世界である。
練る、小巻の製造工程。小麦はオーストラリア産を使っている。
練った小麦粉をうどんに切る工程。常時工場見学できることで、若者の職人志望者が増える切っ掛けになるか。
毎年職人を定期的に採用して育てている。現場で失敗しながら育てるしかないという。
綯う工程のサンプル。手作業で綾取りのように2本の棒に絡ませていく。
綾掛けしたうどんを平らにつぶし、均等に延ばして乾燥させる。
たいへん厳格な伝統芸の取得が製造には必要なのに対して、おいしい戻し方のルールはあっても、レシピには古い伝統がなく自由な食べ方が許されるのが稲庭うどんの面白さだ。
佐藤養助商店でも、横手市の「漆蔵資料館」などでうどん会席、秋田市の「大町 佐藤養助」ではうどん創作料理、東京の「銀座 佐藤養助」では秋田郷土料理と、コンセプトを変えて多彩な稲庭うどんの食べ方を提案している。
創作料理ではカレーうどんをはじめ、稲庭うどんを使った生春巻き、トマトソースを使った稲庭パスタのような、既成概念を打ち破ったような料理も出している。また、秋田郷土料理ではきりたんぽ鍋の締めに、稲庭うどんを潜らせて食べる。
稲庭うどんには正統な製造法は厳格にあるのに対して、正統な食べ方が存在していない。それゆえ極上の伝統的な食材を使って自由な発想の料理が創作できるのが、最大の魅力なのである。
・珍しい生の稲庭うどんが食せる貴重な店、銀座の寛文五年堂
郷土料理ブームの中で、稲庭うどんが食べられる店は、銀座を中心に東京で拡大している。
エイチワイシステムが04年3月にオープンした秋田郷土料理店「なまはげ」がきっかけとなり、同社は秋田郷土料理店を4店展開している。06年にはエイチワイシステムの業務委託で、「銀座 佐藤養助」もオープンした。これらの店では、佐藤養助商店のうどんが食べられる。
佐藤養助銀座店。
一方、幻のうどんと言われる稲庭うどんを創始した稲庭家「稲庭吉左衛門」のうどんは、秋田市に本社があるドリームリンクという会社が、新橋で昨年2月よりFC展開している「秋田川反漁屋酒場」で、食することができる。
ほかに、稲庭で製麺している店として、新橋駅前第一ビル2階には07年に地階から移転して、リニューアルオープンした「七蔵」もある。
そうした中で26年前より、メーカーとして直営店を銀座に最も早く出して、稲庭うどんの普及に努めてきたのが「寛文五年堂」だ。
銀座寛文五年堂外観。稲庭うどんのメーカーでは最も早く東京に直営店を出した。
銀座寛文五年堂の店内。
寛文五年堂のギフト商品群。高級品でもあり、全般に稲庭うどんも不況で、乾麺の売上は頭打ちとのこと。
席数は72席。秋田県仙北市旧西木村のバルバリー種の鴨を使った鴨なべのコース(6500円〜)、うどんすきのコース(5250円〜)、秋田三梨牛を使用したしゃぶしゃぶのコース(6500円〜)もある。
ランチは1050円からあり、天丼やシーフードカレーとうどんのセットなどが、リーズナブルに楽しめる。
うどんは、冷たいざるうどん(1000円)、生ざるうどん(1100円)、温かいかけうどん(900円)など。「二種三味うどん」は、ざる、生ざるを醤油・梅・ごまの3つのたれで頂ける。
「二種三味うどん」は、ざる、生ざるを醤油・梅・ごまの3つのたれで味わう(1500円)。稲庭うどんの製法、戻し方にルールは厳然とあっても、食べ方にはルールはない。
秋田でも珍しい生のうどんが食べられるのがこの店の特徴だ。乾麺との食感の違いが楽しめる。おみやげの乾麺も、「モンドセレクション」11年連続最高金賞受賞中で、品質の高さは折り紙付きだ。秋田市内のキャッスルホテルにも、同様な直営店がある。
顧客は年配の人や場所柄クラブの関係者が多いそうだ。つゆはやはり関西風の味付けだ。
「稲庭うどんは世界で一番高い麺だと聞きますし、ご贈答の需要はバブルの時期に比べれば落ちています。ウチは特に秋田料理という打ち出し方はしていませんが、比内鶏を使ったりと、秋田の食材は随所に使っています」と同店の高橋洋行社長。
最近の稲庭うどんを出す飲食店が増えている背景には、不況による乾麺需要の落ち込みもあるようだ。実際に店に来て食べてもらってファンを増やし、干しうどんの購買を増やしたいというメーカーの思惑がある。
・新名物が続々生まれる秋田の麺文化、次は十文字ラーメンか
銀座の寛文五年堂の高橋社長は横手市南部十文字町の出身。横手高校OBなので、横手、湯沢あたりの食の事情に詳しい。
高橋社長の子供の頃は、稲庭うどんは折れ麺をたまに食べる程度。横手やきそばの店も元祖とされる「元祖神谷焼きそば屋」などほんの数店あるくらいで、横手が今のようなやきそばの町として「B1グランプリ」を開催して優勝するまでになるとは、考えもつかなかったという。要は、稲庭うどんも、横手やきそばも、最近20〜30年で郷土料理として台頭してきた。
B-1グランプリの地元開催で優勝した横手やきそばブース。本格的に横手で広がったのは平成になってからだ。郷土料理としての歴史は、意外に新しい。
当時横手では、むしろかん水を使わない麺を使った懐かしい味のする十文字町のラーメン、十文字ラーメンのほうがメジャーな存在だったという。名店と言われるのは「マルタマ食堂」、「丸竹食堂」、「三角そばや」の3店で今もしのぎを削っている。また、横手市内「秋田ふるさと村」の「林泉堂」でも十文字ラーメンを出している。麺に特徴のあるラーメンだけに、十文字ラーメンはこれから面白い存在になる気がする。
林泉堂の十文字ラーメン。
このように、郷土料理というものは、決して古来からあったものばかりでなく、誰か地域に合った味を創造する店主がいて、その味を模倣する者が増えて郷土の味として認知されていくものも多いのだろう。秋田県内では男鹿市でハタハタの魚醤、しょっつるを使った男鹿焼きそばが考案され、新名物として普及させようとする動きもある。
男鹿市はしょっつるで炒めた焼きそばを新開発し、名物として売り込もうとしている。
そうした秋田の麺文化形成において、全国に通用する強いブランド力を持つ稲庭うどんは、牽引車的な役割を果たしている。それを象徴するものが、「佐藤養助総本店」であり「漆蔵資料館」だと言えるだろう。
【取材・執筆】 長浜 淳之介(ながはま じゅんのすけ) 2009年10月16日執筆