・大将、大嶋啓介との出会い
吉田氏は小学生の時に見たテレビドラマ「スクールウォーズ」が忘れられなかった。先生にあこがれ、体育教師になろうと日本体育大学に進む。大学時時代にアルバイトした個人経営の寿司屋で人生経験も教えられ、飲食店でも人を教え成長させることができることを知った。しかも、小学生からお菓子作りを始めるなど、料理も好きなのだそうだ。
新卒でサントリー系の外食企業ダイナックに入社。「ダイニングバー膳丸」大宮店の立ち上げ店長として素晴らしい成績を残した。
「店長代理で入って、半年後に店長になりました。年間で利益4〜5千万円を出して会社でも注目されたんです。僕はこういう性格なんで、本社行く時はドアを開けて直ぐバカデカイ声で、おはようございます。社長、事業部長、課長とまわって、おはようございます。本社にはたまにしか行けないので、行った時にはアピールしました」と、元気者の吉田氏。
「その時に上司から『飯場』という面白い店あるぞ。朝礼やってるぞと聞きました。当時、僕も朝礼やってて、どんな朝礼やってんだろうと店に行って、大嶋に出会いました。」
「朝礼に参加して、おもいっきり夢を語った。その後、大嶋さんの夢を聞かせて下さい。彼の夢はスケールがデカかった。僕は膳丸大宮店を地域一番店にするために勉強に来ました。将来、独立開業してやるんだと話したら、大将(大嶋)は飯場を日本一にすると言った。凄いな、この人は。年は2つくらいしか違わないのに凄いなと思ったんです。」
「絶好調てっぺん」新宿店(東京・新宿) 店内。
新宿店の入るビルには大きな看板が架かる。
「絶好調てっぺん」名物、絶好調つくね 780円。
・「てっぺん」自由が丘店オープン
「大将が2004年1月、僕が10月に独立する予定でした。自分が店を出す前に大将の店で働いたらいいな、しかも社員でやって店長経験をした方がいいと思い、ダイナックを辞めて、てっぺんの社員になりました。」
ダイナックでは尊敬できる上司に出会えなかったのも一因。
「膳丸のスタッフを連れて飯場に行ったんです、こんなミーティングしても何の意味もないから、凄い朝礼をやってる店を見つけたんで皆で行きましょうと、皆を連れて行きました。皆の反応は凄いけどね?という感じ。あの朝礼は特殊なので合う合わないはあります。でも、やっぱり俺は大嶋さん側。大将と働いた方が絶対俺は成長するなと思いました。」
2004年1月19日、「てっぺん」自由が丘店がオープン。しかし、大嶋氏は居酒屋甲子園の活動にのめり込み、現場に出たのは3ヶ月間だけ。6/1から吉田氏が店長となった。
「大将の好きにやってください。外食は僕がやりますからと言いました。」
・サービスの神様のリコグニションに驚いた
”サービスの神様”と言われる新川義弘氏(元グローバルダイニング副社長、現ヒュージ社長)も吉田氏と同じくダイナック出身。
「ダイナックに勤めていた頃、グローバルダイニングの新店『ダンシングモンキー』に行った際に新川さんと廊下でバッタリ会いました。新川さんの事は一方的に雑誌で見て知っていたので、出会った瞬間に、新川さんですよね。僕はダイナックで働いてるんです。名刺交換させて下さい。近づくと、俺も元ダイナックだよと言われ、1〜2分立ち話をしました。」
「その新川さんが『てっぺん』に来てくれたんです。アーと思って、新川さんですよね。実は僕1回だけ新川さんとお会いしたことがあるんですよ。新川さんは、アー思い出した。君はダイナックのやつだな。『ダンシングモンキー』であったな。初めて会ってから2〜3年後ですよ。この人のリコグニションは半端じゃないなと驚きました。」
「そこのテーブルを僕が担当しました。思いっきり『てっぺん』らしい接客をしたら、新川さんが翌日に10m位の長いファックスを全店に送ったらしいですよね。グローバルダイニングの創業時の熱いものがあの店にあるからお前ら全員行け、です。そこからグローバルダイニングの人がバンバン来ました。その内、『てっぺん』に入社する人も現れたんです。」
「実は、就職活動の時にグローバルダイニングを始めて知りました。興味があったんでアルバイトもしました。でも、ついていけなかった。やり方が合わなかった。大器晩成型の人もいるだろうに、はじかれちゃう。僕のやり方で、お店を作ろうという気が芽生えました。」
・敢えて「てっぺん」屋号で独立
吉田氏がてっぺんで働いたのは3年半。
「ダイナックの良いところは大箱を学べたこと。『てっぺん』では、創業者がゼロから立ち上げるとこを見ていい経験になりました。元気な朝礼、バースデー、元気の良さとか、『てっぺん』に行かないと身に付かなかった。」
2007年6月に絶好調を設立。11/11に1号店「絶好調てっぺん」を開店させた。
「最初は『てっぺん』の屋号を使いたくなかった。自分の力でやりたかったんです。大将も、全く付けなくていいと話してました。でも独立ちょっと前に大将と話した時、本音は付けてもらいたい。創業から一緒にやってきた吉田には看板をてっぺんの背負ってもらいたい、と言われました。その一言で決めました。では、てっぺんを店名に付けますと即答。今の自分があるのは大将や『てっぺん』のお陰です。『てっぺん』より、てっぺんらしい店を作ろう。それが恩返しになると思い敢えて付けました。」
2、3号店では「てっぺん」を使わなかったが、4号店で再度「絶好調てっぺん」と使った。
「『てっぺん』と使うのは1号店だけのつもりでした。これからは『魚串炙縁』で行こうと思っていました。いつまでたっても『てっぺん』じゃ、いつまでも2番手。独立して1年位、オーナーにもかかわらずお客様から店長と呼ばれました。色々考えた時に、こんなことに気にしていたら小さいなと気付きました。僕は多店舗展開していきますし、いずれ『てっぺん』のじゃなくて、絶好調の吉田となっていく。そこに固執するべきじゃない。今も色々言われます。下北沢にはてっぺんの雰囲気が最も差別化でき、認知度も高い『てっぺん』を敢えて使いました。」
「魚串 炙縁」(東京・池袋) 店内。
「魚串 炙縁」名物、炙師のおすすめ五本 980円。
「炙縁」(東京・千駄ヶ谷) 店内。
「炙縁」名物、つぼ鯛 780円。
・お客様と従業員の幸せのために拡大路線
「より多くの人を幸せにしたい。1店しかないと、来てもらえるお客様も限られる。雇える従業員も限られる。ウチの店に来てくれた人は元気になったり、夢や感謝が持てたり、従業員も成長し幸せになったり、というのが僕は大好きなんです。僕は現場に立つプレーヤーよりも監督の方が好きです。沢山出店して、より多くのお客さんにウチの理念を届けた。」
吉田氏は、2027年に売上高100億円、経常利益5億円、90店舗、社員数300人という夢を公言している。
「目指すには、経営者としてはゼットン稲本さん。ビジネスモデルはAPカンパニーさん。 勢いはエムグラントフードサービスさん、サブライムさん。皆さんのいいところを吸収したい。」
「立ち上時に見ていた景色よりいい感じです。4店舗の展開出来たし、いい人財も揃いました。創業社員メンバーが7人いて、2年後に全員店長にするのを前提で出店しています。今は4店で社員13人。店を増やすために、多少だぶついても社員を採用しています。」
「魚串炙縁」をまずは出店していきたいという。魚串は、先行するアントレスト「魚串 さくらさく」も好調だ。それに加えて、90店にするには他業態の開発も手掛ける必要がある。また、不景気で1号店「絶好調てっぺん」の収益力も弱まった。まずは、絶好調という企業の、他社と差別化できるコンセプトを見つけ出すことが必要だ。元気だけでは「てっぺん」を乗り越えられない。これから、吉田氏の創業からステップアップした第2段目の試行錯誤が始まる。
「絶好調てっぺん」下北沢店(東京・下北沢) 店内。
「絶好調てっぺん」下北沢店名物、豚のスタミナ煙焼き 580円。
「絶好調てっぺん」下北沢店も魚串を出す。
■吉田 将紀(よしだ まさのり)
株式会社 絶好調 代表取締役。1976年生まれ。茨城県出身。日本体育大学卒業後、株式会社ダイナックに入社。2004年、有限会社てっぺんの創業メンバーとして、てっぺん自由が丘店長、初代てっぺん総店長を務める。07年、独立し絶好調を設立。
→株式会社 絶好調