・「酔虎伝」FCで独立、ベスト5へ
赤澤氏は、不動産業を営む父親の三男坊として育ち、小さいころから飲食業にあこがれていた。調理師専門学校を卒業し、上野の割烹料理店で板前修業をするも昔ながらの業界の慣習に合わず2ヶ月で辞めた。
「先輩から下駄で叩かれたことに反抗して、飛び出しました。厳しい両親からは勘当され、長兄から貰った10万円を手に、知人がいた名古屋に向かいました。熱田区の中央卸売市場で朝4時から働き、夕方には錦の飲食店で珍味を売り歩きました。そんな生活を1年近く続けていたら、勘当されたはずの父から電報が届いたんです。南柏のビルを買って、1階の酔虎伝の経営権も引き継いだので、お前やれと言われました」と赤澤氏は語る。当時、21歳だった。
スタッフを総入れ替えし、1年後にはマルシェFC加盟店の中で売上高伸び率がベスト5に輝いた。買収時に月商600万円だったのを、1000万円以上に引き上げた。現在、常務取締役の柴田賢一氏は、当初のアルバイトで採用され、赤澤氏と会社をずっと育ててきた。
「チェーン店ですが、最低限のもの以外は市場から仕入れて、本日のお勧めとして売りました。FCとしては絶対にダメですが、独自業態を立ち上げるつもりだったので気にしませんでした。アルバイトも経営者の私も20歳そこそこだったので失敗もしましたが、勢いがありました。燃える集団でした。今もそうです。」
「私みたいな加盟店がいると困るので、FCで店舗を広げる気持ちになれないです(笑)。本部の看板で商売をすると、業績が良い時は加盟店ともウィンウィンの関係。でも、いざ売上が落ちると本部が支援する訳ですが、出来る部分と出来ない部分があります。私には本部の責任が取れません。業界柄、食中毒の問題も出てきます。同じ波動を持つFCの方ができればいいですが、難しい。」
泳ぎ活イカ 2,480円。
・総合居酒屋「とに火久」で不況に会う
2002年2月にオリジナル業態「ほっこりだいにんぐ とに火久(とにかく)」を柏駅前にオープンさせた。創作和食を売りとする、いわゆる総合居酒屋。1990年代に首都圏で人気となった「和民」が近畿や九州に進出しはじめた頃だ。総合居酒屋のブームに乗って、洋伸も出店を重ねた。
02年10月に津田沼、04年2月に新松戸、04年8月に船橋、05年5月に松戸、05年7月に南柏(酔虎伝を改装)、08年1月に稲毛と出店し、7店体制となった。
「去年(08年)の春先から売上が厳しくなってきました。前年割れが続きました。そして、追い打ちをかけたのが去年9月のリーマン・ショック。法人客が激減しました。宴会比率4割だったので余計に厳しかった。居酒屋で何でもありますは今までは良かった。今は、とんかつなら何々、ステーキだったら何々とか専門店が人気なことに気付きました。総合スーパーも専門店にやられています。」
・まずは、鮮魚居酒屋
「今年4月から鮮魚専門にしようと決めました。築地だけで魚を集めていましたが、それだけじゃおもしろくない。産直ルートを開拓しようと。当時、刺身もありましたが、メニューの一部に過ぎず扱い量が少なかった。独自ルートで産直卸も行っている吉川屋さんと出会い、そちらから仕入れを始めました。」
そして、09年4月に「魚ざんまい 魚三郎 新松戸直売所」をオープン。新松戸の「とに火久」を改装した。
「台風や海がしけったり、魚が仕入れられない日もあったんで、自分達で独自に仕入れルートも開拓しました。築地も助かります。日本中から集まってくるので、どんな日でも魚が仕入れられる。また、セリで残ったものをスポットで安く仕入れ、“本日の朝獲れ鮮魚”として安く提供し、その日のうちに売り切ってしまいます。」
これが当たり、09年6月に津田沼を「魚問屋 魚一商店 津田沼直売所」に変え、7月には松戸を「同 松戸直売所」に変えた。
本日の朝獲れ鮮魚
テーブルを回って売り切る。
・泳ぎ活イカ関東最安値2480円
「子供の頃からの友人に、九州で活イカを名物とするチェーンの社長を7月に紹介していただきました。これはイケると思ったので、活イカのノウハウを伝授していただこうとお願いしました。仕入れに同行させてもらったり、スタッフを研修に行かせてもらいました。」
イカはデリケートなので、いけすで死んでしまうことも多いという。死んでも天ぷらなどに使えるが、活きているのと死んでいるのとでは価値が10倍違う。いけすで活かし続けることが難しい。例えば、墨を吐いたイカはすぐに取り上げないと他のイカが死んでしまう。スルメイカは喧嘩をし噛み合って団子状になり、放っておくと全て死んでしまうという。ノウハウで、ロスを少なくすることが出来るのが同社だ。
「当社のスタッフは出勤するとまず、わが子をみるようにイカを見ます。閉店後は電気をつけたまま帰ります。刺激がだめなんです。先日停電した時、イカは大暴れしました。あわててブレーカー上げて、事なきを得ました。」
このようなロスを少なくするノウハウによって、安く提供できる自信を持った。
「現在、九州では泳ぎ活イカ1パイ2千円で売られていますが、東京では安くても3〜4千円。東京の人は活イカの美味さを知っている人は少なく、活きたイカが透明であることも知りません。丸焼きくらいしか知らないので、3〜4千円でもなかなか売れません。オーダーしやすい価格設定にし、泳ぎ活イカの素晴らしさを一人でも多くのお客様に知ってもらいたいが故に、関東最安値の2480円に値付けました。」
泳ぎ活イカを名物にして、09年9月に「お魚天国 魚まる屋 船橋直売所」、同10月に「魚一商店 南柏総本山」、同11月に「魚七鮮魚店 稲毛直売所」と既存の「とに火久」を立続けに改装してオープンさせた。
活イカは管理が難しい。
泳ぎ活イカ メニュー。
・3組に1組が泳ぎ活イカを注文
「オープン時は1日に30〜40杯売れます。平日で15杯、週末は25〜30杯。目標は組数の50%です。現状は30%。目標達成のためには、1度食べてもらうことです。一度食べるとリピーターになってくれます。」
「お客様にはオーダーをいただくと、イカを最優先で5分以内に提供します。イカが本当は透明なんだと驚かれます。ゲソにレモンを搾るとイカが踊るんです。喜んでいただけますよ。土日は親子3世代で活イカを楽しみに来てくれます。」
同店の客単価は3500円。お客2人で食べると高くついてしまう。そこで、「浜焼き 原価提供!売り切れ御免!!」として、活殻付ホタテ190円、特大白ハマグリ280円。また、あら煮180円と安いメニューも用意し、意図的に客単価が上がらないようにしている。気軽に来てもらえることを心がけている。
原価率は32〜3%に抑えている。築地だけから鮮魚を仕入れていたら、恐らく36〜7%になるそうだ。売れ残りは180円のあら煮となったりするが、売り切ることを徹底しロスを出さないことが秘訣。
鮮魚専門居酒屋3店にも、いけすを設けて泳ぎ活イカを提供しようと計画している。鮮魚専門にして月商500万円の店が1200万円に上がったという。さらに泳ぎ活イカを扱うと、100万円を加算できると予想している。
トイレでも、泳ぎ活イカの魅力をアピール。
・関東に泳ぎ活イカを広めるのが使命
既存の7店は、「とに火久」1号店を残して、3店は鮮魚専門居酒屋に、3店は泳ぎ活イカ専門居酒屋に転換を終え、鮮魚専門居酒屋3店にも泳ぎ活イカ用いけすを設置する。そして、来年から新店を出し、攻撃に出る計画だ。
「今は常磐線・総武線沿線ですが、少しずつ東京の方に上って行きたい。上野や錦糸町が狙いです。30坪くらいの小さい店でいいんです。ただし、路面店でやりたい。」
屋号に統一性がない理由を聞いた。
「魚三郎は、私が三男だから(笑)。魚一商店は、いちばんいい魚を売ろう。魚まる屋は、進化してイカまでやる。南柏総本山は、創業の地なんで。魚七鮮魚店は、7店舗目。屋号にルールはありません。メニューはほとんど同じ。でも、屋号を変えるのは面白いかな。屋号は何でもいい。大事ですが、名前負けしたくない。できるだけ安くお客様に提供できればいいです。」
赤澤氏は使命を、泳ぎ活イカを九州の外食企業に教えてもらったことに感謝を込めて、関東で泳ぎ活イカを広めることと定めた。12月の宴会メニューでは3480円コースから泳ぎ活イカを付け、より多くの人に一度食べてもらおうとしている。
問題は活イカの仕入れ。独自の仕入れルートの開拓も始めた。イカ以外の漁を行っている漁港に、イカ漁を勧める活動にも着手している。活イカで店舗まで持って来るには、1本釣りで釣ってもらわねばならず、手間がかかるのが現状だ。
「まずは関東で一番泳ぎ活イカを取う外食企業になりたい。競合がどんどん出てきてもかまいません。それだけ、活イカが知られる訳ですから。でも、ウチほど安く提供できるところはなんじゃないですか」と自信を見せる。
「店を作ってくれるチームがいいんです。デザインはファルコデザインの渋谷先生、内装は宮川建設工業の稲川社長、鮮魚卸は吉川屋の吉川社長。みんな30代で前向きで、情熱があります。このメンバーで泳ぎ活イカを関東に広めて行きます」と、赤澤氏は不況をチャンスに変えた最強のチームへの感謝を忘れない。
同社のクレド。
■赤澤 伸(あかざわ しん)
株式会社 洋伸 代表取締役。1972年生まれ。千葉県松戸市出身。1993年、洋伸を設立。現在、総合居酒屋「とに火久」1店、鮮魚居酒屋3店、活イカ居酒屋3店の計7店を運営。
→株式会社 洋伸