・“料亭”のビジネスモデルを刷新した老舗店@赤坂
1928年に創業した料亭「赤坂 金龍」。戦後の1953年、みすじ通りにある現在の場所に移転し、敷地面積100坪ほどの数寄屋造りに。2006年に経営難で閉店を余儀なくされたが、2006年に再起をかけて店舗を改築。2009年5月に「和ライブ ダイニング」と業態を変えてオープンした。
数寄屋造りの建物「赤坂 金龍」。
赤坂金龍の初代女将は、秋葉よしさん。その後、嫁入りした冨佐江さんが引き継いだ。「リニューアル後のコンセプトとしては、日本の伝統的な食べ物や飲み物、文化を広めるということです。以前に比べ値段もかなりリーズナブルな設定で明朗会計という形にしています」と話すのは、同店のマネージメントを手掛ける阿部裕志支配人。数寄屋造りの建物では、造園家の岩城亘太郎氏による庭園、棟方志功の書や向井一太郎氏が手がけた表具、有名陶芸家による器などの工芸品が見られる。
店内。
棟方志功の書も。
テーブル席、カウンターの他、掘りごたつや完全個室など80席を用意。最大36名まで収容できる大広間は伝統芸能を披露するライブスペースとなっている。赤坂の芸者衆の踊りや唄、三味線、太鼓などを披露する他、お座敷遊びも行う。特に同店で人気なのが、「花街の宴」。料理にドリンク付き、サービス料や税込みで1人12000円。演奏は宴の名にふさわしく、三味線、太鼓などの楽曲を担当する地方3名に、踊りを披露する立方2名の本格的なものだ。
赤坂芸者の演舞に魅入る観客。
「芸者衆を招いてのイベントは、毎月1〜2回程度行っています。消えゆく日本文化を残したいというのが一番の目的です」と話すのは、阿部支配人。訪れるのは男性だけでなく、女性同士や親子連れの客も多い。その他、日本古来の手品(手妻)や幇間芸なども行う。
日本古来から伝わる「手妻」。
花柳界には、お座敷を提供する待合、料理を提供する料理屋、そして芸者が所属する置屋の三業から成り立つ独特のシステムがあった。明治時代以降に待合と料理屋を兼ねた店として料亭が生まれた。そして、お座敷を提供する料亭が芸者の玉代を建て替えて払い、後日のツケにして請求されることから、信用のある人だけを許すという仕組みが確立されていた。「一見お断り」として、紹介者と訪れる1回目は「初会」、二回目は「裏を返す」、そして三回目で「馴染み」となり紹介者なしで出入りが許されるというものだった。
かつて軍人や政財界の関係者の「官官接待」利用により、料亭60店以上、芸者衆は400人以上という規模を誇った赤坂の花柳界だが、2009年現在では料亭6軒、芸者は24名ほどだという。
外国人の人気を集める「GEISHA」。
コース料理の一例。
同店では、外国人をメインターゲットに据え、近隣の外資系ホテルなどにも積極的にPR。日本の伝統文化を体感できるライブダイニングとして打ち出している。客単価は約10000円で、客の7割ちかくが女性。
オリジナルラベルのお酒。
今後は赤坂の芸者衆による演舞・お座敷遊びはもちろん、その他、日本古来の手品(手妻)や幇間芸、ライブなども増やしていく予定だという。
バブル崩壊後、企業の高層ビルや外資系ホテルが立ち並び、国際色豊かになった今、もはや古いビジネスモデルは通用しない。そんな中、料亭や芸者の数が減ったことを好機と捉え、華やかな和の文化をアピールする店が東京の玄関口、丸の内にも登場した。
<続く>