
・「お客様へのご奉仕を念願とする!」
フレンド商会は1953年に創業し、パチンコ事業を始めた。当初からパチンコだけでなく、ビリヤード、洋酒バー、ステーキハウス、200席の大型喫茶、バイキング、カラオケなどその時代のブームにあった娯楽を提供し続けてきた。
今の外食事業を牽引するのが、3代目の池田寛氏。東京の大学に学び、地元の広島銀行で全社的な融資企画運営を担当。そして、30歳を機に家業に戻り、外食事業の拡大に奔走している。
「父は5店の飲食店他40〜50店のラーメンチェーンを展開していましたが、今後の事業展開、特に飲食部門の展開に社運をかけるべく模索の真っ只中にありました。東京の学生時代に『土風炉』や『東方見聞録』が流行っていたのを思い出しましたそして、幼少のころから祖父、父の背中を見ており、商売人としてのDNAが騒ぎ出し、この世界に飛び込んできました。」と池田氏。
同社のポリシーは「広島にないものはつくるしかない」。洋酒バー、アジア料理などをいち早く広島に紹介してきた。なかでも、1990年代に作ったアジア料理「東方うまいもの市場 クスクス」という店は、サントリーのカクテル取扱量が中・四国地方でナンバーワンになるほど繁盛させた。
「当時、18歳のアルバイトに痛烈な指摘を受けました。銀行で融資やっていた人間がいきなり接客か?池田さんの接客はイケてない、と言われました。どういう風に?と聞くと、目の前にカーテンがあるみたい、と言われました。」
2002年8月セイ・エンタープライズとのジョイントで「虎之介」を自社ビルに170席でオープン。
当時の外食部門は組織力が弱く、「社長の息子がいきなり上司かよ」「銀行員のお手並み拝見」といった半信半疑な空気をひしひしと肌身で感じていたという。1年弱で、開店当時の社員5人の内、3人が退社。
「私自身の要領の悪さ、人間的な魅力の欠如、会社側の論理の押しつけがあった。組織作り、気持ちの統一の基礎ができるまで3年ほどかかりました。セイ・エンタープライズの小山(静貴)社長から受けたアドバイスは、『池田さんはやって当たり前。他のスタッフに強要してはいけない。スタッフには感謝しなさい。また、スタッフが一番嫌がる仕事をあなたがやり続けなさい』。この言葉を守り続けました。」
心配をよそにオープンしてみると、月商3千万円近くを売り上げる超繁盛店となった。8年目を迎える「虎之介」はさすがに当時の勢いはないが、繁盛店として存在し続けている。