・札幌のブッとんだクラブ「アルズ・バー」
イーストンは、大山兄弟の父親が経営する札幌の不動産管理会社の外食事業としてスタート。1986年5月に1号店を成功させた後、1990年7月に現在のイーストンに社名を変更した。兄は代表取締役社長、大山泰正氏。2歳年下の弟は専務取締役、大山敏行氏。
兄の大山秦正氏は大学時代にバブル期に向かって経済が成長していく東京を楽しんだ。ディスコを借り切ってパーティーを仕切ったり、当時ディスコ「ネオジャパネスク」(東京・六本木)など話題店を次々に出店していた株式会社マインドで黒服として働いたり、新店の立ち上げを手伝ったりしていた。大学卒業後は好きな米国で好きなレストランを回って過ごした。
兄は「いい加減にアメリカから帰って来いと父に言われてました。ビザの書き換えで帰国した時に捕まった(笑)。私は父からは二男だから何やってもいいよと言われ、洋服の並行輸入やろうと思い、いきついた物件が、札幌ススキノのはずれのビルの地下。服屋なんかできないよね、実はやったことない。クラブをやりたいなと思っていたら、社長(兄)が企画書を書いて、父に兄弟2人でやると話しました。その頃、札幌には自分たちが遊べる店がなくて、変なディスコばかりだった。カッコイイ店を作りたかった。やってみろと言われ、父は銀行の保証人になってくれ1千5百万円を借りてスタート。」
そして、1986年5月に札幌ススキノに1号店となる「アルズ・バー」が誕生。
「直ぐに、ニューヨークとロサンゼルスに飛んで、ネタ集めです。30坪でしたが、六本木の感覚で1千万円は売れると思っていましたが、1ヶ月目は4百万円。売れない。社長がいろんな企画を出して売上がどんどん上がっていったんです。メディアに載せてもらおうと、ニュースリリースを送り続けました。それも変なものばかり送る。でっかい封筒や卒業証書を入れるような筒に店の案内を入れた。メディアには全国から何通も来るので茶封筒では目立たない。ある日、取材の電話がかかってきて、雑誌『an an』で全国おしゃれスナップの企画がある、お前らのまわりに面白いやつがいるだろうからアテンドしてくれと言われた。モデル事務所も知っていたんでアレンジしてあげた。そのお礼にウチの店も取材してくれました。楽しみにしてたら、何と見開き2ページ。月商が6百万円まで上がっていたところに、『an an』でいきなり1千万円。それからずっと良くて年商で1億6千万円くらいいきました。」
「『六本木高感度ビジネス』という本があって、最初はオピニオンリーダーを狙って、次はフォロワー、一般人で店は終わり。3年で撤収しなさいと言われていましたが、アルズ・バーは10年以上持ちました。」