フードリンクレポート


2店目は60年代と90年代をミックスしたダイナー。
〜かっこつけるな! お客様に喜ばれる地域一番店を目指せ〜(7−2)
大山 敏行氏
株式会社イーストン 専務取締役

2010.3.9
米国大好きの大山兄弟は、1986年5月に札幌ススキノに「アルズ・バー」をオープン。前衛的クラブとして一躍注目を浴びた。しかしもっとたくさんのお客様に喜んでもらいたいと業態を転換。現在、イーストンは「イタリア居酒屋 クッチーナ」「焼鳥ダイニング いただきコッコちゃん」など大衆向け31店舗を札幌、仙台、首都圏で展開している。弟で専務の大山敏行氏にインタビューした。7回シリーズの第2回目。


企業理念と共に大山専務。

2店目は60年代と90年代をミックスしたダイナー

「父から、石の上にも3年は増やすなと言われていました。僕達はどんどん行きたかった。100億100店舗を目標にしようと話していました。23,4の兄弟でカッコイイじゃないですか。自分たちに酔って毎日言っていたらインプットされて、やらなきゃいけないになってきた。」

 2店目は、1店目から3年半後の1990年11月に開けた「69ダイナー」。

「1989年にニューヨークで懐古主義でダイナーが流行った。エルビス・プレスリーやマリリン・モンローのそっくりさんを雇って、タランティーの映画『パルプフィクション』のような世界です。普通のダイナーをやっても面白くないので、60年代と90年代の融合にしようと。アルズ・バーはブラックミュージックを流していました。日本で最初にハウスミュージックを仕掛けた店です。いろんなDJやミュージシャンが東京から来てくれた。感動したのは、クール&ザ・ギャングとカメオがダブルで来た。店の中に黒人が30人はいました。田舎なのに凄く有名店だった。」

「僕はブラックミュージックが好きだけど、社長はロックが好き。2件目はロックやりたい。『69』は60年代のダイナーに90年代のロックがコンセプト。アルズ・バーが儲かっていたので金をつぎ込みました。当時、真鍮とか大理石を使った店が多かったので、ウチはアートで行こうと決めました。59年型のキャデラックを米国の友人に探してもらった。まだ走る車だったんで、仮ナンバーを付けてススキノの夜をぶんぶん走りまわろう。すると何だあれは、となる。でも結局壊れました(笑)。そのキャデラックを店のカウンターにしました。そして、中古のセスナ機を買ってきて水玉模様に塗って天井に吊りあげ、光ファイバーで夜空を演出して、飛行機が飛んでいる風にしました。料理はテックスメックス。売りはフローズンマルガリータ。」

「でも、札幌では早すぎた。赤字。僕が店長になって、まず500万円を目指そうと。やっている内にどんどん上がっていきました。1店目も流行っていたんで問題なかった。」


【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2010年2月3日取材