・「Furutoshi」古里太志氏にあこがれて
エーチームはコンビニ「新鮮組」の本部であった、現在は「ローソン」のメガFCジーである株式会社新鮮組本部の別部門として設立された。2000年4月に、“美医食同源”をポリシーとする韓国料理「五湯道(おたんどん)」1号店を東京・八丁堀にオープンさせた。大盛況で、01年12月には東京駅に隣接するパシフィックセンチュリープレイスに、02年5月には広尾に、03年7月には品川と立続けにオープンさせた。04年3月には新業態、焼肉「梨の家」を品川に、05年6月には八丁堀にも開店。勢いのある成長を遂げてきた。
「五湯道(おたんどん)」目黒店。
「梨の家」品川店。
黒須氏は、大学卒業までラグビーに取り組み一線で活躍し、卒業後の進路として伊藤忠食品に就職した。ラグビーを通じて、目標に向かって現状を打破するためのプランをクリアしていくことを、チームとして取り組むことに成長の本質を感じていたが、大企業における自己実現の難しさを感じていた。常に成長を目指し、そして個人の成長の集合体がチームの成果となる仕事を一生の仕事にしたいと考えていた時に、グローバルダイニングのレストランに出会う。その店のスタッフの動きから、お客様を喜ばせるというゴールに向かって日々研究、修正、向上するチームを感じた。その店の中心としてグローバルダイニング「ステラート」で働いていた古里太志氏と出会い、外食の道を目指すことを決める。古里氏は現在、ファインダイニング「Furutoshi」「SKY」を展開する株式会社SEED-TANK 代表取締役。
「まったく違う業界とはいえ仕事の本質はどれも同じという思いと、この人はどうしてウエイターからここまで登り詰めたんだろうと興味を持ち、お客から友人になっていた古里氏に『同じ土俵でやってみたい』と相談すると、『やめとけ、隣の芝は青く見えるんだ』と諭されました。」
しかし熱意が伝わると、『最短ルートをアドバイスしてやる』と一店舗の紹介を受けた。そして、アルバイトとして「ラ・ボエム」表参道店にもぐりこんだ。
「まずは小さい店でサービスにとにかく凝っている店に行けとアドバイスされ、ラ・ボエムで働きました。そして、古里イズムが分かった。まさしく部活の延長なんです。ものすごく厳しく若い子に接する。あの当たり方で上手くいくのかな? でも、裏側にこういうものがあればうまくいくんだな、と分かった。彼も完璧なリーダーじゃなくて、ミックスして僕だったらこうやるな、と見えてきました。」
グローバルダイニングで働いた後、まずは運営受託という形で独立。
「飲食店をやりたい人は沢山います。店で働いているとお客様から本当に誘われます。彼らと夢を語るんですが、まず土間土間のFCやってみようか?なんて話になる。それじゃ3〜4年遠回りしますよ。自分で店を作れないならプロデューサーを雇ったらいいんじゃないですか?お前やってくれよ、となって。自信がないので、安い金額で運営を受託していました。5年ぐらいの間に路面店の飲食店、ビルイン、駅ビルの屋上の300坪以上あるビアガーデン、外資系の家具店、デリバリー事業など様々な業態のオープンを受託しそれなりの成果をあげていきました。そして、今の会社、エーチームから声がかかりました。」