・ロサンゼルスで目覚めた、蕎麦屋の三代目
エムアンドエムフーズは蕎麦「しのぶ庵」をユニバーサルシティウォークなどに4店舗、天ぷら「あっぱれ天風」をなんばパークスなどに2店舗、390円天丼「えび頼み」を阿倍野地下に1店舗、蕎麦「十割庵」をイオンモールに1店舗、讃岐本舗「うどんぐら」をユニバーサルシティなどに2店舗、喫茶「議員倶楽部」を大阪府庁内に1店舗の計10店舗を展開している。
「しのぶ庵」 外観。
「しのぶ庵」 店内。
同社のルーツは大阪府庁内喫茶「議員倶楽部」。大橋正伸氏の祖父が福井から大阪に出てきて、68年前に創業。高度成長の波に乗り、府庁の近くの天満に「しのぶ庵」をオープンさせ、梅田の開発と共に梅田地区に店舗を増やして行った。その後、子供兄弟でのれん分けし、一部店舗を大橋正伸氏の父親が引き継ぎ、そして今、三代目として大橋正伸氏が就任している。
彼は大学卒業後、証券会社で4年間トップセールスマンとして働いた後に、米国ロサンゼルスに渡る。当時、父親が香港に出店する計画があり、英語の勉強も兼ねた。
「世の中を広く浅く知れると思い、証券会社に就職しました。4年間トップセールスマンの道を歩み続けた中で、ビジネスとしての限界が見えた気がしたんです。僕が売るのは、目に見えるのは紙切れ1枚。それが 数百万、数億になる。売って儲かったらすごく喜ばれるが、損を出したらボロカスです。自動車の営業マンと街で会う中で、彼らも売るまでは大変ですが、売るとすごく喜ばれると聞きました。この違いは大きい」と大橋正伸氏。
「東京への転勤を機に退社しました。学生時代にいつか暮らしたいと思っていたロサンゼルスに行こうと思った。退職金100万円を握りしめて渡米し、現地の寿司屋でウェイターとして働きました。お客様の95%が現地人という店です。ウェイトレスの女の子にもいじめられながら働きました。チップが僕の生活費だったんで、お客様にこっちからいかないと貰えません。ビールも3分の1になったら、『次おかわり何にしますか?』と聞く。とにかく自分が動かないとお金をもらえない。」
「ある日、ダブルデートらしい4人組のお客様が来ました。その女の子が、僕がしゃべる度に笑う。注文も早口で、僕が『ゆっくり話してもらえますか?』と言うと笑い倒してる。後で気付いたら、英語が下手でからかわれていました。僕は分からないので、何度も一生懸命聞き返す。その内、向こうも態度が変わってきて、『君は何人?』『どこから来た?』『何してる?』と質問されるようになった。最後に、『カリフォルニア好きか?』と聞かれたので、普通は『アイ・ライク』ですが、『アイ・ラブ』と答えた。そしたらすごく気に入ってくれて、『悪かった、お前のことをずっとからかっていた、お前はいいやつだ、ベストフレンドだ』と言われ、200ドルのチップを貰ったんです。飲食代は4人でわずか80ドルなのに。」
「その時、飲食業は言葉がしゃべれなくても、気持ちだけで人に伝わる、頭が賢くなくても気持ちでいけるということを実感し、日本に帰国し、飲食店で働こうと思いました。」