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50年以上の歴史ある横丁。
〜ちょうちん、すだれ・・どこか懐かしい路地裏の横丁。横丁文化の歴史と進化を追う。〜(7−1)

2010.8.15
「横丁」という言葉と文化は韓国のソウルで発達したともいわれソウルにはその名残が多い。古くからの食文化を守り続けている店も少なくないこの街で、伝統ある飲食店は表通りから一本奥に入った路地裏に集まっている。大通りを貴族が馬で通っていた頃(朝鮮王朝時代)、庶民だけが気兼ねなく通れる細い路地が大通りを避けて作られ、そこに「庶民の憩いの場」として飲食店が軒を連ね人が集まり横丁は出来上がっていった。東京都内にも50年以上の時を経てそのままの形で残る横丁がいくつかあり今も賑わいをみせる。一方で近年、商店街再生事業をひとつの目的とした「横丁ブランド」と称される「プロデュース型横丁」もオープンラッシュが続く。「横丁」のもつ「魅力」と「味わい」は何なのか、そして人はなぜ横丁に集まるのか。7回シリーズ。レポートは国井直子。


屋台の移転先として横丁が生まれた。原型が「新宿ゴールデン街」。

50年以上の歴史ある横丁

 1940年代終わり頃から1950年代の東京、お金持ちは銀座へ庶民は浅草で遊んでいた時代。そして新宿や渋谷の駅前では屋台がひかれていた。駅前の立ち退き命令が出された折りに新しい移転先となり今の横丁の原型となったのが「新宿ゴールデン街」であり「渋谷のんべい横丁」である。独立店舗の集合体として個性あるそれぞれが集まり、今もそのままの形で残されている。「店の集まるところに人は集まる」この鉄則は今も昔も変わらない。こうして店が集まった「横丁」には人々が集い賑わいを見せていった。

「新宿ゴールデン街」は花園稲荷神社のすぐ裏に位置し老舗から新店まで200店舗以上が集まる。「階段を上った先に行ってみなければ分からない」「外に置かれた看板だけで、中は見えない」など、開けてみなければ全く様子が伺えない店も少なくない。積み重ねられた年月は50年以上、有名人や文化人が夜な夜な通い語り合ったことでもその歴史は語られる。「時」がそのまま語っているようなノスタルジーな空気感は独特なものだ。


「クラクラ」入口(店舗は2階)。演劇人、映画人が集まる。

 古くからの「横丁」は、バブル絶頂期や新しいビルの建設時などには地上げに合うこともあった。それらの転機には場所を変える店もあり、たとえばゴールデン街で10年以上続く店は現在20店舗ほどといわれている。


ゴールデン街 某店舗内。


【取材・執筆】 国井 直子(くにい なおこ) 2010年8月12日執筆