・80年代、日本人寿司職人は海を渡った
日本で唯一の寿司スクール、東京すしアカデミーは2002年に開校した。寿司店専門のコンサルタントとして活躍していた福江氏が若い寿司職人を育て、保守的な寿司業界を活性化しようと始めたスクールだ。元来、調理師学校はフランス料理を広めるために作られ、今は日本、西洋、中華の3大料理を教えているが、寿司は範疇の外というのが現状。
「もともとは日本で働く寿司職人を養成しようと始めました。フリーターとか沢山いましたが、寿司業界は引っ張りこもうとしなかった。若者にはパティシエやラーメン店主とかが人気で、寿司は辛い難しいという印象がありました。活きのいい若者を寿司業界にもってきたいと思って始めました」と福江氏。
ところが、最初から海外からの問い合わせが多かったという。
授業風景。
「2002年に始めた時、インターネットで生徒募集告知を行っていました。すると、海外在住の日本人からの問い合わせが多くてびっくり。国際結婚をした女性だったり、海外の日本料理店で働く日本人です。手に職をつけようとしたり、見よう見まねだった寿司技術を一から学び直そうという方々です。」
日本の寿司が世界に広まったのは、1980年代。日本経済が強く日本企業が続々と海外に進出し、世界各地に駐在員が沢山いた。彼らの接待需要を満たすために、サントリーなど日本企業が海外で日本料理店を出店。寿司職人も出稼ぎ感覚で、海外に出て行った。
その後、日本の経済のバブルがはじけた90年代半ばから、潮が引くように日本企業が海外から撤退し、日本人が経営していたレストランも韓国人や中国人が買い取った。これが、アメリカをはじめ世界の日本料理店の大半を韓国人・中国人が経営している現状のルーツだ。市民権を得たり、国際結婚したりして現地に残った日本人が、日本料理店の運営を支えた。
そして今、海外へ出ようという日本人寿司職人がいないという。若者の内向き志向や、円高で日本にいる方が快適という考えがあるようだ。現在、海外で働く日本人寿司職人は、語学留学やワーキングホリデーで海外生活を経験し日本食人気を目の当たりにして、寿司に目覚めた20代後半〜30代前半。帰国した彼らは東京すしアカデミーで学んで、再度海外に旅立つ。