
・反骨の慶應大学政治学科卒業シェフ
生江氏の学歴は、シェフの中では異色だ。留学生の多い国際基督教大学ICU高等学校を卒業し、慶應義塾大学法学部政治学科に進んだ。
「なぜ慶應まで出て料理に?とよく聞かれます。大学で広い世界を知りたかった。ICUの高校で、世界にはこんな面白いやつがいるんだ、日本のような小さい村に止まってる必要はない、と思っていました。大学で実家から独立し、食うのに困るといやだと思ってスパゲティ屋でアルバイト。卒業時はバブル崩壊。このまま一般的な就職しても見られるものが少ない。料理は世界共通で突き抜けるものがあり、世界に出ても困らないと思い、イタメシブームの中、スパゲティ屋に就職しました。仕事がなかったらコックにでもなれ、というのがオヤジの口癖、なら、コックになって一人前になる(笑)。」と生江氏。

フレンチレストラン「L’Effervescenceレフェルヴェソンス」のラウンジにて。
その後、日高良実シェフの率いる「アクアパッツア」の新店「マンジャペッシェ」で働く。
「厨房ではなく、ホールスタッフとして入りました。当時、フレンチは権威主義的で嫌い。僕は反骨精神があって、フレンチは貴族の無理・無駄から生まれた料理だと思っていました。土着感やアットホーム感が好きで、イタリアンで働いた。でも、2年半いましたが、厨房には入れなかった。」
調理師学校にも行かず、自己流でやってきた。基礎を学ぶためイタリア修行をめざす。研修費用を貯めるため、当時給料の高かった株式会社グローバルダイニングの「ゼスト恵比寿」の厨房でアルバイトとして働く。そこで、当時同店店長だった石田聡氏に出会う。
「キッチンでお金をためたら辞めようと思っていました。正直、ゼストの料理にはアレルギーがありました。こんな魚は使いたくない、こんな肉はこういう風にしたくない。今までの常識とは違うことがなされていたんです。でも、やっていくうちに、目の前をお客様が通って、美味しかったと言って帰っていく姿を見て、食の喜びは1つじゃないんだな。自分は狭い価値観の中にいたんだなと思いました。料理にも貴賤やランクがあるべきじゃないと気付いた。有能な社員が他の店舗に引き抜かれて、いつのまにかキッチンで頭に立っていました。2年半でお金も貯まりました。」
その後、イタリア行く前に腕試しと、代官山のカフェの小さな厨房に1人で立った。
「カフェめしブームの頃。1人で料理を作って、どれだけ実力があるんだろうと腕試しです。お客様から美味しいと言われるのは楽しかったが、喜びをシェアできない。1人は面白くない。」
石田氏が独立し「サイタブリア」を立ち上げるプロジェクトに参加。しかし、出店まで1年かかり貯金は果て、結局イタリアには行かず。石田氏とその後1年半共に過ごした後、新天地を求めた。