
・「ミシェル・ブラス」「ザ・ファットダック」3ツ星で認められる
「サイタブリア」で料理に行き詰った時、ニューヨークを旅した。料理専門書店で1冊の本に出会う。
「ニューヨークの料理専門書店でミシェル・ブラスの本を見つけたんです。後光が差してました。僕のやりたかった料理だったんです。フランス語も分からず、どうやって作るんだろう。でもこの料理やりたい。そう言えば、この人は北海道・洞爺湖ウィンザーホテルで店(ミシェル・ブラス トーヤジャポン)を開いているな、手紙を書いてみようと思い立ちました。」
「試しに1週間来て見ないかと言われて喜んで行きました。キッチンでいろんな担当を回され、最終日に日本人シェフとフランス人シェフに呼ばれ、来てみないかと。合格です。」
ミシェル・ブラスは、郷土の素材を使って料理を創作し、現代フランス料理界を代表する料理人。オーナーシェフとして「ブラス」をフランス・ライオール村で経営している。1999年からミシュラン3ツ星を維持し続ける名店。日本で初めて、2002年に北海道・洞爺湖ウィンザーホテルに「ミシェル・ブラス トーヤジャポン」を出店。客席55席に対し、厨房に15人近くのスタッフを抱える。

「ミシェル・ブラス」「ザ・ファットダック」でスーシェフを務めた生江シェフ。
「毎日野草摘みです。出勤途中で森に入って野草を摘むのが日課でした。見たこともない野草が楽しかったです。家の近くに地主から畑を借り、フランスで変わった野菜の種を仕入れ、見たこともないインゲンやズッキーニを育てました。それを店に持って行き野菜の料理の中に加えたりしていました。」
「ミシェル・ブラスさんは息子のセバスチャンを連れて年に2回来ます。彼のテクニックより、成熟した人間性が勉強になりました。苦労話などいろんな話をしてくれ、安心させてくれました。今も、ミシェルさんとセバスチャンさんと親交があります。私もここまでくるのに30年かかった、君もあせる必要はない、何をやっても良い結果に繋がるから、と励ましてくれます。」
同店でスーシェフにまで抜擢され、5年間働いた。そして、英国に渡り、ミシュラン3ツ星の「ザ・ファットダック」に移る。同店オーナーシェフ、ヘストン・ブルメンタール氏は英国の伝統的な調理法と、化学を融合させた「分子料理法」をもちいて斬新な料理を生み出したカリスマシェフ。
「ブラス流にハマり過ぎているので、1回離れてみようと思いました。知り合いのつてで『ザ・ファットダック』で1週間のトライアルを受けました。ブルメンタールさんから来てみろと言われ、働くことができました。“スタジエ”(研修生)を率いながらペイストリーを担当しました。ブルメンタールさんは、ただ美味しいだけじゃダメ、楽しくてインパクトのあるレストランでないと意味がないと言う主義です。」
「英語は得意と思っていましたが、瞬間で説得させる言葉を出す能力は無かった。苦労しました。どんなに技術があってハードワーカーでも、結局適切な言葉が出せないとここまで。言葉なくして行動だけでは出来ない。一番必要なのは説得させる言葉、技術の裏付けのある言葉。細かいニュアンス、意思疎通がどれだけ重要なのか悟りました。」
1年は働いて帰国。常にコミュニケーションはとっていた石田氏から誘われて、2009年7月にサイタブリアに入社し、その調理技術を買われてテクニカルアドバイザーとして迎えられた。そして、2010年9月に、新店「L’Effervescenceレフェルヴェソンス」のエグゼクティブシェフに就任した。

「レフェルヴェソンス」、入口のプレート。「生き生きとした活気溢れる」という意味。