・羽田の路面店は空港勤務者、菜食、江戸前で新規客開拓
空港の施設以外の羽田の飲食事情はどうなっているだろうか。
京浜急行空港線沿線の穴森稲荷、大鳥居といった空港島の外部にある、昔からの羽田地区は羽田空港の拡大によって、空港勤務者の移住が進んでいる。つまり国際感覚を持った高感度の人たちが住む、高層マンションなどが増えているのである。
人口が増えることにより飲食需要も増える。羽田は路面店にとってこれから成長性が見込める有望エリアなのである。
穴守稲荷駅より線路の南側を空港方面へ5分ほど歩いた住宅街にポツンと、「油揚げ」という名の一軒のカフェがある。自宅の1階を店舗に改装して営業している。
「油揚げ」 外観。羽田の住宅街にあるカフェ。
自宅を改装して店舗にした。赤ん坊が寝転べるのでママからは好評。
オーナーの松田ゆりさんは台東区谷中にあった「谷中カフェ」を約7年経営した後、2009年4月に羽田に移転してきた。「なぜ羽田だったのか」と聞くと、羽田の出身だからと明確な答えが返ってきた。「前の店は忙しすぎたので疲れてしまって、もう少しゆとりがほしかった」とのこと。
当時「谷中カフェ」は谷根千の代表店となっていて、非常に成功したのでもったいない気もするが、あまりに多忙だとスローライフとは程遠くなるかもしれない。「油揚げ」の店名は稲荷からの連想で、油揚げを使った料理が常時提供されるわけではない。
メニューは新鮮な季節の野菜を使った料理で、肉、魚、卵、乳製品といった動物性タンパクを使っていない。ベジタリアンの中でもビーガンと呼ばれる分野である。「谷中カフェ」では魚料理を出していたこともあるので、より菜食に徹底した。
野菜は茅ヶ崎と埼玉県三芳町の契約農園から有機野菜が直送されてくる。庭でもハーブ、プチトマト、ニラ、ゴーヤ、ピーマン、ハツカダイコンなどを栽培しており、家庭菜園ではあるが店で出た生ごみを堆肥に変えて循環型の農法を行っている。
食事はランチが800〜1000円で3種類。マクロビ水ぎょうざ、ベジミートからあげなどといった定食メニューがある。
ドリンクは無農薬のコーヒーや緑茶、りんごジュースなどがあり、デザートはアーモンドのムース、玄米アイスなどいずれも自然食である。
夜はたんたん風ラーメン、ジャージャー麺、つけ麺、玄米チャーハン、水ぎょうざなど中華風のメニューが多い。もちろん野菜サラダもある。お酒も、オーガニックビール、自然酒、玄米焼酎などを置いている。
たんたん風ラーメンまたはジャージャー麺をメインにしたコース(3150円)と、麺か玄米ぞうすいで締める鍋のコース(2840円)もある。
たんたん風ラーメン(880円)は濃厚な練りゴマベースの味でベジラーメンファンにリピーターが多い。
顧客は年齢を問わず圧倒的に女性が多く、カップルも目立つ。ランチ需要が中心でもう少し夜に入ってくれたらといったところ。
男性の顧客では空港関係者が宗教の関係で、何らかの肉が食べられない外国人を連れてくることが多く、空港ビル内にはそういった需要を満たす店がないので喜ばれている。また、精神世界に興味がある人、野菜のみを使うベジラーメンばかりを食べ歩いているマニア、「谷中カフェ」の頃からのファンもやってくる。地域的には都内と違って自然食の店が少ない川崎、横浜方面の人もリピーターには多いそうだ。
土曜朝市、有機農園のお手伝い、ライブ、スピリッチュアルお茶会など地域活性とファン交流を考えた活動も「谷中カフェ」と同様に行っている。
自然食品などの物販も行う。
松田さんに「羽田はどういう町か」と質問すると、「先祖代々住んでいる人が多いし、一言で言うと“村”」だそうだ。しかしその“羽田村”にも国際化の波は及んできている。
「海外にはベジタリアンの人も多いし、宗教的に肉が食べられない人もここなら安心です。空港の近くに自然食、ビーガンの店があることをもっと広く知ってもらいたい」と、国際化の進展を大きなチャンスと見ている。
大鳥居駅より環八通りを越え北へ3分ほど。生活感ある商店街より入った路地に今年9月にオープンしたのがイタリア田舎料理の店「リストロ・ジン」。
「リストロ・ジン」 外観。
店内。
オーナーシェフの柳澤輝之氏はイタリアン歴30年以上。ホテル西洋銀座のオープニングからイタリアン「アトーレ」スーシェフ、三菱商事がホテル西洋銀座に業務委託した「天王洲倶楽部」エグゼクティブシェフを経て、1998年より「京都センチュリーホテル」グランシェフを務めていたという経歴の持ち主だ。
柳澤氏のモットーは日本には意外とやる人がいない古典的なイタリアンの奥深さを伝えていくことで、店名に入っている“リストロ”とはイタリア語でやすらぐ、くつろぐを意味しリストランテの元になった言葉だ。
リストロ・ジン 柳澤輝之オーナーシェフ。
なぜ羽田だったのかというと、柳澤氏の奥さんの出身地が西蒲田で、自身もホテルに入る前に西蒲田で個人店を構えていた時期があった。近所に娘さんも住んでおり散歩がてらにブラブラしている時に、物件を見つけたそうだ。
居酒屋を居抜きで借りて1ヶ月かけて改装しオープンした。家賃は都心に比べれば格段に安く、坪当たり1万円くらいだそうだ。席数は22席。
大鳥居は近くにセガの本社があり、ほかにも幾つかの会社がある。なのでそこに勤める人をターゲットに、駅前にはコンビニ、チェーン系居酒屋、ファミレス、ファーストフードの店が結構ある。
しかし、肉をしっかり食べさせる店がなかったので、ステーキが売りの店にした。
オープン以来狙いが当たって、ランチは非常に好調。セガには社員食堂がないので、代わりに機能している。日々2.5回転くらいするが、天候の悪い日、週末、給料日前は入りが落ちるという。日曜、祝日は予約のみの営業だ。
値段はオーストラリア産牛肉150gのステーキ980円、豚バラ肉ともやしのMix900円、日替わりパスタランチがサラダとパンが付いて850円。
リストロ・ジン、人気のランチステーキ。150gのオージービーフで980円。
夜もセットメニューがあり、ドルチェとグラスワインまたはソフトドリンク付きのステーキセット2500円、パスタセット2000円。前菜のイタリア産生ハムとルーコラ菜(1000円)は、骨付きハムをテーブルの前でカットするサービスがある。
顧客の年齢層は若く20代後半から30代が中心。夜の入りはボチボチだが、近所に住んでいる若いカップルや空港関係者を開拓したい意向だ。
リストロ・ジン イタリア産生ハムはカットサービス付き。
「大鳥居交差点から産業道路沿いに新しいマンションがたくさんできていて、空港で働く人たちが移ってきています。これからもっと空港は大きくなると聞いていますから、期待していますよ」と柳澤氏は立地に間違いなしと確信している。
京急大鳥居駅 セガ本社に近く、付近にマンションが増えている。
羽田のホテル事情を見ると、国内線旅客ターミナルに併設して「羽田エクセルホテル東急」、穴森稲荷に「ホテルJALシティ羽田東京」、大鳥居に「東横イン」2館といった感じで、値段に差があるもののいずれもビジネス用途に特化した感じで、レストランに特に見るべきものはない。
穴森稲荷駅と大鳥居駅の駅間は歩いても10分ほどだが、線路の北側環八通り沿いはセガ本社からホテルJALシティまでラーメン屋、立ち食いそばの店くらいしか飲食店がない。
線路の南側萩中通り沿いは蒲田と羽田空港を結ぶバスが頻繁に発着しているが、さびれた商店が軒を連ねている印象だ。しかし、穴森稲荷駅の近くには、羽田にまだ残っている漁師から仕入れた魚料理を出す店など、こだわりの老舗が何軒かある。
今も羽田の漁師が漁を行う海老取川。
「食通ゆたか」はオープンして40年近くになりスタートは鰻屋だったそうだが、今は羽田沖で獲れた文字通り江戸前の穴子がメインになっている。ランチの穴子天丼900円、やわらかくふっくらしたかなり大きい穴子の天ぷらが乗っている。穴子は白焼きにしてもおいしいし、多摩川河口で獲れるボサエビという希少な小エビの天ぷらも名物だ。
食通ゆたか ランチの穴子天丼(900円)。
食通ゆたか 新国際線ターミナル開業効果が出ている。
羽田空港にまばゆいばかりの美食が集ったといっても、市場に出回らない新鮮な魚料理を出す店はさすがにない。だから「食通ゆたか」はいつも地元民のみならず観光客で繁盛しており、外国人の姿も珍しくない。新国際線ターミナルがオープンしてからは、週末のランチは行列ができるほどだ。
「寿司勝」は古びた木造の建物と酢飯に乗った「羽田穴子丼」(1000円)が売りの店。「食通ゆたか」の気前の良さと比べると穴子の量は物足りないが、江戸前の寿司屋としては本物のネタがあるという感じだ。
寿司勝 羽田穴子丼が名物。
「千世」は釣り好きの店主が自ら釣ってきた魚を振舞う、これも江戸前、東京湾の魚にこだわった店。蛸やアサリの釜飯の評判も良い。
こうして見ていくと、穴守稲荷駅から大鳥居駅にかけての外食のポテンシャルは大きく、空港内で満たせないニーズをまだまだ掘り起こせるような気がする。海外から帰ってきたときにちょっと寄り道したい店、ベジタリアンでも安心できる店、空港で働く人のオフタイムを充実させる店等々。
羽田空港の乗降客数は国際線が計画通り運行されれば年間7000万人以上もいるのである。それに職員、見送りに来る人、羽田空港自体を観光する人を含めればさらに上積みがある。この巨大マーケットを狙わない手はないであろう。
もちろん羽田国際化で、東京都心部の銀座、日本橋、丸の内、六本木、西麻布、新宿などもチャンスだ。だから、商業施設のリニューアル、新規オープンも盛んである。しかし、それと同等のチャンスが埋もれているのが空港の足もと羽田なのである。