・仙台駅西口では女子会も。国分町歓楽街は閑古鳥。
東日本大震災では、東北第1の都市で人口約104万7千人を数える、仙台市も沿岸部を中心に大きな被害を受けた。宮城野区と若林区が主たる被災地で、宮城野区は仙台港、工場や、「三井アウトレットパーク仙台港」、「カインズモール仙台港」といった大規模商業施設があるエリア。キリンビールの工場もある。若林区は農地が多いエリアであった。
仙台市の発表では市全体で、死者613名、行方不明者210名、避難所数23、避難者数2409名である。市内被害額は推計で約6400億円と膨大なものだ。
宮城野区、若林区というと、仙台駅東口も両区の区域に入る。駅東口は、パッと見た目はほとんど被害を受けているようには見えない。はるか海のほうで深刻な大津波の被災地が存在しているのが、信じられないほどの日常の風景だ。仙台駅は海岸より遠い内陸部にあり、津波は関係ない。
仙台駅東口
しかし、東口から駅の階上通路を通って、西口のある青葉区側に移動していくとわかるが、仙台駅とその周辺部が意外なほど地震で被災しているのである。仙台は本震の震源地に近く、震度6強とかなり激しく揺れた。その後の余震も、特に4月7日には震度6強と本震と同じくらいの強烈なものが来ている。
仙台駅西口、駅は復旧工事中
駅舎も被災しており、幾つか修復のため立ち入れない場所がある。駅の構内にある「マクドナルド」と「スターバックス」も営業休止中だ。
電車もつながっていない。関東から東北新幹線で仙台まで来るには、福島で乗り換えて在来線の新幹線リレー号という臨時の快速に乗らないといけない。仙台から先は盛岡まで今のところ不通である。順次4月末までに再開予定だが、現状はそういうことだ。
在来線も、東北本線が21日にやっと仙台・一ノ関間がつながり、全線復旧となる。岩切・利府間の支線も同日復旧する。
仙山線も23日全線復旧予定。これで仙台・山形間もつながる。しかし、海岸線を走っていた仙石線の全線復旧は、線路も津波で流されたのですぐには難しく、塩釜市の東塩釜駅以遠の予定は立っていない。松島海岸、東松島市、石巻市まで電車が戻るのはいつになるのだろうか。
震災の影響で閑散とした仙台駅
仙台市地下鉄も台原以北がつながっておらず、泉中央、八乙女など仙台が誇る高級住宅街の泉ニュータウンに住む人は、台原から代行バスに乗っている現状だ。5~10分間隔でバスがピストン運転しているが、不便には違いない。再開は29日の予定だ。
地下鉄泉中央駅前も、見た目の街並みには地震の影響は感じられないが、駅ビルには天井や壁が崩落しかけている箇所があり、部分的に立ち入れないのは仙台駅と事情は同じだ。
泉中央交差点。表面上地震の影響は見えない。
泉中央駅、駅ビルの一角
3月11日の本震以来、仙台市内のライフラインは懸命の復旧を行ってきたが、4月7日の余震でかなりの部分で振り出しに戻った。本来ならそろそろ電車くらいは復旧するレベルの災害だったのだが、大きな余震が来てさらに2週間遅れた感がある。
仙台市内のコンビニをのぞくと意外にものが揃っていない。コンビニに限って言えば、石巻、気仙沼のほうがベストの品揃えに近づいている。これは東北でも被害甚大な被災地を優先させているからだと考えられる。
仙台の品不足度は、大きな余震の影響を受けた分だけ、東京より2週間程度復旧が遅れているのではないかと思われるが、これもそう遠からず解消に向かうだろう。
ただし、漁業関係の事情は別だ。仙台の飲食店は、石巻、気仙沼、塩釜、女川などといった地元の海産物を積極的に取り入れてメニューをつくってきた。それは地元の住民にも、遠方からの観光客からも支持されてきた。ところが周知の通り、津波で軒並み宮城、三陸、福島浜通りの漁港が壊滅してしまったので、冷凍ものの在庫が切れると、築地などを経由して他産地の魚介に切り換えるか、山の幸に絞るかという選択に迫られている。
仙台市中心部は、おおよそ本震発生より10日から2週間は休んで、20日から27日くらいまでに営業を再開した店が多い。
仙台駅のスープストックトーキョーでは再開まで別の場所で屋台を出す。
電車が通ってない通勤の不便があり、命からがら津波から逃げて避難所生活を送るビジネスマン家庭もかなりいるので、全般に街を歩いている人が少ない。車の通行量も少なくはないが、多いとも言えない。
夜は8時ともなれば、人もまばらになってくる。震災前では考えられない寂しさだ。仙台ともなると、津波や地震の恐怖はもっと具体的かつ現実的なもので、東京のような被災者に対して不謹慎だから楽しく飲食しないみたいな、心理的要因の不況とは違うのである。
ただし、顧客層が若い仙台駅西口の名掛丁界隈の回復は比較的早く、先週末に関しては6割くらいまでには客足は戻ってきたと思われる。よほどの余震が来るか、福島の原発事故が悪化しない限り、おそらく1ヵ月後は大丈夫だ。
ここしかないというような実に的確な立地の物件で営業しているのは、ヒュージの「リゴレット タパスラウンジ」。中にはワインを飲みながらネットブックを広げている外国人や、春らしいミニスカートを着込んだおしゃれな女性客もいた。
リゴレット・タパスラウンジ
リゴレット・タパスラウンジにて、東北のフルーツ入りサングリア。
サービスマンの顧客の配置の仕方が上手いのもあるが、知的な外国人がいて、女子会のグループがいて、サラリーマンとOLの少人数グループがいて、階段の下では若い男と女がデレデレしているといった感じ。その風景が一枚の絵のようになっていた。店は2層で、1階はほぼ埋まっていても2階までは入りきれていなかったが、少なくとも店内には震災前と同じ空気感が流れていたと思う。
アーケード街を歩くとパッと見た目の街並みは大した被災の跡は見えなくても、壁が崩落しそうで頭上が危険な建物、中に入るとトイレのタイルなど破損している建物など、著しくではないがかなり目立つ。修復工事中のビルを覆ったビニールシートに張り紙をして、懸命の集客を行う飲食店もある。
仙台中心部のアーケード。市民を鼓舞する言葉が並ぶ。
震災で被害を受けたビルで営業する飲食店は、仙台市内では意外に多い。
建物の損傷が著しいため、一時的に休んでいる店、閉店する店、移転する店も。仙台市中心部はどこもそんな感じである。
食材が揃わない、被災のため人員がいないため、短縮営業している店も多い。居酒屋など夜の業態は特に厳しく、ランチ営業を始めたところも多いのは東京と同じだ。
特に被災が甚大である箇所以外は、電気、ガス、水道が回復し、道路の寸断もなくなりつつある仙台であるが、東北一円、そして首都圏からの買物客、観光客、ビジネス客が来れない鉄道事情は、高速道路を使って車で来る人のマインドにまで影響している模様。地元住民も余震が納まらない今は、むやみに出歩かず自宅や避難所にいる人も多く、夜も早く帰るので、飲食店は非常に厳しいのである。
東北随一の歓楽街として名を馳せる国分町も人は少ない。居酒屋やバーを飲み歩く酔客もいないわけではないが、街の人に聞くと震災前の5分の1程度しか人はいないのではないか、とのこと。
当然、飲食店の営業は厳しく、昼に行くとどの店もこぞってランチに力を入れている。夜があてにならないからだ。
飲み主体の店でも今はランチが大切。この店もランチを復活させた。
この居酒屋のランチはテイクアウトも対応。
すごくスタイリッシュなガラス張りの「オーシャン・ファターレ」。シーフード・スパニッシュイタリアンだそうだ。店の前で店員が懸命に呼び込みをしているが、店の前を通るのは30代後半から40代くらいの男性ばかりで、顧客層と合っていない。仙台駅から離れた国分町で合コンする男女は今いない。
国分町でもひと際おしゃれなオーシャン・ファターレだが、客足が戻るのは少し先か。
東京でいうと震災後、ターミナルの新宿、渋谷の回復は比較的早かったが、六本木、銀座が遅れた状況に似ている。
キョロキョロしながら歩いていたら例の呼び込みに声をかけられた。セクシーパブだそうだ。呼び込み氏によれば、今、国分町の風俗は他県から来た復興支援の人たちの顧客が殺到し大賑わい。一方で地元の人は早く帰るので、あまりいないそうだ。
他県とは首都圏のことか…。酒を飲むと目立ち不謹慎と咎められるから、隠れて風俗に行くのか。もう少し飲食店にもお金を落としてもらいたいものだ。
次に仙台空港付近の様子が気になるので、仙台駅から東北本線で4つ目、仙台市の南隣、名取市に向かった。駅を降りると目の前の大きなサッポロビールの工場。見た目は損傷がないが、設備は大丈夫か、停電の影響はなかった気になる。
名取市は人口約7万2千人、宮城県災害対策本部と名取市役所の発表では、死者874名、行方不明者1000名、避難所数11、避難者数1253名となっている。主な被災地は仙台空港、閖上地区などだ。
JR名取駅前
仙台空港へは普段は仙台空港鉄道という電車が出ていて便利なのだが、津波の影響を受けて現在休止中。今はサッポロビールとは反対側の出口、東口から代行バスが出ている。
代行バスで仙台空港駅の1つ手前、美田園(みたぞの)行きに乗り込んだ。仙台空港鉄道沿線は、新しいライフスタイルを持つビジネスマンに向けて売り出し中の「なとりりんくうタウン」の最寄駅。泉ニュータウンに代わる仙台近郊高級住宅街の座を狙っている。東京でいうと、新浦安に近いかもしれない。
海岸線から7~8キロ内陸の名取駅は全く津波の影響なし。街並みもそっくり残っていて、東口には地割れした道も見られなかった。国道4号線と仙台バイパス、名取市役所や「ステーキハンバーグ&サラダバー けん」も沿線にあるが、このあたりも普通にロードサイド店が並んでいて、車が忙しく行き交っていた。
そして東北の主要な街には必ずあるイオンショッピングセンター。4月15日より一部営業を再開している。海岸に近づくに連れ少しずつ被害が出てきている感じだ。
仙台東部有料道路を越えると美田園駅。ここまで来ると津波が到達していたのか、道には泥をかぶった痕跡が一帯に残っていた。
美田園駅前。全般に砂をかぶった感じがする。
駅を降りると、砂埃が目と鼻と口に沁みる。美しい田園都市として開発しようとした新しい街が、果たして従来のイメージで売れるのか、心配になってきた。ロードサイドのドラッグストアー「カワチ」には、散水車が繰り出して営業再開に向け、懸命に作業中。
ドラッグストアーのカワチ。散水車が停車していた。
さらにどんどん海へ歩くと、草やゴミや土を道端に盛ってあったり、ビニール袋に入れたゴミが積み重ねられた風景が目立ってくる。そして毘沙門橋という小さな橋を渡ると瓦礫の山が。その先はほどなく、信号も機能していない地域となり、海水の引かない田んぼたやら流木やら泥をかぶったゴミが散乱する光景が延々と続いていた。
1ヶ月経っても海水が引かない。家も田んぼも荒野に変わった。
瓦礫が少ないのは、住宅が少ない水田地帯だったからだと推測される。宮城の美味い米が取れる美田園だったのだろうが、見る影もない。
車両通行止めの標識の先に「ラーメンねぎっこ」の看板発見。隣にコンビニがあったらしい。この店主は津波から逃れたのか、逃れたとしてもこの荒野のような状況下で、同所での営業再開は当面難しいと思わざるを得ない。
店主は店を再開できるだろうか。
写真ではわからないが、津波に覆われた場所は、潮とヘドロが混じったような独特な異臭がして、長時間居ると耐えられないのだ。この異臭は石巻でも感じたが、気仙沼では感じなかった。
仙台と名取を歩いて、被災地間の格差を今回も感じた。地震そのものの被害が見た目より大きかった仙台市中心部だが、今月末には鉄道の復旧も進み、かなり人も戻ってくると思う。国分町の人出はその頃より戻ると思うが、業態の変更がかなる起こるかもしれない。
仙台駅西口・名掛丁や国道4号線ロードサイドは問題ないだろう。
「なとりりんくうタウン」は住環境、買物環境としてとても難しくなった。一面海水に覆われ、しばらく水が引きそうにない状況から、よほどの覚悟で再生を目指さないと、千年に一度の大災害を乗り越えられない。