第13回 2004年1月18日 | |
ロシアではここ数年ビールが大人気で、毎年生産量が伸びている。韓国では02年に地ビールが解禁されたがまったく振るわないらしい。およそ5000年といわれるビールの歴史の中で、今日(こんにち)の世界情勢はどのように位置づけられるのだろうか。ヒントは沼津にあった。 | |
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■日本の地ビール業界について 日本で地ビールが解禁されたのは94年。90年代は数知れないマイクロ・ブルワリ(小さなビール醸造所)が創業した。多くの経営者は「日本と欧米の時差」で儲けられると考え、欧米からブラウマイスター(醸造最高責任者)を招いて「本場のビール」を売り文句に意気込んでいた。 しかし、2000年をまたいで00年代になるといくつかのマイクロ・ブルワリが廃業する。地ビール業界全体の景気も悪い。なぜか? それは、日本の地ビール業界が世界のビール文化の潮流からかけ離れていたからではないだろうか。(世界のビール文化の潮流に乗れば地ビール業界が復活するという意味ではなく、それを知っていれば今のような地ビール業界は成立しなかっただろう、という意味である) 余談になるが、日本酒業界は衰退の一途を辿っているが、これは何も日本に限った現象ではない。ヨーロッパのビール市場でも伝統あるブルワリの廃業や買収が繰り返されている。昨年の10月には「ピルスナー」の生みの親であるドイツのシュパーテン醸造所が大手インターブルーに買収された。私が大好きなブルワリであっただけでなく、10万キロリットルを越える年間生産量を誇ったブルワリが吸収されたということで、ショッキングなニュースだった。日本の地ビール業界もそのような現実を突きつけられる瀬戸際にある。 |
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東京から電車を乗り継いでおよそ2時間で沼津駅に着く。駅前から富士山を見上げるとわずかに冠雪がある。肌寒い空気の中、沼津港まで歩くこと30分。海を前にしてブルーパブ「タップルーム」がある。ここがビール・マニア注目の「ベアード・ビール」を造っているブルワリだ。 15時という時間帯にもかかわらずお客さんが数名、いずれも読書をしながらビールを嗜んでいる。いい雰囲気だ。カウンターにブライアン・ベアード氏のパートナーのさゆりさんがいたので話をする。ベアード氏は明日の仕込みの準備をしているとのこと。しばらく待つことにすると「何か飲んで待ちますか?」と声をかけられた。「スタウト!」と叫びたいところだったが(ベアード・ビールのスタウトはとても美味しい)、これから仕事なので我慢することにする。待っている間に店内を徘徊し、壁に飾られたポスターを眺める。瓶ビールのラベルのデザインなのだが、それぞれビールへの思い入れがストーリーとして描かれていて面白い。無音で流れているアメフトの映像を見ていると、後ろから声をかけられた。 「お待たせしました!」 振り返ると、ベアード氏がビールの半分入ったグラスを手に立っていた。 |
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ベアード氏はアメリカの大学で日本の研究をし、96年に日本に移住してきた。地ビールブーム真っ只中である。アメリカのクラフトビールを愛していた彼はじっとしていられるはずもなく、アメリカに舞い戻ってカリフォルニア大学デイヴィス校で醸造学を修めた。 「いつだったかははっきり覚えていないけれど、アメリカにいた頃にアンカーというビールを口にして衝撃を受けました」 アメリカのクラフトビール(※)はビール市場全体の10%に達するという。日常的にクラフトビールが選択肢となり得るわけだ。ベアード氏はアンカーやシエラネバダ、サミュエルアダムス・ラガーを好んで飲んでいたと言う。 「カリフォルニアで醸造学を学んでからワシントンのレッドフックで働き、しばらくしてから日本に戻ってきました」 日本では沼津ミナトビールの創業に関わり、その経緯から現在も沼津に居を構えているそうだ。そして2000年にベアード・ブルーイング・カンパニー(BBC)を設立。会社設立前からレシピ開発用として使用していた30リットルの仕込み樽を利用してブルワリを立ち上げたそうだ。 「日本でこれだけ少ない仕込み量で商売しているお店ってないでしょう? 税務所がなかなか許可してくれませんでしたよ」 今でこそ笑える話だが、ベアード氏のビールは仕込み量が少ないという理由だけで世に出なかったかもしれないのだ。 |
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■世界のビール市場とベアード氏の使命
ベアード氏のビールをあえて分類すればアメリカ西海岸スタイルとなる。 「日本ではアメリカのクラフトビールの動きが全く省みられていませんが、90年代にアメリカのビール市場は急成長しました」 71年にイギリスでCAMRA(※)が設立されてエールを守る消費者運動が声を上げると、80年代にはアメリカに波及し、全米でマイクロブルワリが生まれ出た。90年代はアメリカのビール市場が最も華やかだった時期かもしれない。そのことを日本は見落としていると言うのだ。
ベアード氏はクラフトビールの使命を「多様性をアピールすること」と語った。その言葉どおりベアード・ビールは定番で6種類あり、季節限定ビールはなんと10種類以上ある。2004年1月より定番ビール6種類が瓶ビールとして販売されるようになった。 |
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瓶のベアード・ビールはボトル・コンディション(瓶内二次発酵)であり、活きたビールである。保存は冷蔵庫が望ましいが、飲むときは10度〜12度くらいの方がいい。きちんと手をかけて造られたエールは赤ワインと似ていて、最も香りと風味が引き立つのは10度〜12度くらいなのだ。 私はインタビューが終わってから「スタウト」と「スコッチエール」と「アンバー」を飲んだ。どれもおいしいのだが、何より個性を強く感じられた。どれも記憶にしっかりと残っている。 「バランス+複雑さ=個性」(ベアード・ビールの公式) ベアード氏の醸造への情熱はしっかりと実を結んでいると思う。現在の仕込みタンクは250リットルだが、2年後には倍の500リットルにする計画だという。生産量を増やすだけでなく、将来的には醸造者を育てていきたいそうだ。 最後に日本のクラフトビール業界を盛り上げる為に必要なものは何か聞いてみた。 「熱意です」 伝統的なビールが日本で受け入れられる為にはたくさんのハードルがある。飲食店や消費者の理解がなくては広まりようがないのだ。幸い日本の消費者は元気があり、リアルエールを盛り上げようという動きもあるようだ。日本のクラフトビールの歴史は始まったばかりである。私はベアード氏とがっちり握手をすると、沼津を後にした。
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2004年1月17日 取材 執筆 山越 龍二 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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