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有田焼をモダン・デザインで進化させる
ARITA PORCELAIN LAB
7代目弥左ェ門 松本哲氏

2007.7.27
日本磁器発祥の地、佐賀県有田で生まれた有田焼は17世紀初頭に始まり、400年の歴史を持つ。栄枯盛衰を繰り返しながら、現在も約200の窯がある。有田焼は輸出品や高級贈答品として名を馳せてきたが、最近は嗜好の変化などから人気が下がっている。200年続く有田製窯の7代目当主、松本哲氏は有田焼再生のため、モダン・デザインを取り入れて外食市場向けに提案を始めた。

「弥左ェ門窯」 http://www.gold-imari.com/index.html
有田焼オンラインショップ「ARITA PORCELAIN LAB」 http://www.aritaware.com/index.html



「sabi 錆巻」シリーズ:表面を針で引っ掻いて削る伝統技法「掻き落とし」の手法により、大量生産でありながら個体感を演出。


有田焼の歴史を築いた松本家7代

 松本家は、代々「弥左ェ門」という名を引き継いでいる。約200年前に松本弥左ェ門が自分の窯「弥左ェ門窯」を開いたことに始まる。7代に至るまで独創的でユニークな経歴の持ち主ばかり。この血筋が有田に常に新しい時代をもたらし続けてきた。簡単に各世代を紹介する。


皿の裏の「弥左ェ門」印

 2代目弥左ェ門は、天保の大飢饉による不景気で廃業してしまう。その後、ギャンブル(講掛け)に当たり、家屋敷だけは守った。

 3代目弥左ェ門は、庶民のための金融会社を設立したり、有田に鉄道の駅をつくるなど、有田町全体の振興のために尽力。窯は使わなかった。

 4代目弥左ェ門は、インド、南アフリカを旅した。南アフリカでは日本人が経営する洗濯屋で働いた。日露戦争で帰国し、その後、有田焼を海外に輸出する貿易会社「有田物産」を作った。現在の有田製窯の前身。輸出向けは裏に「GOLD IMARI」の印。今でも世界中に愛好家がいて、問合せもあるそうだ。

 5代目弥左ェ門は、朝鮮・満州・支那への輸出で実績を揚げ、勲章も受ける。

 6代目弥左ェ門は、円が変動相場制となり輸出が合わなくなって販路を国内に求めた。ウイスキー「サントリーホワイト」の水割りが好きで、朝から飲んでいたそうだ。

 現在の7代目弥左ェ門、松本哲氏は九州大学を卒業後、都市銀行に就職。しかし、家業は倒産。民事再生に入ったため、3年で実家に戻され、会社再建に励む。その中で、伝統技法の復活と、現代のライフスタイルを取り入れたデザインに取り組んでいる。


左から3代目、4代目、5代目、6代目、7代目


「ARITA PORCELAIN LAB」誕生

 昭和初期に建てられた有田物産(現有田製窯)の旧社屋を改装し、アンテナショップとして2006年4月にオープン。 この建物は有田町の文化財指定を受けている歴史的建造物。


「ARITA PORCELAIN LAB」看板


隣の松本氏実家


手前は「楕円皿」


上段「フリーカップ」、下段「ロックカップ」

 この「ARITA PORCELAIN LAB」から現代のライフスタイルに合うデザインが生まれる。代々伝わる伝統的な有田焼の技法を駆使して、それをモダンに蘇らせた。

 シンプルで飽きのこないデザインで、かつ実用的。東京ミッドタウンの店舗でも使用されている。サービスの最高峰「リッツ・カールトン・ホテル」、カフェ・カンパニー「A971 GARDEN HOUSE」、日本製にこだわった商品を集めた「THE COVER NIPPON」。そしてサントリー美術館のミュージアムショップで販売しているサントリー所有の瓢箪型の酒器の復刻版も有田製窯が作っている。


「kokudo 黒土」シリーズ:硬質な黒土「黒みかげ」を使った、強くて優しい手触り。土の素材感と造形美をモダンに映しだす。


人気の「醤油差し」:注ぎ口に、特殊な破水加工をほどこしており(佐賀県有特許)絶対に後引きしない。

文明開花「鹿鳴館」のディナーセットを復刻

 有田焼は分業制で作られる。ろくろ成形、絵付け、窯焼きなど専門職人により分担され量産体制がとられている。これにより海外への大量輸出が可能で、当時の鍋島藩の財政を潤していた。世界各国で開催された万国博覧会で賞賛される。

 さらなる輸出拡大のために工場生産を始めたのが、明治12年に有田に設立された精磁会社。日本で初めて洋食器の製造に成功し、外貨獲得に貢献。西洋文化の導入が急激に進み、明治16年に文明開化の象徴として作られた「鹿鳴館」。そこで、使われた洋食器を作ったのが精磁会社。皇室の御用食器も作っていた。

 しかし、欧米の不況と巨額の設備投資がたたり、10年で倒産。華やかな事業は、はかなくも10年で消滅。悲劇的運命の会社。精磁会社の中心人物の一人が、4代目弥左ェ門の叔父にあたる。その4代目が弥左エ門窯を復興し有田製窯の前身、有田物産を設立。

 この縁から7代目弥左ェ門、松本哲氏は「鹿鳴館」で使われていたディナーセットを復活させるプロジェクトに参加。2007年1月に見事に完成させた。

 有田では長期間にわたる景気の低迷のため、人員整理、廃業、熟練工の高齢化により、技術が途切れようとしている。この中で「鹿鳴館」復活プロジェクトにより、伝統技術の掘り起こしができた。


「鹿鳴館」の皿


6人分のディナーセットで240万円。


「泉山磁石場」
400年かけてひとつの山を焼きもの(有田焼)に変えた、と言われる。有田焼の陶石は、実は、明治中期あたりから熊本の天草陶石に変わり、現在の有田焼の陶土の原料はほぼ100%天草陶石になっている。しかし、「鹿鳴館」は昔ながらの泉山陶石を使用した。


泉山陶石


有田焼を再生・進化させるために外食市場に挑む

「10年後には有田焼の歴史は400年を迎える。次の100年も有田焼を残すためには、失われた技術を取戻し、それを基に有田焼を更に進化させる事が絶対に必要です」

「欧米では陶磁器はその国を代表する文化であり、ステイタスであるという意識が強くもたれています。その日本の文化を次世代へ継承していくためにも、我々がもっとがんばらねばと強く思います」と7代目弥左ェ門、松本哲氏は語る。

「鹿鳴館」復活プロジェクトで蘇らせた伝統技法をベースに「ARITA PORCELAIN LAB」で進化させ、次の時代のテーブルウェアーに発展させるのが7代目弥左ェ門、松本哲氏の夢だ。




7代目弥左ェ門 松本哲氏

九州大学経済学部卒業後、都市銀行に入社。3年間勤めるが、実家に呼び戻され家業を継ぐことになる。現在、モダンジャパニーススタイルの有田焼「JAPONISME」シリーズを開発。食器だけでなく、現在のライフスタイルにあった有田焼を推し進めている。

「弥左ェ門窯」
 http://www.gold-imari.com/index.html
有田焼オンラインショップ「ARITA PORCELAIN LAB」 http://www.aritaware.com/index.html
*通販もできます。

有田製窯株式会社
佐賀県西松浦郡有田町黒牟田丙3037-8
電話 0955-43-2221
メール satoru@gold-imari.com (松本哲)
*お問合せはお気軽に!


【取材・執筆】 安田正明(やすだまさあき) 2007年7月27日




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