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フードリンクレポート


70年代ヒーロー。ディスコからスローフードに転身。
佐藤 としひろ 氏

株式会社テーブルビート 株式会社エラ・インターナショナル
代表取締役

2007.10.27
新丸ビルの「丸の内ハウス」で人気の蒸し料理専門店「MUSMUS(ムスムス)」、70年代スナック「来夢来人」を運営する佐藤としひろ氏。実は70年代ディスコブームを巻き起こしたヒーロー。当時の有名プロデューサーで今も活躍する方は佐藤氏を除けば、ほとんどいない。今、佐藤氏は生産者はアーティストだと考え、音楽を農業に代えて地方の生産者を元気にしようとしている。



「MUSMUS」 大分「ナチュラルファーミング」直送オーガニック旬野菜のセイロ蒸し(1200円)

70年代ディスコ・プロデューサー誕生

 新丸ビルの2店舗「MUSMUS」「来夢来人」を運営するためにテーブルビートという会社を新たに設立した。しかし、佐藤氏は70〜80年代に、ディスコなど流行りの店舗を多数プロデュースしたエラ・インターナショナルの社長という顔の方が有名だ。

 佐藤氏のディスコとの出会いは、日新物産のパブ「カンタベリーハウス」(六本木)でのアルバイトに始まる。その後「カンタベリーハウス」はフードのバイキングを始めた大型ディスコとして有名だ。70年代、六本木の「最後の20セント」チェーンと、新宿の日新物産がディスコブームを2分していた。日新物産はその後、新宿でショーパブ「黒鳥の湖」などを展開する、Aプロジェクトに引き継がれていく。

 その後、「ツバキハウス」(新宿)で初店長になる。ファッションディスコで、女性も気楽に来れるディスコ。近くの新宿2丁目にはゲイ向けのディスコが数店あり、ファッション系の人たちが遊んでいた。日本のアパレルが海外へ進出していた時代で、同じ新宿にある文化服飾学園の生徒も集まって盛り上がっていた。ニューヨークに1977年に誕生した「スタジオ54」。米国の音楽や芸術界のセレブが集まるディスコとして日本でも有名になった。その「スタジオ54」と「ツバキハウス」のイメージが重なり大ブームとなる。

「『シティー・ボーイ』という流行語を生みだした雑誌『ポパイ』編集者や、ファッション業界の人たちがよく遊びに来ていました。発売前の情報が入ってきた。レコードもデモテープの段階で入ってきて最新の音楽が聞けたのも流行った理由の一つです」と佐藤氏は当時を振り返った。

 日新物産で「玉椿」白鳥の湖」「ピーター&ラビッツ」、「キッスラジオ」、「タップチップス」など当時の話題の店舗を続々立ち上た。そして、11年間勤務後、独立する。


「ゴールド」 ダンスフロア

全文(有料会員専用)の見出し
バブル頂点1989年、東京・芝浦「ゴールド」オーナーに

新橋「ぶた家」は豚肉ブームの走り
生産者と出会い、新丸ビルに「MUSMUS」
たまには70年代をテーマにしたい


佐藤としひろ(さとう としひろ)
1952年、山形県生まれ。70年代のディスコブームを牽引した日新物産に入社ディスコや大人のバーをプロデュース。独立後、1989年に東京・芝浦に伝説のクラブ「ゴールド」を開業。1997年、豚肉ブームの走り「ぶた家」を展開。2007年には新丸ビルに蒸し料理専門店「MUSMUS」、スナック「来夢来人」を出店。プロデューサーとしての30年近いキャリアを誇るベテラン。

【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2007年10月10日取材

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