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フードリンクレポート


オヤジ相手にしか商売しないオヤジが東京を狙う!
竹内 康順氏
株式会社ヴィサージュ 代表取締役社長

2008.1.9
リコーの営業マンから、武田鉄矢の兄が経営していた「酔灯屋」を買い取って外食に参入したヴィサージュ竹内社長。福岡青年会議所で人脈を築き、様々な勉強会で経営を学び、東京出身にもかかわらず福岡で成功し、居酒屋6店舗を経営。次は、生まれた東京で凱旋出店を狙っている。


「酔灯屋」名物 焼ラーメン

武田鉄矢で名を馳せた「酔灯屋」を東京にも

 竹内氏が外食業界に入ったのは、父親に紹介された、福岡の外食コンサルティング会社。そして、居酒屋「酔灯屋」に出会う。1987年、武田 鉄矢氏(元フォークグループ『海援隊』リーダー)の兄が経営していた「酔灯屋」を買い取った。

 実は「父から遠ざかりたくて福岡でできる仕事なら何でもよかった」という。父親は東京でアパレル工場やパソコンの代理店を経営している実業家。様々な場面で「人生に口出しされ、それが嫌だった」と言いながら、資金は父親から提供してもらい「酔灯屋」を買う。

「酔灯屋」とは、「すいとうや?」。博多弁で「私の事が好きですか」という意味の言葉を当て字にした店名。武田鉄矢の兄の店ということで有名。天神2丁目という当時あまり開けていない立地にあり、87坪ながら年商1億3千万円と物足りない実績だった。

 店長を交代させ、遅刻しない、掃除するなど当たり前のことを守らせた。また、満席時の来店客を帰さないように待っている間に無料でビールを振舞った。そして、4〜5年かけて、年商2億3千万円、買収時より1億円多く売り上げるまでに成長させた。

 そして、1988年にFCとして「949」、90年に刺身・串焼き・大皿料理の店「はかた市 大名店」、91年「はかた鯛」(後の「酔灯屋 西通り店」)、92年「はかた市 筑紫口店」、95年「酔灯屋1号店」を拡張移転、99年「はかた市 祇園店」、01年「酔灯屋 祇園店」、04年「酔灯屋 天神別館」と次々に開店させた。


「酔灯屋 西通り店」座敷

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リコー出身の理論派
東京モンが博多で成功する

(写真全11点)

竹内 康順(たけうち やすのり) 
株式会社ヴィサージュ 代表取締役社長。東京都出身。1962年生まれ。明治大学卒業後、リコー入社。87年に「福岡天神酔灯屋」を武田義武氏から買収、株式会社ヴィサージュを設立し外食事業に参入。現在「酔灯屋」4店舗、「はかた市」2店舗、計6店舗の居酒屋を福岡市で経営。
株式会社ヴィサージュ

【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2007年12月17日取材

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