フードリンクレポート
うどん居酒屋からエナジーチャージ会社へ転換。
大薮 由一郎氏
有限会社 一滴八銭屋 代表取締役
「一滴八銭屋」新宿店 巨大な看板
・1999年開業、2006年映画「UDON」
大薮氏の父親は香川県高松市出身。電電公社に勤めていたが、約30年前に脱サラし、愛媛県川之江市でうどん店「大真」を開業した。当時、喫茶店でもうどんを出すなど、慣れ親しまれた食べ物であり、うどん店は独立しやすい職業だったという。そんな家庭で、子供の頃からうどん作りを手伝って育った。
東京の大学卒業後、内装会社、丹青社に7年間勤務。そして、「父は20代で独立した。サラリーマンでやるより、自分でやれという教えを受けながら育ってきました」と父親の血を受け継いだ。
30才で独立。やはり、うどんを選んだ。実弟が大学卒業時で就職が決まっていたが、蹴って合流。さらに会社勤めをしていた妹の夫も意気投合。実家のうどん店で修行した。そして、1999年1月、3人で資金を出し合い、東京・新宿でうどん居酒屋「一滴八銭屋」を開店させる。
「一滴八銭屋」という店名は、例え一滴のつゆにもお金をもらっているという気持ちを忘れないように選んだという。また、「いつも茹でたての麺を提供すること」「他では食べられない創作うどんを看板にすること」「全て手作りにこだわること」の3つにこだわった。
ターゲットは20、30代。自分たちと同世代と考えた。「最初は新橋を狙いましたが、土日が利かない。土日も人がいるオフィス街がよいと探したが、なかなか物件に出会えない。歌舞伎町の職安通りの方で決めそうでしたが、西新宿1丁目の今の物件がポッと出てきた。すぐに飛んで行って、その場でサイン。しかし、実は競売物件であることが後で分かり、苦労しました。勉強になりました」という訳で、2階・3階ながら、ヨドバシカメラなどが集まる新宿西口の電気街の好立地を獲得した。
オープン当時は、うどん専門店と謳っても、「そばありますか?」と聞かれるほど東京ではうどん店が理解されていなかった。しかし、2階・3階合わせて25坪で、当初からランチで日商7万円、月商700万円と早い立ち上がり。
実は、讃岐うどんフリークがネット上で「東京に讃岐うどん店が出来たので行ってみよう」と噂してくれた。「仲間内で噂になってるよ」とお客から言われ初めて知った。今まで東京に讃岐うどん店が殆ど無かったし、これだけコシが強いのも無かったと、ネットに書きこんでくれ、火が着いた。
2002年12月に恵比寿に2号店をオープン。自分たちの本当の力を試そうと、麺の激戦区、恵比寿を選んだ。
そして、2006年8月末に映画「UDON」が公開された。2ヶ月間は忙しかったそうだ。後も、押し並べてすこしづつ右肩上がり。現在、新宿店は月商900万円。東京でもうどん文化は認知された。
白肉うどん(830円)
全文(有料会員専用)の見出し
・うどんは、小麦粉、塩、水
・小料理、串天ぷらに進出
・元気を充電するビジネス
(写真全17点)
有限会社 一滴八銭屋 代表取締役。1968年生まれ。愛媛県出身。1999年1月にうどん居酒屋「一滴八銭屋」新宿本店、2002年12月「一滴八銭屋」恵比寿店、2004年10月料亭「滴屋」(田町)、2008年2月串天ぷら「段々屋」をオープン。現在、4店舗を経営。
「一滴八銭屋」 http://www.itteki.com/index.shtml
「滴屋」 http://www.itteki.com/shizuku-ya/
【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2008年2月26日取材
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