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フードリンクレポート


<ライジングシェフ・シリーズ 8>
ダイヤモンドダイニングのキッチン番。
100店舗100業態の料理に挑戦。
長澤 裕司氏
株式会社ダイヤモンドダイニング 取締役 営業本部 統括総料理長

2008.4.18
「100店舗100業態」を目指すダイヤモンドダイニング。その全てのキッチンを統括するのが長澤氏だ。和・洋・中を問わずカバーでき、料理とビジネスを融合させるセンスは抜群だ。「チーフ・キッチン・オフィサー(CKO)」と呼びたい。


1号店「VAMPIRE CAFE」のキッチンに立つ長澤氏

忍耐の高級和食からディスコの洋食へ

 長澤氏は中学時代からの料理好き。東京・新宿の調理師学校を卒業後、地元、神奈川県秦野市の和食店に就職。お客の目の前でステーキを焼くような高級店。そこで3年間の修行に耐える。

「毎日泣かされました。賄い用の味噌汁でも何度も何度も作り直しをさせられましたね。先輩たちが食べるのを待たせて『材料を買ってきてもう一度作れ』と命じられたりしました」

まだ慣れないカウンターに出ても、客が「右利きだったか左利きだったか」「タバコの銘柄は」「ネクタイの色は」など、チーフから前回と違う質問をされる。カウンターという場所に立つということは料理を作るだけでなく、そういう洞察力も身につけなければならない。まずはやらせて失敗させて分からせる。理不尽だと思うことも少なくなかった。
「10年たった今はその教え方を理解できますが、当時は嫌で嫌で仕方なかったですね」

長澤氏の下には後輩が入ってこなかったこともあり、始業の2時間前に店に入り、雑用は全て自分ひとりでこなすこと3年間。この厳しい3年の下積みでまず耐えることが身についた。
「今でも大切な財産です」と長澤氏。

飲食を志したときから独立をひとつの目標にしていた長澤氏は、新たなステージを求めて、日拓エンタープライズに転職。まだバブルの名残りがあったころであり、お金をかけ派手な演出を行うライブハウスやディスコの厨房で働き始める。そこでは上司からはメニューを渡されるだけ。レシピを研究することからスタート。味付けは教えてもらったが、盛付けは一切自由で、その面白さを実感したという。

そこには様々なホテルで働く一流の料理人が不定期にヘルプとして来ており、長澤氏は一緒に働くなかで一流の腕を学んだ。そのうえ、当時は景気が良くて、オマールやフォアグラなど仕入れ放題。高級食材を使った料理も経験できた。

「余裕のあるときには、つきっきりで洋食の基礎から教えてもらいました。パティシエと2人でどっちが作ったケーキが売れるか競争したり。自由だったからこそ、いろいろと勉強できました」と、ここでの経験が今の多業態での料理作りを支える基礎作りの時代となった。

そして、赤坂のディスコ「ロンドクラブ」に移り、現在のダイヤモンドダイニング社長、松村厚久氏と出会う。


●「爆麺」 1000円(爆麺 闇雲堂)
「この商品は『爆麺』という店名からインスピレーションを得て作った料理です。『爆(バオ)』という響きから『豪快な音が出る料理』をテーマにイメージを膨らませました。また、ニーズの高い反面、たまにしか食べることのできないおこげをもっと気軽に食べられるものにしたいと考え、新しい提案として焼そばとおこげをワンプレートで表現しました。」

全文(有料会員専用)の見出し
1年間で30分
「スタッフにも賄いで美味いものを食べさせたい」
メニュー作りは3つの柱
長澤氏自信のメニュー
キッチン人件費率10%が目標
アッパー業態で学ばせたい

(写真全5点)

■長澤 裕司(ながさわ ゆうじ)
株式会社ダイヤモンドダイニング取締役 営業本部 統括総料理長。1968年生まれ。神奈川県出身。地元秦野市で高級和食店に就職後、日拓エンタープライズを経て独立。その後入社した三光マーケティングフーズでチーフまで勤めた後、日拓エンタープライズ時代の同僚、ダイヤモンドダイニング社長の松村厚久氏と合流。1号店「VAMPIRE CAFE」からダイヤモンドダイニングの主要業態のメニューを作り続けている。

株式会社ダイヤモンドダイニング  http://www.diamond-dining.com/

【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2008年4月8日取材

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