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フードリンクレポート


女性経営者シリーズ④
ソニーに学んで「残される外食企業」を作りたい!
工藤 一枝氏
ペッカリイ株式会社 代表取締役

2008.8.8
赤坂サカスに出店したポルトガル料理「カステロ ブランコ」が人気のペッカリイは、企画会社からJRと出会い外食企業に転換。レストラン、ダイニング、ステーションの3本柱で13店舗を展開中。引退のレールを引く工藤社長の最後の仕上げは、FC展開だ。


工藤一枝氏(ペッカリイ株式会社 代表取締役)

北海道の町興しで東京へ

 工藤氏の実家は北海道網走に近い上湧別町で建設業を営んでいる。上京したきっかけは、町興し。上湧別町の産物を東京を始めとする全国販売ネットを作ることによって、町が潤う。すると、町の人々の住宅の新築や改築が増え、建設業である本業のお客様が増える・・・という、町と建設業の共存共栄が目的だった。

 そんなある日、東京で「京都の大徳寺の高僧、立花大亀師と出会い、お話をうかがいました。感動致しました。故郷の上湧別の人たちと、この感動を共有したいと思い、その場で上湧別に来ていただくことをお願い致しましたら、即決してくださいました。しかし人口5000人の町で何人の聴衆を集められるか・・ご老師様に失礼では・・・とお聞き致しましたら『あなたみたいに、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして真面目に聞いてくれる人々が5人でも10人でもいたら行きますよ。』とおっしゃって下さいました。」と工藤氏。

 実際には、町を上げての集客で隣町も含め5百人もの人々に集って頂いた。その縁で、立花大亀師が後見人として、工藤氏の東京とのパイプ役を果たしてくれる。

「ご老師はイノシシ年、私をご老師にご紹介くださった方もイノシシ年、私もイノシシ。イノシシが3人集まるとその事業は成功すると言われました。ご老師が若手の陶芸家を育てておりましたので、その作家の方達の常設店として東京・南青山の小原流会館に「陶房・一枝軒」を開業するチャンスをいただきました。そうそうたるお茶会でご老師のカバン持ちをさせていただいた事は、私の人生にとってとても有意義なことでございました。その後、全国のデパートで陶芸家の展示会を行う機会に恵まれ、各界の名士とのご縁を頂くことになったのでございます。」
 
 これが、現在の工藤氏の幅広い人脈の基礎となっている。


「レストラン ルーク」 店内。聖路加タワーの47階だが、外のテラスで出ることができ人気。

全文(有料会員専用)の見出し
レデイス・キヨスク「五丁目花子」開店
JRと外食展開
飲食のプロではない、プロにもなりたくない
FCでは100億円を目指す
「残される企業」になりたい
(写真全8点)

<プロフィール>
■工藤 一枝(くどう かずえ)
ペッカリイ株式会社 代表取締役。1947年生れ。北海道出身。85年、鉄道弘済会に「レデイス・キヨスク」を提案。86年、企画会社としてペッカリイ株式会社を設立。87年にレデイス・キヨスクの展開がスタート。93年に「レストラン ルーク」(東京・築地)の企画運営で外食事業に参入。現在、レストラン、ダイニング、ステーションの3本柱で合わせて13店舗を展開している。

ペッカリイ株式会社 http://www.peccary.co.jp/

【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2008年7月25日取材

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